きまぐれ発言

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小泉さんが出来なかった自民党改革!(2)

2009-08-20 09:53:56 | Weblog
小泉さんが出来なかった自民党改革!(2)     (009.08.20.)

小泉総理の兼ねてからの持論である「郵政民営化」の実施については2004年9月に第2次小泉改造内閣を発足させ、竹中氏を郵政民営化担当大臣に任命し「基本方針」を策定して本格的に乗り出す事になった。

2005年、小泉総理は郵政民営化関連法案を「改革の本丸」と称していたが、党内からは多数の反対者があり亀井・平沼・綿貫などの長老を交えた100人近い反対者があって紛糾していたが小泉総理は強引に推し進め、その結果衆議院本会議では233票対228票で辛うじて通過した。

しかしその後の参議院での投票では自民党内の22人が反対投票に回った為、108票対125票で郵政民営化関連法案は否決されてしまったのである。

小泉総理は即座に衆議院の解散を決意し閣僚の署名を求めたが、島村農林大臣は拒否したため、罷免し自ら兼務して解散を閣議決定し、憲法7条に基づいて衆議院の解散を強行したのである。

郵政関連法案が衆議院では僅差で通過したが、参議院で否決になったことから、小泉総理はあえて「郵政改革を民意に問う」と解散に踏み切り、此れに反対した自民党議員には公認を与えず、それでも無所属で立候補する党員には除名処分にして、「刺客」候補を送り込むと言う徹底した選挙戦を展開した。そして、「郵政解散」と命名して、「改革の本丸」であると国民に訴えたのである。

この様な劇場型の選挙に国民もマスコミも踊らされたきらいがあり、特に都市部の大衆からは関心が深まり、投票の結果は、高投票率の基で自民党が296議席、公明党と合わせて327議席と言う未曾有の大勝利を果たしたのである。所謂「小泉劇場」と呼ばれている選挙であった。

小泉総理は、選挙では大勝利を果たしたものの、強引さのしこりが党内に残り、官僚と結託した族議員の反対勢力が強くなって来たのである。 また外交問題も特に中国とは、靖国神社問題・歴史教科書問題等で冷め切った関係になっていたのである。

この時点で、小泉さんは、大分くたびれた様子で、発足当時の意気込みも薄れ、道路公団や郵政民営化も一応、看板の書き換え程度までは実施出来たが、実質的な内容は、官僚と族議員の隠然たる勢力の中で操作されていたから、小泉改革も此処までか?と言う国民の期待も薄れ始めたのである。

小泉総理はこの時期に身を引き後は、自分の気持ちを引き継いでくれる後継者にバトンタッチする事を考えたのか、2006年9月、総裁任期の切り替え時に退任する事をきめ後継者に安部氏に託す事をきめた。

国民の気持ちとしては、郵政民営化が「改革の本丸」と言われて戦った小泉さんを信頼し、未曾有の大勝利を果たした小泉さんに、1年で引退される事には、中途半端な気持ちが残るのであるが、後を引き継ぐ安部さんが、若さを発揮して、更に改革を進める事に望みをかけて期待する面もあった。(続く)
(えびなたろう)