本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

三浦按針

2019-04-24 09:05:21 | Weblog
 今日4月24日は三浦按針(英国人ウイリアム・アダムス)が平戸で没した日とある。

 豆知識みたいな本によると、按針は家康に重用され、日本橋近くに屋敷を与えられた。その場所を以前は「按針町」」の地名であったようだが、今は「按針通り」という通り名が残っているのみのようだ。
 ついでに付せば、有楽町は織田有楽(信長の弟)の名からという説がある。

 さて、按針に帰国のチャンスがめぐってきた。家康の承諾を得たが、考えを変えて日本に残った。日本人妻と子どもがいたかららしい。この妻子や子孫はどうなったか知りたいものだ。

 日本に留まったのは、帰国すれば一介の船乗りにすぎないのだが、この国では重要な人物なのだ。そういう打算があったのではないかと思われている。なにしろ、英国もすごい階級社会である。日本では名字帯刀の武士扱いだから居心地がよいはずだ。

 ところが、家康が没したあと二代目秀忠には疎んじられたそうだ。それで失意のまま世を去ったとか。帰国していれば、オックスフォード大学の日本語の教授になれたかも。

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