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つれづれの記

日々の生活での印象

誕生日と身辺の変化ー歳祝い

2014年07月10日 11時12分58秒 | 日記

2014年7月10日(木) 誕生日と身辺の変化―歳祝い 

 

  この3月、筆者は、満75歳の誕生日を迎えたが、五体満足とはいかないまでも、よくぞここまで、なんとか持ちこたえて来たものだ、という感慨がある。

 

  長い人生航路の中で、節目節目に、年齢に関わるお祝い事や行事がある。

  子供の頃の誕生祝いや七五三、入学・卒業祝い、成人祝い、就職祝い、結婚祝い、等は、取り分け、重要な行事であろうか。その後も、転勤・転職・転居、銀婚・金婚祝い、長寿祝いなど、数え挙げればきりがない。

一方、我が国の伝統的な慣習で、男女の、厄年に関わる行事などもある。

 

  これらの行事は、総じて「歳祝い」と言えるだろう。神社に御詣りに行く、などの若い頃の行事が「歳祝い」で、還暦以降は、区別して「賀寿」としているサイトもあるが(年回り早見表)、後者は、一般には、「長寿祝い」と呼ぶだろうか。

 

  誕生日に関する身辺を巡る社会的な変化について、手始めに、往年からの行事である、上記の長寿祝いについて、取り上げることとしたい。 

 

 

◎ 平均寿命の推移

  まず、我が国の平均寿命の推移をみて見ると、下表のようだ。現在では、おおよそ、男は80歳、女は86歳と、世界に冠たる長寿国である。  

       

                      (平成24年簡易生命表、国民生活基礎調査の概況 

  でも、表をよく見ると、戦後間もない、昭和22年の数字が、おおよそ、男が50歳、女が54歳だった、というのは驚きである。

現在、NHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」で話題の、戦国時代の武将 織田信長は、

     “人間50年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。 ひとたび生を得て、------------”

と「敦盛」の一節を謡いながら舞ったと伝えられる。

       信長の舞(NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」より) 

  その後は、江戸時代を経て、昭和の終戦頃までの360年程の間、この齢50年というのは、殆ど、変わっていないのだろうか。

否、ネットのあるサイトによれば、男子の平均寿命は、往時は、

       大正10年   42.1歳

      江戸時代中期  36.8歳

程度だったとある。(江戸時代の平均寿命とエネルギー消費量 )   更に遡る信長の頃は、もっと短く、謡にある50年は、当時は夢だったのかも知れない。    

 

  そしてそれが、表にあるように、昭和22年から平成24年までの、65年程の間に、+30年も急激に伸びて来ている、ということで、異常とも言える状況だろうか。

  長寿化していること自体は、喜ぶべきことで、次項に述べる長寿祝いも、大いにやりたいものだ。 一方、急激な長寿化には問題や課題も多いが、これらについては、今後、機会を見て触れる事としたい。

 

 

◎ 長寿祝い

◇ 長寿祝いのスタートは、60歳の「還暦」だろう。

  前述の表では、平均寿命が60歳を超えたのは、戦後間もなくのことで、現在では、還暦は、長寿というよりも、通過点という感じだろうか。

でも、往時としては、生まれた年の干支(えと)が、61年目に戻ってくる迄長生きする、ということは、大変な歓びだったことであろう。 

 

  還暦の意味や干支(えと)などについては、以前、当ブログの、下記記事で触れているので、省略したい。

         干支の楽しみ  その1  2010/3/24

         干支の楽しみ  その2  2010/3/25

 

 一般には、還暦のあたりは、人生の仕上げの段階で、公私に亘って、そろそろ現役を交代する頃だろうか。

 筆者関連の歳祝いの行事としては、中学校時代の同期生の還暦祝いの集まりがあり、地元の神主を呼んで、お祓いもやって貰っている。

 又、夫婦揃っての還暦記念に、下図のような、定番のカラーである赤い色のテレフォンカードを作って貰い、知人等に配っている。 

             

 

  中国には、古来、目出度いものの代表として、以下のような「福禄寿」があるが、これらの三拍子が揃うのは、古今東西、たやすいことではなく、庶民の願望だろう。 

       福(幸福):家庭円満 

       禄(財産):商売繁盛  

       寿(長寿):健康長寿 

 

◇次は、70歳の「古希」だろうか。還暦の10年後に当たり、現役を退き、ほぼ自適の身となるが、身体のあちらこちらに、不具合が現れて来る。

  古希の語源は、周知のように、杜甫の、「人生七十古来稀なり」からきているようだ。往時だけでなく、それ以降も長い間、70歳は、稀であったようだが、前述の表にあるように、我が国で、平均寿命が70歳を超えたのは、昭和45年(1970年)頃で、現代では、そんなに、稀ではなくなっている。

  お祝いの色は、紫という。

  この時も、筆者は、出身地での同期生による古希の祝いの集まりに参加している。

 

 

◇そして、古来、77歳は、「喜寿」の祝いと言われる。 その訳は、喜(よろこぶ)という縁起のいい漢字を、草書体で崩して書くと、七十七 となる事から、この年齢の時に祝うようだ。

 前述の表にあるように、平均寿命が77歳を超えたのは、平成12年(2000年)頃で、現在まで、すこし、経過している。

喜寿の祝いでは、古希と同じく、紫がお祝いのカラーという。  

 

 ここで、やや、脇道に入るが、喜に因んだ、漢字の話題にしたい。 

 言うまでも無く、漢字には、楷書、行書、草書、などの書体があり、もっとも崩したものが、草書という。 

 使用中のWORD2007のフォントには、残念ながら、本格的な草書体は無く、HGP白州行草書体などが入っているだけだ。 従って、「喜」に関しては、 以下のようになり、どれも、到底 七十七 には見えない。 

                

一方、手持ちの古い漢和辞典から取り込んだ画像は以下のようになり、こちらは、七十七 に見える。

       漢和辞典の草書体  

 

 喜という字を崩して書くと、このようになるというのは信じがたい事だ。 普段、筆を使って漢字を書き慣れると、略したり崩したりすることも多くなると思われるが、草書では、どの様なデフォルメが行われるのだろうか。 

木を三つ重ねた森と言う漢字のように、吉を三つ重ねた、嚞(テツ)という漢字もあるようだが、これが、喜の、古字・元字かもしれない。  

 

「余談」:筆者ゆかりの地、仙台に、七十七銀行と言うのがある。あれは、国立の、第一銀行から始まって、77番目に出来た銀行と言う事で名付けられたようだ。

 1878年(明治11年)の創業のようで、喜寿どころか、130年以上にもなる有力地銀だが、“しちじゅうしち”は、やや言い難いものの、印象に残るネーミングである。

 

 

◇今回、初めて知ったのだが、66歳の「緑寿」(ろくじゅ)の御祝い、というのがあるようだ。(長寿祝い「緑寿」 | ご長寿万歳

 2002年に、日本百貨店協会が提唱したもののようだ。環境やエコをイメージさせる、緑(ミドリ)と言う字は、普通はリョクと読むが、ロクとも読める(稀な用例:緑青―ロクショウ)ことから、66歳を、ロクロクとし、緑寿としている。

 還暦と古希の中間に来る慶事で、日本人好みの、「ぞろ目」の歳祝いなのだが、やや無理なネーミングもあってか、殆ど一般化しておらず、余り広まってはいないようだ。

 

 

◇今年、平成26年(2014年)は、筆者の、「喜寿祝い」の年に当たる。次稿で、関連する行事等について、具体的に取り上げたい。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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