きまぐれ発言

日々変化する世の中をみて、私はこう思う。

小泉さんが出来なかった自民党改革!(1)

2009-08-19 14:31:23 | Weblog
小泉さんが出来なかった自民党改革!(1)      (009.08.19.)

2001年、4月自民党の総裁選で、森総理が退陣したあと、橋本・麻生・亀井・小泉の4人が立候補し総裁選が行はれた。

この選挙では、橋本氏が本命と見られていたが、半世紀の及ぶ自民党支配の政治に倦怠感が広がりを見せていたときだけに、新鮮な改革を期待する空気が強く、小泉氏への期待感に強いものがあった。

と言うのも、彼の立候補の演説のなかで、「自民党をぶっ潰してでも改革を進める」と言う発言には、自民党員でなくても、今までの閉塞感から脱出した新しい時代の期待感を全国民は持ったのである。
その結果、党内予備選で大勝を果たし、議員による本選挙にも圧勝して、総裁に選出され、国会でも第87代の内閣総理大臣に選出されたのである。

彼は、今までの慣例を破って、派閥均衡の人事は行わず、党内人事も閣僚人事も総理主導の人事を貫き、「構造改革なくして景気回復なし」をスローガンに、道路関係四公団・石油公団・住宅金融公庫等、特殊法人の民営化などに手をつけ、更に国と地方の三位一体改革(中央から地方へ)等、「聖域無き構造改革」を打ち出した。

此れには、全国民から、賛同の声が上がり、小泉内閣の支持率は87%と言う空前の高支持率であった。
しかし、外交面では、靖国神社参拝に固守したため、中国・韓国からは反発があり、首脳訪問などが途絶え、関係は冷え切った状態が続いた。

アメリカとの関係は、ブッシュ大統領の「テロとの戦い」に賛同し、テロ対策特別措置法を成立させて、海上自衛隊を米軍の後方支援に出動させたりして、アメリカとの関係は良かった。

2002年9月には電撃的に北朝鮮を訪問して日朝平壌宣言を調印し、5人の拉致被害者を帰国させたりもした。

2003年3月には、アメリカのイラクへの侵攻に協力しフセイン政権を打倒し、イラク特措法を成立させて、戦後復興支援に陸上自衛隊を派遣する事を行い、国内では、アメリカ追従外交だと批判の声も強かった。 しかし彼は「日米同盟こそが外交の基軸である」との姿勢を崩さなかった。そして同年9月には自民党の総裁選に再選され、殆どの閣僚を留任させて第2次小泉内閣を発足させたのである。

2004年には再び北朝鮮の平壌を訪問し25万トンの食糧、1000万ドルの医薬品の支援を行い拉致被害者の子供の帰国を実現した。
そかし、その後の北朝鮮の対応は、日本に対し理解できるものではなく、日本を無視した姿勢に小泉総理も「対話と圧力」の姿勢を続ける様になった。(続く)
(えびなたろう)