「結構」という言葉は、肯定にも否定にも使われるが、外国人には奇異に感じるらしい。
ある外国人がおばあさんの荷物を親切にも持ってあげようとすると「結構です」と言われたそうだ。断っておくが、そのまま持ち逃げされると心配したという話ではない。
外国人は「結構です」とは満足ですという意味から申し出に喜んでもらえると思ったわけだ。ところが、おばあさんからすれば自分で持つことに十分満足しているとなる。したがって、申し出を遠慮するということだ。
「すみません」という言葉にも外国人は首をひねる。
荷物を持ってあげると「すみません」と言われた。「ありがとう」ではないか、なぜ、あやまりの言葉になるのかと。
この「すみません」は、相手に甘えてしまったことに恐縮したことから詫びる気持ちの表れであるそうだ。あるいはその親切に対しお返しに応えることができなかった気持ちの表れともいう。
外国人に日本語が難しいと思うのは、こんな言葉の使い回しがあるからではないか。
ある外国人がおばあさんの荷物を親切にも持ってあげようとすると「結構です」と言われたそうだ。断っておくが、そのまま持ち逃げされると心配したという話ではない。
外国人は「結構です」とは満足ですという意味から申し出に喜んでもらえると思ったわけだ。ところが、おばあさんからすれば自分で持つことに十分満足しているとなる。したがって、申し出を遠慮するということだ。
「すみません」という言葉にも外国人は首をひねる。
荷物を持ってあげると「すみません」と言われた。「ありがとう」ではないか、なぜ、あやまりの言葉になるのかと。
この「すみません」は、相手に甘えてしまったことに恐縮したことから詫びる気持ちの表れであるそうだ。あるいはその親切に対しお返しに応えることができなかった気持ちの表れともいう。
外国人に日本語が難しいと思うのは、こんな言葉の使い回しがあるからではないか。