本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

慶喜→勝→オランダ

2021-11-10 08:32:07 | Weblog
 慶喜があっさり大政奉還をしたので、西郷は泡を喰ったか、あるいは拍子抜けしたか。それで、全権を委任されていた勝から「江戸を明け渡す」と言われて、西郷は「あ、そうですか」となったのでしょう。

 勝はオランダのカッテンディーケなる海軍教師から2年間も学び、また咸臨丸で渡米したわけで、外国の座学(蘭学)もフィールドワーク(視察)もこなしたわけだ。内乱になれば、それに乗じて諸外国からつけ入れられる。両者の決断は正しかったのだ。

 ついでながらオランダのこと。
 あるとき、アムステルダムからフォーレンダムとマルケン島への観光コースを利用した。
 ここの見所は独特の民族衣装を着た漁夫や婦人である。もとより観光用の格好ではなく日常の普段着そのものとか。どんな服装かって。それはネットで見てくれ。
 名物は生ニシン。刻んだ玉ねぎを薬味に三枚におろした身をツルリと食べる。これはいけた。日本人向きだ。

 肝心の話。マルケン島に渡って、漁師の家を見学した。ある部屋に日本製の古い小型の茶タンスらしきものが置かれていた。そのタンスの扉に写真がはめこまれていた。十七、八歳の日本娘の上半身の着物姿である。セピア色に変色しているがきれいな娘だった。
 多分、幕末の頃か、この家の先祖がオランダ商船の船乗りで、来日したときに持ち帰ったのではないか。

 江戸時代初期から交流していた日蘭の小さな痕跡に出会った思いだった。

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