きまぐれ発言

日々変化する世の中をみて、私はこう思う。

今日の原爆の日に思う事

2009-08-06 13:21:37 | Weblog
今日の原爆の日に思う事       (009.08.06.)

64年前の今日、広島に原爆が落とされた。まだ中学生であった私は学徒動員による愛知県の半田で海軍の飛行機(彩雲)を作っていたころであった。
風の便りで、大変大きな爆弾が広島に落とされたとの事を聞かされていた程度だった。

その後、実情が解かるに従い、原子爆弾という爆弾の恐ろしさが「“ピカドン”」と言う言葉に表現される一発で、広島全市が壊滅状態になったことが知らされたのである。

被害にあわれた方の惨状は言葉に言い尽くされないほどで、天皇陛下のご決断により日本は降伏し、終戦を迎えたのである。

あれから64年原爆の恐ろしさは、少し筒でも世界に伝わり、核兵器は「人類絶滅の兵器」である認識が国連でも取り上げられ核不拡散条約(NPT)が1963年に採択されその後議論を重ね1968年に62カ国による調印が行われ1970年3月に発行された。その後参加国も次第に増加し08年12月現在190カ国が加盟国になっている。

しかし、条約の内容が、当時の核保有国と非保有国との間で、核に対する保有に差別があったため、その後インドやパキスタンは核保有した国であるが、未加盟を続けている。

更に最近では、核の保有が疑われているイスラエルも未だ未加盟で、北朝鮮などは自国の核兵器開発のため93年3月にNPTの脱退を宣言している。

この様な事は、各国の置かれている状況によって異なり、核保有国は、保有していること自体が未保有国に対する優越感を持っているが、未保有国は常に核の脅威に晒されている。特に今まで、アメリカは、核の保有による優位性を世界に示してきたから、アメリカに対する脅威が世界に及ぼす影響が大きかったのである。

しかし、今年に入り、アメリカはオバマ大統領になって、率先して「核兵器を使った唯一の国として」、「核兵器のない世界」実現のために努力する「道義的責任」がある事を宣言し「核兵器廃絶」を呼びかけたのである。

核兵器に対する脅威の度合いは夫々国によって違いはあっても、其れを振りかざして威嚇する国が一国でもあれば、それに対抗する国は、当然核兵器の開発に乗り出す事は当然である。

しかし、此処へ来て、オバマ大統領がプラハの演説以来、率先して「核兵器の廃絶」を訴えている。それに応えて、ロシアも国内で、チェルノブイリ原発事故で、その恐ろしさを体験しているだけに、お互いの核兵器軍縮交渉に合意している。

核兵器と言うものは、どこかで、持てば、各国が持ちたくなる。しかし核兵器の脅威を各国が認識している中では、軍縮に向かわせれば、各国とも軍縮に向かうのではないでしょうか。

だから、「核兵器」と言う物は、「絶対“悪”」の兵器であるという認識を世界が持つようにし「持つ」から、「自分も持つ」と言うのではなく「持ったら」持たせないようにする努力を全世界の各国が働き掛ける事が必要ではないでしょうか。

そして、その根底にあるものは、核に対する「恐ろしさ」の認識の度合いが抑止力の効果に影響する事であるから、日本は唯一の被爆国の経験から、全世界に広島・長崎の惨状を伝える責任があると思います。

オバマ大統領の核兵器廃絶の訴えは全世界の人々の心に響く声であり「オバマジョリティー」の活動が核に対する認識を転換させる大きな力になる事は、時間は長く掛かるかもしれないが遣りぬく事が大切である。
(えびなたろう)