さだ・とし信州温泉紀行

続編;茨城パートⅡ

クトゥブ・ミナール(世界文化遺産、インド・デリー)

2012-12-21 11:49:08 | 海外旅行









クトゥブ・ミナール(1993年,世界文化遺産登録)
インドに現存する最古のイスラム建築。「ミナール」とは、ミナレット(尖塔)のこと。別名「勝利の塔」とも言われている。
11世紀頃から、イスラム教勢力がインドに本格的に侵入、1206年、奴隷王朝の初代皇帝:アクバルが、ヒンズー教徒に勝利して初のイスラム王朝を成立させたことを記念して建立。(もともとあったヒンドゥー寺院を取り壊し、その石材を利用して作った)
敷地内にあるイスラム寺院はインド最古のもの。

□ インドの歴史
(1)インダス文明
 インダス文明が栄えたのは紀元前2600年から紀元前1800年の間である。滅亡については諸説あり、現在では、地殻変動によってインダス川河口付近の土地が隆起し、そのために洪水が頻発して耕地に塩害をもたらし、さらにインダス川の河道が移動したことによって、水上交通を前提とした貿易によって機能していた都市の機能を麻痺させたためという説と、後述するように砂漠化に伴って都市が放棄され住民が移住したという説がある。

(2)王朝の時代
紀元前6世紀頃、ヒンド゛ゥー教に対抗する新しい宗教である仏教が生まれた。
アショカ王は、帝国を拡大するだけでなく、仏教を普及することに貢献、しかし紀元前232年、アショカの死後、帝国は崩壊し始め、400年もの間、外国からの侵略、略奪を受けた。
その後、チャンドラ・グプタ1世が王位につき(西暦380-412年)、安定が戻り、芸術・文化も
栄え、インドの黄金時代であった。

(3)イスラム教徒の侵略
ムハマド・ゴーリが1001年から1025年まで、財宝目当てにインドを侵略、デリーを自分の副官クトゥブッディーンに任せた。(クトゥブッディーンは、デリーにクトゥブ・ミナールを建てた人物。ミナールは「塔」の意味)
これが、1526年から、インドが植民地化されるまでの、約300年間続く「ムガール帝国」へ。
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