へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

再び後期高齢者医療制度について

2008年06月06日 04時03分19秒 | Weblog
与党は「内容を修正」、野党は「廃止」と、大揺れの後期高齢者医療制度なのだが、何故に与党が存続に固執するのか、従来と違った視点で考えてみたい。
「年寄りは死ねと言うのか!」と言う声も聞こえてくるのだが、私個人の気持ちから言うと「その気持ちもよくわかる」と言いたいのだが・・・・、個人的感情論で物事を解決してよいものだろうか?。
この問題を「冷静かつ客観的」に考えてみると、「物事の基本原則」から言っても「高齢者の負担増は止むを得ない」と言う事になるだろう。
「そんな馬鹿な!」と思うかもしれないのだが、人間だけを特別視せずに考えて見て欲しい。
一つの例として「自動車」の事を考えてみればわかるのではないだろうか?。
「自動車と人間の何処に関係があるのだ!」とお叱りを受けそうだが、けして無関係とは言えないのである。
それではどんな関係があるのかと言うと、新しい車は、人間で言えば若い世代と言ってよいだろう。
つまり、新しい車は故障も少なく、部品を交換する必要も余り無いため、維持費は少なくて済むのだが、年数を経る(人間が年を取るのと同じ事である)と、「故障も増え、部品の交換も必要にり、維持費がかかるようになる」と言う事になるのである。
この維持費は一体誰が負担するのであろうか?。
車であれば「車の所有者」が負担するのは当然の話なのだから、増え続ける高齢者の医療費の負担も、当然の話「高齢者自身」と言う事になるであろう。
民主党が制度の廃止を主張しているが、廃止をすれば、その分は「若い世代に負担を押し付ける」と言う事になるであろう。
国民一人当たり800万円と言う膨大な借金の付けを回し、その上に「年金、食料、資源、温暖化などの環境問題・・・・・」と、様々な不安材料を抱えた次世代にこれ以上の負担を掛けてよいのであろうか?。
若い世代が成り立たなくなれば、私も含めた高齢者は「共倒れ」と言う事になってしまうであろう。
大阪府では財政再建のために「大幅な歳出削減」と言うことが計画されているが、けして「対岸の火事」ではなく、「明日は我が身」と考えなくてはいけないだろう。
「大幅な歳出削減」に対しては、様々な「不平・不満」が出てきているが、今のうちに抜本的な対策をとらなければ「夕張市の二の舞」と言う事になり、「もっとひどい状態になる」と言うことを覚悟しなくてはならないだろう。
日本の財政状態から考えれば、「高齢者医療制度の導入は止むを得ない」と言う事になるのである。
後期高齢者=クラシックカー、と考えれば納得が行くのではないだろうか?。
クラシックカーに乗るのは「非常にお金がかかる」と言うのと同じ様に、高齢者が生きてゆくためには「多くの医療費が必要になる」のである。
その負担を若い世代に押し付けるのは「理不尽」だと私は思うのだが・・・・。
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「有権者」と言う気楽な家業 | トップ | 福田内閣の支持率が向上 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ブログに感じた事 (河原 真)
2008-06-08 01:00:48
おじさんの例えでしっくりこなかった例えが一つあります。それは高齢者をクラシックカーに例えている事です。それ以外はおじさんの意見に賛成です。今日ニュースで、2055年には4人に1人が高齢者となると言う事が報道され、どうも人気とりに走っていて、根本からの解決にはなっていないと言う事も言われてました。なぜ長期的なものの見方が出来ないのでしょうか?今は党派を超えた話し合いが必要な時ではないか、また我々国民にもそういう政治家を選んだ責任の一端はあると思う。
返信する
一つの例えとして使ったのだが・・・・ (へそ曲がりおじさん)
2008-06-08 01:42:59
クラシックカー=古い車=年数を経た車=高齢化した車、と考えてもらいたい。更に厳しい言い方をするなら「クラシックカーとして残れるのは、『それなりの値打ちのある車』」と言うことで、それ以外の車は維持費が掛かり過ぎるために廃棄されてしまう。綺麗事を並べて問題が解決するのならよいが、かえって問題を複雑にしてしまうだろう。時には心を鬼にする必要も有ると思うのだが・・・・。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Weblog」カテゴリの最新記事