へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

人類に未来は有るのか?

2007年09月19日 04時55分15秒 | Weblog
空想科学の世界では、すばらしい世界が「空想」されている。
しかし、現実の話、そんな明るい未来が待っているとは思えない。
今現在でさえ、エネルギー、食料などの問題が起きている。
新しいエネルギーの開発など、夢物語ではないだろうか?。
電気などは、太陽光、風力などである程度まかなえるかもしれないが、限界が有る。
一番の問題は、現在大量に作られている「石油製品」である。
石油以外の原料から、プラスチックを作る研究がされているのだが、これもバイオ燃料と同じで、直接・間接を問わず人間の食料になるものが殆ど。
本格的に生産すると、「人間の食料」が不足してしまうだろう。
食糧の増産をしようにも、耕地面積を増やそうとすれば、森林を伐採するなどの「環境破壊行為」が起きる。
今以上に「環境破壊」が進んだらどうなるのだろう?。
地球の温暖化が進み、「海面の上昇」「異常気象」・・・・・・。
「人類は優れた知能を持っている」と言う人がいるが、とても信じられない。
「墓穴」を掘っている様なものでは?。
アフリカ、南米、ニューギニアなどに住む、「原始時代」に近い生活をしている原住民の生き方が正解のように思える。
それ程遠くない将来、「文明社会」が滅んで、「原始生活に近い生き方をする人たちが生き残る」と言う事も有り得る話である。
それ以外にも、「医療の発達」が人類を滅ぼすかもしれない。
「医療の発達」は、「助からない命」を救う事になるのだが、喜んでばかりいられない。
自然界では、「強い遺伝子を残し、弱い遺伝子は残さない」と言う事で、「種」を維持している。
人類だけが「自然の法則」に反した事をしている。
「明るい未来」「明るい日本」が「絵空事」にならなければいいのだが。
「景気の回復」を望む人が多いが、景気の回復は、一方で「墓穴」へ進む速度を速めることになる。
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久しぶりにオカヤドカリの事など

2007年09月17日 22時10分54秒 | Weblog
少し前にオカヤドカリの色について書いたのだが、あちこちのブログの写真を見ると、概ね、体色と貝殻の色が似ている。
体色に合わせて貝殻を選ぶのか、貝殻に体色を合わせるのか?。
何となく後の「貝殻に合わせる」ように思う。
自然界はもとより、飼育下では、体の色に似た貝殻を探すのは難しい(色が同じでも大きさが違ったらダメ)。
或る程度@の色は「保護色」と考えた方が良いかもしれない。
自然界では、弱い物(食物連鎖の下位に居る物)は、保護色、擬態、数等で「種」を維持している。
暗い夜間では、保護色や擬態は意味を成さない。
ここでまた「オカヤドカリは夜行性」と言う事に疑問が生じてしまう。
人影に驚いて、「流木から落ちる」、「慌てて逃げる」、「貝殻に引っ込む」、等と言う事は夜行性の生き物では余りない。
「動く物に反応する」と言う事も、夜行性では考えにくい。
「触覚」の長さも、夜行性にしては短いのでは?。
ナンとも「オカヤドカリの生態や飼育法」には「疑問な部分」が多すぎる。
これは「止むを得ない事」ではある。
希少生物である、パンダ、コアラ、ラッコ、・・・・・・。
動物園などで、専門のチームが24時間体勢で観察・研究しても「解らない事だらけ」なのだ。
オカヤドカリなど、詳しく研究観察した人などいないであろう?。
もし居られたら教えて欲しいものです。

先ほど、或るブログで「大きな@が、小さな@を鋏で突き飛ばす」と言うシーンを見た。
人間社会から見れば「乱暴な」と感じるだろうが、自然界では「極、当たり前」な事です。
人間社会と違って、「厳しい生存競争」の自然界では、多くの場合「体の大小」で「上下関係」が決まります。
大きさの差が大きく成れば成る程、悲惨な結果(共食いなど)に成る危険が増加します。
「共食い」と言う、人間の目から見ると「残酷」な事も、厳しい生存競争を勝ち抜く為には「仕方ない」事なのです。
人間だって、共食いこそしないが、生きて行く為に「多くの生き物の命」を奪っているのです。
「多くの生き物の命」を奪っていると言う感覚が無いのは、自分の目の前で「命を奪う」と言う行為が無いからです。
牛肉が好きな人でも、「目の前で牛が殺される」のを見たら、多くの人は食べられなくなるのでは?。
牛肉が好きな私でも自信は有りません。
小さな生き物の場合は、「このような感覚」が余りなくなるのは、我ながら「残念」です。
人類だけが、「脳細胞の発達」により、「優れた知能」を得た。
その「優れた知能」のおかげで、繁栄して来た。
しかし、この繁栄は何処まで続くのだろうか?。
「物には限度」と言う物がある。
「科学技術で解決出来る」と言う人もいると思うが、私はそうは思わない。
すでに「破滅への道」を歩んでいるかもしれない。
「滅亡する」事は無いかも知れないが、生き残るとすれば、アフリカ、南米、ニューギニア等に残る、「原始時代」に近い生活をしている人たちではないだろうか?。
彼らが生き残る確率は、可也高いだろう。
しかし、「核兵器」が使われた場合はダメかもしれない。
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「多数」と言う名の「数の暴力」

2007年09月16日 23時08分55秒 | Weblog
何事も、数が多いか少ないかで決まる世の中。
本当にこれで良いのだろうか?。
一体、数が多いか少ないかは、何を基準に考えているのだろうか?。
選挙のたびに「一票の格差」が問題になる。
大都会の一票と、地方の一票が同じに扱われている。
これで良いのだろうか?。
大都会がどれほど地方(過疎地)の恩恵に浴しているか考えて欲しい。
私が住んでいる地域は、中間的な場所にある。
大都会でもないが地方でもない。
大都会に住む人たちは、食料や水・電力等、生活必需品の多くを地方(過疎地)に依存している。
しかし、大都会に住む人たちは、地方の為に何をしたであろうか?。
水源地の保全、農・林業の維持、・・・・。
いずれの問題にも、「知らぬ顔の半兵衛」である。
これが出来るのも、大都会に住む人間の数。
数に物を言わせて、自分達の主張を押し通す。
タイトルに書いた「数の暴力」である。
今の政治のやり方で行くと、「地方には住むな!」と言うのと同じである。
農・林・漁業の後継者がどんどん減ってきている。
このまま減り続ければ、やがては農・林・漁業をする人がいなくなってしまうのでは?。
「そうなったら、外国から輸入すればいい」と言う人もいるだろう。
一時的であれば、輸入でしのぐ事も出来るだろうが、輸入する為のお金はどうするのだろう?。
現在は安く手に入るものが多いが、これからは「そおは問屋が卸さない」と言いたい。
すでに、バイオ燃料の影響が出始めている。
そして、かつては穀物の輸出国だった中国が、今では輸入国になっているのである。
同じ様な国が、これからも出てくるだろう。
原油もまた然り。
簡単に輸入できない時代が来るだろう。
それよりも「水」はどうなるのだろう?。
水源地を守る人たちがいなくなった時、・・・・・・。
それが現実の問題になる頃には、私はこの世にいないであろう。
私が何をどうこうと言って見ても、大都会に住む人間の数の前では無力である。
この問題を取り上げる人は、極僅かである。
そして、仮に取り上げたとしても、大都会に住む人の数に押しつぶされ、何処かに消えてしまうのだ。
数の持つ力は、正しく使えば問題ないのだが、使い方を間違えると「数の暴力」になってしまう。
現代社会では、多くの場合「数の暴力」になっているように感じる。
確か、「民主主義の基本は、相手の話を聞く」ではなかっただろうか?。
「自己主張だけして、相手の話しを聞かない」と言う社会は、「民主主義国家」とは言えないのではでは?。
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麻生か福田か?

2007年09月15日 21時48分21秒 | Weblog
どちらが総理になったとしても、状況に大きな変化は無いだろう。
大きな変化は期待しないほうがいい。
大きな変化には、其れなりの「代償」を払わなくてはならない。
「あちら立てればこちら立たず、こちら立てればあちら立たず」。
両方とも立てることは、「至難の業」と言わなければならない。
「目先の欲得」でコロコロと変わる国民。
再び「前人の徹」を踏まなければ良いのだが。
安部総理の突然の辞任。
様々な批判がされているが、的外れな批判が多いように感じる。
予めお断りをしておく。
私は、自民党の支持者でもなければ、阿部さんの支持者でもない。
冷静な第三者として、中立の立場で考えている。
話を元に戻そう。
「安部総理の突然の辞任」、これは、政界だけでなく広く国民も含めた「多数の人間によるいじめ」による物と言える。
「自殺」と言う言葉があるが、今回の問題は、集団によるいじめに耐えかねて、総理大臣という肩書きが「自殺」したのである。
改革改造を強引に推し進めた張本人の擁護も得られず、「孤立無援」の状態では仕方ないであろう。
学校でのいじめは問題にされても、このような大人の社会でのいじめは許される。
「何をか言わんや」である。
今の日本人には、物事を深く掘り下げて考える能力が欠けているように感じる。
一ヶ月ほど前の事であるが、TVで「憲法九条」について討論会が開かれていた。
その中で、「外国が攻撃して来たらどうするか?」と言う質問があった。
会場での回答には無かったのだが、街頭での質問では、多くの若者が「外国に逃げる」と言うのである。
一体どうやって逃げると言うのだろうか?。
四方を海に囲まれた島国日本。
飛行機や船で逃げるなんて、「余程の幸運」でも無ければ無理。
「泳いで逃げる」とでもいうのであろうか?。
このような「単細胞的思考」しか出来ない人間が増えているのである。
政治の世界がおかしくなるのも当然である。
私利私欲から、「税金の無駄を無くせ」「公務員を減れせ」「税金を減らせ」・・・・・・・。
あれこれと文句を言っている当の本人は、毎日無駄な事をしている。
「携帯のお金が払えなくなる」「車のローンが払えなくなる」ので、給食費や健康保険税を払わない」。
携帯電話や車って、そんなに大切な物なのだろうか?。
そんな連中に限って、高い車に乗っている。
ナンとも矛盾した話である。
日本に「明るい未来」を期待するのは止めた方がいい。
少なくとも、私は期待していない。
行き着くところは、「自分の身は自分で守る」、「自己責任」の社会になるのではないだろうか?。
他人(政府)に頼ってばかりいては、何時何が起きるかわからない。
新しい総理大臣に「過大な期待」は抱かない方がいい。
「私利私欲」を求める国民の「欲望」を充たす事など、「絶対に」出来ないのだ。


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安部総理大臣辞任

2007年09月13日 04時11分48秒 | Weblog
なんともまあ、可哀相な事である。
選りによって、一番悪い時に総理大臣になったものだ。
要するに「貧乏くじ」を引いたのだ。
小泉総理の後を引き受けた当時は予想出来なかったのであろう。
当時、私はまだブログは始めていなかった。
始めていたら、このことを書いていたであろう。
小泉総理による改革改造路線、これには数々の問題を抱えていた。
しかし、その後始末は誰がするの?。
何事も、始めるのはそれ程難しい事では無い。
しかし、上手く行けばよいが、上手く行かなかったときの後始末は大変である。
小泉総理の「腰巾着」であった、竹中議員が任期途中で議員を辞めたのがその現れである。
この事は、政治の世界だけの話ではない。
政界に限らず、一般の会社や組織でも同じ事が起きる。
阿部さんの後は誰が引き受けるのであろう?。
現状では、誰がやっても同じ様な事になるのでは?。
ここは思い切って、民主党の小沢さんにやらせてみるのも面白いのでは?。
安部総理辞任に関するインタビューを聞いていると、相手が言ったことを批判したり、揚げ足を取るだけ。
批判するだけなら誰にでも出来る。
批判するのではなく、建設的なことが言えないものだろうか?。
批判からは何も新しい事は生まれない。
これは、我々有権者にも言えることである。
政治の腐敗と、国民の腐敗とは無関係ではないはず。
どちらが先に腐敗したかは、難しい問題である。
「私は違う」「俺は違う」と言う人もいると思うが、これはどちらにも言える事。
本当に「自分は違う」と言い切れるだろうか?。
自分が思うような事をしてくれない(私利私欲)からと言って、支持者(政党)を変えたり、無関心で投票しない事も同じである。
目先の私利私欲にとらわれない、長期的視野に基ずいた考えを持って欲しい物である。
以前書いた事があるのだが、今の日本は、人間にたとえれば、壮年期から老年期にになるあたりだと思う。
体力気力とも衰えは隠せず、成人病などにも気を付けなくてはならない。
目先の利益だけを考えていると、思わぬ落とし穴が待っているかもしれない。
体力の衰えた今の日本、あれもこれもと過剰な希望をすると、無理がたたって・・・・・、と言う事も。
新しい総理大臣に誰がなるのか?。
「茨の道を歩む」なんて事にならなければ良いのだが。
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オカヤドカリの色

2007年09月11日 22時55分26秒 | Weblog
一部の業者が、「変わった色の@」と言って高値で販売している。
@の体色はどの様にして決まるのであろうか?。
私の感じから言うと、一種の「保護色」のように感じる。
我が家の@たちは、昨年11月から今年7月まで、特別な照明をしないで飼育してきた。
上面と側面の2方向は、発泡スチロールで囲っていたので、「それ程明るいとは言えない」と言うより「暗い」と言った方が正解かも。
7月に新しい飼育容器に替えた時には、全ての@が、昨年購入した時と比べて色が薄くなっていた。
全体に、白っぽい感じになっていたのである。
ところが、2ヶ月ほど経った最近では、可也色が濃くなっているのだ。
発泡スチロールは無く、熱帯魚用の蛍光灯で照明出来るようにしたので、全体に以前より明るくなっている。
ところが、全体に色が濃くなってはいるのだが、白っぽい貝殻に入っている@は色が薄いままである。
そして、色の濃い貝殻の@は、色が濃くなっている。
貝殻の色に体の色を合わせたのか?、体の色に合った貝殻を探して入ったのかは解らない。
時々「脱皮したら色が薄くなった」と言う話を聞く。
我が家の@たちもその傾向がある。
昨年購入した時に、Mサイズに近い一匹の@が、鋏の先がムラサキ色になっていたのだが、今は消えている。
この事から考えると、@の為には「或る程度以上の光が必要」ではないだろうか?。
特に、濃い紫色にするためには、光が必要なのかもしれない。
また、この事から良く言われている「オカヤドカリは夜行性」と言う事も疑問に感じる。
@は夜行性ではなく、「昼夜関係なく活動する」と考えた方が良いだろう。
ネットでいろいろと調べてみたのだが、「オカヤドカリは夜行性」とする根拠が見つからない。
或るサイトで、「沢山のオカヤドカリを、明るいところと、暗いところの有る容器に入れたところ、全て暗いところに集まったので、オカヤドカリは夜行性である」等と書いてあった。
こんな実験で、夜行性かどうか解るのだろうか?。
「馬鹿げた話」である。
湿度についても、その根拠が解らない。
いい加減な情報でも、世間一般に広がって信じられてしまうと、これが「常識」とか「定説」になってしまう。
「常識」「定説」=「正解」「真実」とは言えないのである。
昔から「常識のウソ」と言う言葉が存在する。
「常識のウソ」と言う言葉が存在すると言う事は、それだけ「常識にはウソが多い」と言う事にもなる。
私があえて「へそ曲がり」と自認するのは、その事に起因するのだ。
皆と同じ方向から見れば、皆と同じ物しか見えない。
へそ曲がりな私は、常に違う方向から見ている。
誰の意見を信じるか?。
それは、個人の自由である。
そして、それによって起きる結果は、当然の事、「自己責任」で取るしかない。
安部総理大臣による「大臣の任命責任」が問われているが、安部総理大臣を選任した、国会議員やその他の関係者を選んだ(任命した)国民(有権者)の責任は?。
政治の腐敗は、国民(有権者)の腐敗と切り離す事は出来ないだろう。
どちらが先かはわからない。
「鶏が先か、卵が先か?」と同じ事ではないだろうか?。
「人の振り見て我が振り直せ」、難しいがね。


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温暖化?による環境の変化

2007年09月10日 03時13分52秒 | Weblog
昨日、今まで見た事の無い緑色をしたトカゲを見た。
其の時は気が付かなかったのだが、「特定外来生物」に指定された、グリーンアノール、ではないだろうか?。
我が家の周りでは、毎年沢山のトカゲを見ることが出来ます。
トカゲが多い年はムカデが少なく、ムカデが多い年はトカゲが少ない。
しかし、緑色のトカゲは見たことが無い。
近所の家で飼育していたものが逃げだしたか、飼育を放棄した可能性がある。
小笠原諸島で大発生して問題になっている話は聞くが、埼玉県西部では冬越しするのだろうか?。
もし冬越しして繁殖するようだと大変である。
今度見つけたら何とか捕獲したい。
今年のトカゲだけでなく、最近は、従来見かけなかった生き物が増えている。
そして、反対に減っている生き物も居る。
セミはその代表的なものである。
今年はセミが非常に少なかった。
アゲハチョウの仲間も余り見かけなくなった。
反対に、今まで見た事も無いチョウを見かける。
鳥も、見た事の無い種類が庭にやってくる。
二年前までは、食べ切れないほどに実ったブルーベリーの実が、全て食べられてしまう。
以前は、ヒヨドリが良く食べに来ていたのだが、多少収穫量が減る程度であったが、今は殆ど採れない。
何しろ、色付き始めた未熟な実まで食べてしまうのだ。
何とも困った事である。
そして、ハクビシンまで現れたのだ。
栗と柿が狙われる。
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オカヤドカリ冬越し用ヒーター完成

2007年09月06日 04時43分43秒 | Weblog
あれこれアイデアを考えていたが、理想に近い物が出来上がった。
去年の物を拡大した物。
去年は550mlのペットボトルに、30Wの温度固定型ヒーター(26度に設定された熱帯魚用)と水を入れて砂に埋めて砂の中を保温し、地上は、或る電気器具の10Wのヒーターで保温していた。
今年はペットボトルを、焼酎が入っていた4リットルの物に替え、ヒーターも60Wの温度固定型に替えた。
容量が7倍以上になった事により、表面積も広がった。
ヒーターの出力も2倍になったので、保温能力も大幅にアップ。
これ1台で、砂の中と地上の両方の保温が出来る。
「砂の中にヒーターを入れると乾燥して危険」と言う人も多いでしょう。
しかし、本当にそうなんだろうか?。
実際には、心配するほど乾燥はしないのです。
私の場合は、ドライに近いウエットなので、乾燥予防に少量の水は入れました。
しかし、7月に砂を取り替えたときには、予想以上に砂は湿っていました。
乾いていたのは表面だけ。
それでは何故、予想以上に湿っていたのでしょう?。
答えは至って簡単。
冬場に発生して問題になる、結露です。
湿度を低めに保っている私の場合でも、結露は防ぐ事が出来ないのです。
結露も、少しならガラス面に留まっていますが、或る限度を超えると垂れてしまいます。
つまり、砂の中の水分は蒸発しますが、限られた容器の中で結露して砂に戻るのです。
「乾燥は大敵」と言われていますが、私は疑問に感じます。
猛暑の今年8月、3週間以上にわたって、平均50~60%、40%以下になった日が3日もあったと言うのに、我が家の@たちは皆元気です。
このような悪条件の中、空中脱皮、と言う離れ業をやってのけた@が2匹も居るのです。
私が1年半@を飼育して感じた事は、@が死ぬ原因の多くは、乾燥ではなく、流通段階での管理不良による、細菌等の感染症による物が多いのではないだろうか?。
私の飼育法はこれからも、「カビと臭いの発生を防ぐ事」に重点を置きます。
当然の結果として、湿度は自然に任せます。
雨の日などに、自然に高くなるのは仕方ありませんが、低くなったからと言って、特別には何もしません。



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昨日のオカヤドカリ

2007年09月04日 22時20分45秒 | Weblog
昨日は室温25度、湿度70%。
気温に馴れて来たせいか、多少動きが良くなっていた。
今日は30度あるので、動きは良い。
南国生まれの@たちにとって、活動しやすいのは25度以上に感じる。
熱帯魚も、26度くらいが適温と言われている事から考えると、この辺りが妥当なところか?。
9月にはいって少しずつ気温が下がってくると、そろそろ冬支度を考えなくてはならない。
「もう冬支度?」と思う人もいるかもしれないが、@にとって、気温が20度以下になるということは大変な事なのです。
20度以下になったら、直に死ぬ、と言う事は無いのだが、15度以下になると注意しなくてはいけない。
それでは、どうすれば良いのか?。
「熱帯魚のようにヒーターで保温する」、これは出来ません。
結論から先に言うと、@の保温に適した器具は売られていません。
各人各様に、様々な保温用器具を工夫して使っています。
どれが良いのかは、現時点では判断出来ません。
私の場合は、独自に手作りしています。
今年は、去年とは違うものを作る予定です。
電気を使うものなので、知識の無い人は、手作りは止めてください、非常に危険です。
マンション、集合住宅など、真冬の明け方でも20度以下にならないところでは、保温の必要は無いでしょう。
15度以上が保てるようであれば、無理に保温せず、「半冬眠状態で冬越しする」と言う手も有ります。
この場合、見て楽しむ、と言う事は出来なくなりますがね。
沖縄辺りでも、冬は15度以下になる事もあり、半冬眠状態で過ごしているようです。
メーカーが、@専用の保温器具を作ってくれると良いのですが、ユーザーの希望する価格と、メーカーの採算の取れる価格には大きな差が有るようです。
大量に売れる見込みが無い以上、仕方ない事です。
「砂の中と地上」、と言う全く違う条件を、「一つの器具で保温する」と言うのは至難の業です。
私の場合は、「砂の中と地上」を、別の器具で保温しています。
夏場は問題ないのですが、冬はなんとも世話の焼ける生き物です。
遅くとも10月中頃までには完成させなくてはいけないので大変です。
アイデアは幾つかあるのだが、それをどの様に作り上げるか。
それを考えるのも、楽しみの一つではあるから、苦にはならないのだが。
出来なかった場合は、去年の物を流用すればよいのだから気は楽です。
今年初めて飼育を始めた人は大変ですね。
私も去年は苦労しました。
去年苦労したおかげで、今年が楽、と言うわけです。
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最近のオカヤドカリ

2007年09月03日 05時36分40秒 | Weblog
一週間前の暑さは何処へやら、ここ数日は涼しい日が続いている。
室内の温度は、最高でも26度、暑かった頃に比べて10度近く低い。
最低気温も6度近く低くなって22度。
人間にとって過ごしやすい気温も、亜熱帯生まれの@にとっては少し低いようである。
急激な温度低下の影響か、@たちの活性が低下している。
温度は、冬にヒーターを入れたときと同じくらい、@にとっては、辛い季節の到来である。
湿度は、殆ど晴れる事がないため、70%以上ある。
暑い時期には殆ど潜らなかった砂の中に、今は4匹が潜っている。
3匹は、深さ15センチの底まで潜っているのが確認できる。
脱皮の可能性もある。
脱皮となると、10月にヒーターをセットした冬用の容器に取り替えるまでに出てきてくれるだろうか?。
万が一出てこなければ、地上に居る@だけ移動させ、後は出てくるのを待つしかない。
一年前も、二匹が10日余り出てこなかった。
ここで気を付けなければいけないことがある。
全部の@を同時に移した場合はそれ程問題は無いと思うのだが、何日間か別にした場合には、「新参者」として攻撃される事があるのだ。
戻す個体が大きい場合は、逆に攻撃する事もある。
最悪の場合、☆になる事もある。
残念ながら、昨年は一匹が犠牲になってしまった。
昨年は、飼育を始めて半年くらいの頃で、飼育方法も手探り状態。
試行錯誤で、色々と手をかけていたことも原因になったかもしれない。
今年になってからは、「出来る限り干渉しない」と言う事を基本にしている。
その事が「功を奏した」かは不明であるが、昨年までは時折見かけた「@同士の争う場面」は殆ど見かけなくなった。
当然の結果?、足や触覚の欠けた@は居ません。
大切に可愛がる余り、あれこれと手を掛けるのは、@たちにとって「余計なお世話」かも知れません。
あれこれと世話を焼きたくなる気持ちは良く解りますがね。
まして、ペットとして飼っている以上、@の動く姿が見えなければ飼う意味がありません。
ネットで様々な飼育法が紹介されていますが、それらの殆どは「ペットとして飼育する」と言う前提条件で考えられています。
私の飼育法が、他の人たちと違ってくるのは、この前提条件が違うからです。
前提条件が違えば、答が違うのは当然です。

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