虚空を観じて

今感じたことを書くことは、年取った脳みそにいいんじゃないかと考えて認めています。日常の風景から、過去の記憶まで。

往時の道

2009年11月15日 | Weblog

インカ時代に使われた道路が、ペルーにはいまだに残っている。

インカ道を歩くツアーもある。

横幅は大人の歩幅で9歩程度。けっこうな広さだと思う。

リマ市から北へ行くと、パンアメリカン道路に入る。最初の料金所を過ぎると、すぐインカ道に出るらしいが、いままで気が付かなかった。

もちろん今は使用されていない。

車を降りて、50mくらい歩くと往時のインカ道だ。

インカ道に立つと、長くどこまでも続いているのがよく分かるそうだ。

いままで、何回も通った道だが、そこを歩くことができるのを、

今日はじめて知った。 

ペルーでガイドをしている女性から、教えていただいた。

来年2月中旬に、ペルーに行く。そのときは、かならず、そこを歩いてみたい。

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休憩

2009年11月14日 | Weblog

名古屋駅のきしめんは、うまい。

新幹線ホームに立つと、醤油くささが食欲を誘う。

一昨日も食べてしまった。かけきめんとでも言うのか、一番安いメニューだ。 

かつおぶし、きざんだネギ、油揚げ一枚が上に乗っかっている。

量は少ない。

 

ペルーの一般的なレストランメニューに、スパゲッティーを野菜や肉と炒めた「タヤリン サルタード」という焼きそばがある。これがなかなかいける。もともとはなかったものだが、中国人から広まったのか、いまではどこにでもある。

麺類は、スパゲッティー以外ではたぶんこれだけだろう。

ただ、注文すると日本の常識の3倍の量がある。

麺類好きには、物足りないが、味付けは香辛料と醤油。

具材は、魚貝類、牛、豚、チキンを選択できる。

 

ペルーの料理はけっこう豊かで、魚介類を使ったセビッチェは有名でもあり、人気も高い。専門店がおおくある。

食材が豊富だから、メニューも豊富だ。

ただ、メニューは豊富でも最終的には、料理人の腕次第。

次回は、ちょっと調べて、ポピュラーな料理を紹介しましょう。

 

 

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恐ろしい麻薬

2009年11月13日 | Weblog

メキシコに詳しい人から話を聞いたが、

最近のメキシコは犯罪が多発。特に麻薬関係の勢力が幅を利かせているそうだ。

商売人もそういった犯罪組織と関係を持たないと、やっていかれないとも言っていた。

 

メキシコに何回か行ったのは、もうだいぶ以前だ。15年くらい前か。

シティーは、大量の車で、当時からナンバーの語尾で通行を制限していた。

町中が排煙で生活環境は酷かった。が、

犯罪が多いとは、聞いてはいなかった。

ただ、危険地帯というか、地区があってそこに近づかなければ、巻き込まれることはない、という程度だった。

犯罪は、ちょっと気を抜くとすぐ蔓延する。

 

ペルーはフジモリ大統領時代、思想的なテロは根絶したが、またぼちぼち出現してきた。

現代のテロは思想的なのか単に犯罪組織なのか不明だが、思想的なことを主張することが多い。

麻薬の売買は相変わらず激しい。

麻薬組織とテロ組織はたいていくっついている。

 

家の近所に、花をたくさん大切に世話している家がある。よく手入れもされている。

昨日、その家の前を通ると橙色?のラッパの形をした花が、頭上に咲いていた。

花は、2~3m程度の木だろうか、その木にたくさん下向きに咲いている。

この花は、ペルーでは「フロリポンディオ」という名で、アルカロイド系の毒を含んで、知っている人は麻薬遊びにつかうが、その花に形状がよく似ている。

似ているだけで、まったく違う種類かもしれない。

もっとも、ペルーでは至る所にあるから、麻薬としては役に立たないかもしれない。

 

ペルーの麻薬は、コカが主だ。

痩せた土地でもよく育つ。普通の農作物を栽培するより手入れは簡単だし、儲けも大きい。

かつてフジモリ大統領が、アメリカから麻薬の取締りの圧力を受けたとき、コカに替わる農作物がなく、コカの栽培取り締まりに積極的ではなかったことを思い出す。

インカ時代は上流階級しかコカを使用できなかった、と聞いた。

コカはお腹は空かない、眠くならない、寒さを感じない、疲れを感じない、集中力は高まるなどの効果がある。ならば、

巨大な城壁や城を築く場合は、労働者にコカを使わせて働かせたのだろう。

神にささげる生贄には、麻薬を使って、神経や精神を麻痺させてささげていたのだろう、と想像している。

 

日本に持ち込まれる麻薬は、どこからくるのだろうか。

麻薬の恐ろしさをいくら説いても効果はない。

本人の自覚を促しても、強制的にやられたら自覚など意味が無い。

麻薬犯罪が減らないのは、それが人間の本質なのかもしれない。

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マグロの皮

2009年11月12日 | Weblog

「カラオケ」、と久しぶりにこの言葉を聞いた。

 

リマ市に、日本人が楽しめる「カラオケ」が一軒ある。

昔は、3~4軒ほどあった。

当時は、日本からの進出企業が多く、カラオケ好きの駐在員が多数押しかけていた。

カラオケ好きだから、みんなけっこう上手い。

日系人も、やたら上手かった。

酒は飲めなくても、僕もけっこう通った。そのせいか、だんだん声も出るようになって、高音部分もなんとかこなせるようになった。

歌えるようになると、さらに面白くなる。

 

当時は、日系人主催の紅白歌合戦まであった。入場料をとって、オペラ劇場を借り切って、4時間くらいだったか、毎年満席だった。

出場者も年々ドレスや演出が派手になって、それなりに楽しめた。

日本語が分からないペルー人が、日本語で歌いこなす。

シクラメンのかおり、望郷じょんがらなど難しい曲を見事に歌いきる。

 

カラオケには、駐在員ばかりでなく、マグロ船の船員さんもきていた。

船員さんも、やたら上手い人がいた。仲良くなると、ざっくり切ったマグロの塊や餌のさんまをもらった。

秋刀魚は新鮮でないと、マグロが喰わないから、秋刀魚は刺身でたべていた。

マグロは、皮が美味かった。

皮にはうろこが厚くついて、そのままでは取れない。

沸騰している湯に皮だけをそのまま入れる。1~2分すると皮だけが縮んで、うろこが自然にはがれる。

うろこの量は中途半端じゃない。大量に出る。

その皮を短冊に切って、ポン酢で食する。これが絶品だった。

日本では、なかなか手に入らない無理な料理だ。

皮は、当然腹の部分だ。厚くて、こりこりしている。

 

カラオケに行く機会はもう滅多に無いが、

「カラオケ」、とこの音を聞いたら、いろいろなことを思い出してしまった。

 

 

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バックボーン

2009年11月11日 | Weblog

いじめは、陰湿だ。

小学生時代に、中学生からいまでいう、いじめを受けたことがある。

このときは、いじめている相手にゴマをするようなことを言って、逃れたことがある。

小学生とは言え、そうしている自分に苛立ちを覚えた。

自尊心からだが、自尊心を捨ててまで相手に迎合しなくてならない現実に理不尽さを感じた。

なぜ親とか、先生あるいは相手の親にでも言って、助けを求めなかったのか、分からない。

そんな知恵がなかったのか、報復がおっかなかったのか、自尊心が許さなかったのか。

小学生でも、大人でもこれは変わらない。

いえるのは、それに対抗できるだけの何かが不足していたのだ。

 

ペルーに、相性の合う友人がいる。日本人だが、もうペルーに骨を埋めるつもりだろうと思う。

彼とはもう何十年もいい関係を保っている。

大変おとなしい性質で、人と争うことを嫌う。

彼が商売をはじめたとき、一生懸命営業に回った。その成果があって、数年で商売が安定した。

それまでは、いろいろな屈辱に耐えた。屈辱の種類には様々ある。罵詈雑言から優しい言葉、あるいは相手の行動などだ。

屈辱とはいえないが、彼からこんな話を聞いた。

当初は、小さな車に乗っていた。お客と会うためにその車でホテルや高級レストランなどに出かけることがたびたびあった。

高級ホテルやレストランには、ドアボーイがいる。

小さな車とベンツやBMWなどの高級車とではドアボーイの扱いが違う。

彼は数年後、大きな高級車にのりかえた。

それからボーイの扱いは極端に変わった、と笑いながら話してくれた。

 

その彼から最近、お客から嫌なことを言われた、とメールがはいった。

どのように対処したらいいか質問してきた。もちろん相談ではなく、同意を求めてきた。

「そんなお客なら、いらないから、こっちから切るけど、いいよね」

と、昔の彼なら考えられない内容だった。

そう言えるだけのバックボーンを自らが築いた。

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起源

2009年11月10日 | Weblog

神功皇后が懐胎したまま朝鮮半島に渡って、新羅を攻略して凱旋後、応神天皇を出産する。このとき、天から紅白の幡が舞い降りてきた、と古事記のこの記事が、おめでたい時の紅白の起源だと、本で読んだ。

平家の赤、源氏の白もここから来ているという。

運動会の紅白に分かれて競争するのも、由来は古事記までさかのぼる。

領地争いの戦国時代の旗の起源が、ここまで古いとは思わなかった。

ひとつ勉強になった。

 

起源説といえば、「韓国起源説」というのがWikipediaに掲載されている。こういった言葉が存在するのは、それだけ激しいと言うことだろう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E8%B5%B7%E6%BA%90%E8%AA%AC

起源を自国に求めるのは、わからないでもないが、記事を読むと

一種哀れさまで感じてしまうが、なぜそこまで、とも考える。

剣道の起源が、実際剣道を大事にしている人には大問題だろうが、普通の人には韓国でも日本でも、ああそうですか、で終わってしまうような話だ。

起源説は、日本ばかりではなく、中国や、唐辛子にまで至る。

南米原産の唐辛子は、キムチには絶対必要なものだが、これが500年以前、つまりスペイン人の南米大陸上陸以前から韓国にあった、と主張するものだ。

その主張にどの程度の説得力があるか知らないが、

なんだって、いいじゃないかと思う。

 

こだわりやとらわれ、思い込みの方が、自分を苦しめる。

日記@BlogRanking    風邪ひきさんB4

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異なる世界

2009年11月07日 | Weblog

成田空港の第1ターミナルに、ペルーからの友人を迎えに行った。

第2ターミナルとは、雰囲気が違う。

第2は、鬱陶しさを感じないが、第1は、鬱陶しさを感じてしまう。

鬱陶しさの原因はハッキリしていて、普段の生活のリズムが変わるからだ。

空港を歩いている外国人の歩き方、行動の仕方、服装、顔つきなど 、落ち着きが無いように思われる。

緊迫感というか、気をつけなくちゃ、と身構えてしまう。

一言でいうと、穏やかさがない。

 

第2は、この反対で、リズム感が合うのか、一種安心感のような感覚がある。

 

ペルーに向かうとき、アメリカ経由が多い。

アメリカまでは第2ターミナルのような感じだが、アメリカからペルーに向かうときは、チェックインから、第1ターミナルと同じ雰囲気になってしまう。

乗客の動作、話し声などぼやぼやしていられない。

 

以前、日本に出稼ぎが増えて、ブラジル人の夜遅くまで飲み食いすることが問題になっていたが、これも同じで、生活のリズムが変わることによる鬱陶しさが原因だ。

一方は習慣だというし、一方はうるさいと感じる。この両者の間には、短時間では埋めがたい溝がある。

これは話し合いだとか、ルールを決めるだとか、そんなことでは、じつは解決できない。どちらかが、どちらかを受け入れるしかない。自動的に数の論理と声の大きさになる。

 

例えて言えば、

高級レストランでは、作法や食べ方があって、慣れなければ鬱陶しい。習慣になっている人には流れるような感覚で食事ができる。

大衆には大衆のリズムや行動パターンがある。

住んでいる世界が違うから、両者は相容れない。

実際にはこんな単純に、二つには分けられない。さまざまだ。

人それぞれの生活習慣がある。

それぞれが住んでいる世界が違う。

異なる世界は一つになれない。せいぜい表面的な交流くらいだろう。

多分、これが現実だろうと思う。

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なんでもあり

2009年11月06日 | Weblog

空を飛べない蟻の世界は平面になる。

実際には高さのある世界なのだが、人間から見ると平面で生活しているように見える。

蟻が歩いている正面に、紙かなにかでいきなり障害物を置くと、

蟻から見れば、瞬間的に目の前に出現した物体と認識される、のではないか。

空を飛ぶことができれば、前後左右プラス上下と、高さのある世界に住むことになる。

ねずみをいきなり上方から捕獲する鷹の行動は、ねずみとって見れば意味不明な世界からの出現になる。

となると、我々が住んでいる世界とは別の、世界があっても、不思議ではないような気がする。

蟻の世界に勝手に入り込むことができるなら、別世界からこの世界への進入も容易だろうと思う。

子供の夢というか、漫画の世界でしかなかったこんな妄想も、物理学や量子論の世界では理論的には否定できない、と本で読んだ。

難しい理屈はもちろん分からないが、人間の本能は、非科学的であっても、太古の昔から正確にものごとを捉えていると感じた。

 

今日はペルーから友人たちが到着する。成田まで出迎えだ。

二週間ほどの滞在だが、最近のペルーの話でも聞こう。

どの国でも信じられない事件ばかりで、なんでもありの現実だが、

同じ驚きなら、

グッドニュースでびっくりしたい。

 

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すし詰めシート

2009年11月05日 | Weblog

アメリカは、なんでも大きく作る。

かつての、憧れアメ車は、バカでかかった。とにかく格好よかった。

ハンバーガー、紙コップ、ベッド、とにかくなんでも大きい。

映画でしか知りえない年代だったので、冷蔵から取り出したオレンジジュースを、おおきなコップに注いで、全部を飲み干さないで、残したままにしたり、やたら大雑把な印象だった。

長じて、実際にアメリカに行くと、やはりなんでも大きかった。

日本の感覚で言えば、情緒がない。

 

情緒といえば、情緒というものをもたない男がいた。

話し方は奥行きがないというか、一方通行的だった。

食事の仕方も、大雑把だった。バイキング形式では、山盛り、なんでも一緒くたにして、皿に盛って口に放り込む感じだった。

いわばアメリカ的だった。

仕事の同僚だったが、だから、付き合いはそれほどでもなかった。

それで、あるとき、

「お前は情緒がないなあ」

と言うと、ひどく傷ついた顔をされてびっくりした。

こんなことで傷つくとは、意外だった。

彼が、

「情緒ってなんですか?」

と僕に訊いて来た。えらい挑戦的な感じだったので、

応えなかった。応えれば、例を挙げなければならない、するとますます傷つけることになる。

答えに窮したぼくは、

「まあ、オレの感覚だから」

と逃げてしまった。

苦い思い出でもあり、心の傷の一つになっている。

 

そんな、何でも大きいアメリカだが、一つだけ小さなものがある。よくアメリカ人が文句言わないなと感心していることでもある。

飛行機のエコノミークラスだ。

あれは、アメリカにしては小さすぎる。すし詰めシート。

あの大きさは、他のアメリカの製品とは、明らかに異なる。

日本人がつくった新幹線のシートより、前後左右が狭い。

エコノミークラスは、平均的なアメリカ人には人権に抵触するような大きさだ。

人権教、かつ訴訟大好きアメリカ人がなにもしないのをいぶかっている。

経済的な考え方ではなく、他に何か理由がありそうな気がする。

 

 

オーム事件の被害者が、

「多く人々を殺害しても、まだその残党が活動をしているのは、理解できない」

と発言していたが、自分もまったく同じ意見だ。

宗教、思想の自由は絶対だが、

それでも社会通念上、オームの思想で多くの人々を殺傷したのだから、この思想は法的には認められない、と素人は考えてしまう。

なぜ残っているのか、理由はなんだろうか。

 

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知ろうとしないから

2009年11月04日 | Weblog

山や海で遭難した場合、大勢で捜索をする。

助かればいいが、多く人が遺体でみつかってしまう。あるいは見つからないケースもある。

報道では触れることがないので、分からないが、

仕事で海や山で遭難した場合、その捜索費用はどうなっているのだろうか。

仕事ではなく、趣味などで遭難した場合の捜索費用は、これも知りたいと思う。

あるいは前人未到の冒険など、さまざまなケースが考えられるが、

ケースごとの費用の明細を報道してくれる局はないだろうか。

本人負担、亡くなった場合の家族負担をしっかり報道してくれれば、山に登るにも、計画、準備に真剣さがますだろうに、と思う。

 

足利事件はもう報道されることも少なくなったが、

菅家さんを、最初に弁護した弁護士は無罪の立場だったのか、それとも犯人という前提だったのか。

国選とはいえ、自分を信じてくれる弁護士を選びたい。

弁護士選びは、重大なことだ、と再認識した。

菅家さんには、いったい何人の弁護士が、また何人が替わったのか、知らないが、

無実を信じて、塀の外に出してくれた弁護士と、

はなから有罪と決めて、罪を軽くしようとする弁護士とでは、天地の開きがある。

裁判官のインタビューがあったが、平然と謝罪する考えはないと、明確に発言していた。

本心なのか、あるいは裁判官として誤審をしても謝罪すべきではない、という決まりがあるのか、知らない。

裁判官の裁判官たる姿勢には、まったく疎いが、謝罪する気がないというのは、

与えられた材料で正確な判断をした、という大前提があることになる。

与えられた材料の真贋を見極めるのも裁判官の仕事のうちになると思うが、

この点には一切触れない。

だから誤審でも、謝罪する姿勢がないのだろう。

 

素人には、または一般人には、こういったこと、捜索費用の明細や裁判官としての姿勢などを知る機会がない、また調べようなどとはしない。

報道の際に、情報を流してくれればありがたい。 

 

 

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友人はありがたい

2009年11月03日 | Weblog

友人の存在はありがたい。

今日、NYの友人がまた訪問してくれた。彼女はメキシコに姪がいる。その姪が結婚することになったので、和服を着たいが、ぞうりが無いので、ぞうりを買いたいと言う。

それで、すぐ近所の和服を扱うお店にいった。

店は、小さく、夫婦でやっていた。着物が飾ってあるわけでもなく、商品がたくさんあるわけでもなかった。

姪は165Cmあって、足も女性にしては大きい方だというので、大きいぞうりをだしてくれた。

価格は35,000円だが、半額にしてくれるという。

本革の、素人目にもお買い得だと感じた。

念のため、近くの着物専門店と、中古品を取り揃えた店を回ってみたが、

結局、最初の店が断然安いので、そこで購入した。

NYの友人は、土曜日にアメリカに帰国するが、

同じ日にペルーからまた3人やってくる。

友人が次から次へと訪問してくれるのは、楽しい。

 

昔、とても仲のよかった友人がいたが、

自分の不手際や心で、失ったことがある。

大切にしてきたつもりだったが、つもりは、自分への言い訳で、相手には届かないことを、思い知らされた。

失ったとき、辛かったが、それ以上に相手を傷つけたことに自分の至らなさを感じた。こういえば、なんとなく外向きの感覚だが、

実際の気持ちも、まったく同じだ。だから、よけいに、こんなことは相手には言えない。

 

失っても、失った友人は、ありがたいし、

今いる友人を、また大切にしようと感じた。

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貢献度の大書も

2009年11月02日 | Weblog

ネットには、様々な情報があふれかえって、なにが本当か、判断に苦しむ。

別に判断する必要のないこともあるが、

たとえば、インフル・ワクチン、タミフルに対しての専門家の見解などは、

テレビのニュースとは180度異なっているので、これは個人で判断するしかない。

 

情報満載が、素人にはありがたい。

マスコミには決して載らない材料や、考え方を、とりあえず参考にできるからだ。

マスコミの報道には、偏りがあり過ぎる事も知られてしまっている。情報が一方的なら、簡単には信じてはならない。

 

科学的と言う言葉には、なんとなく説得力を感じる。

実際に科学的かどうかは分からないが、科学的などと使われると「そうなのかな」と思ってしまう。

いい例がタバコだ。

パッケージに注意書きがど~~んと大書してあるが、あれは、しかし科学的根拠に基づいたものなのか、よく分からない。

科学的ではないが、煙を吸い込めば、身体にはよくないことは、わかる。どんな動物だって好んで一定の煙は吸わない。

そのよくないことの程度の問題だろうと、考えているが、

世間が嫌うほどよくないのか、これには疑問がある。

酒とタバコの、社会に与える悪影響を金額であらわしたものがあるといいが。たぶん、どこかにあるだろうと思う。

実は、疑問などどうでもいいが、

タバコを吸っている人々の社会に対する貢献度は、税金だけでも大変な額になる。

健康被害を大書するなら、こちらの方もパッケージに大書したらどうかと思う。

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大学駅伝

2009年11月01日 | Weblog

大学駅伝、見ていて楽しい。

限界まで走る姿は、感動を覚える。

が、お正月には、また箱根を走る。

素人目にも、こんなにレースがあったのでは、伸びる才能もとまってしまうのではないかと、感じてしまう。

スポーツの世界に詳しいわけではないが、またスポーツの種類によっても違うだろうが、特に、長距離ランナーは、

練習すればするほど、伸びるもの、だということはないのではないか。

肉食動物は毎日練習をこなしているわけではなく、餌をとるときだけ全力を出し、そのほかは、だらだら日がな寝そべっている。

長距離レースは年、どのくらいの参加が適当なんだろうか。

大学生には、参加するレースが多すぎるような気がする。

将来マラソンランナーを目指すことと、目指さないこと、この二つの間には、まったく異なる練習というか、世界があるような気がする。この二つを一緒に、同次元でやっていることに無理があると、思う。

 

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