本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

迂言法って何

2007-03-14 13:00:03 | Weblog
 レトリックに婉曲語法と迂言法がある。一口で言えば、婉曲語法は遠まわしの表現、迂言法は回りくどい表現となるようだが、どちらも優雅に、上品に示すレトリックだからオーバーラップしているようにも思える。

「死ぬ」ことを「亡くなる」とするのは、遠まわし即ち婉曲語法とされている。では「永遠の旅に出た、永遠の眠りについた」とすればどうか、語数が多さでは回りくどいが、美的な婉曲でしょうよ。
「彼は用心深い」は慎重という意味ではなく、怖がりとか消極的とかのつもりであれば回りくどい。でも、婉曲語法とされる。
「社会の窓が開いているよ」これは婉曲かな。
くりからもんもんの背中の人を「体に日本画を描いていた人」と言えば、これも婉曲でしょうね。
「おい、ねえちゃん、お酒、もう一本」自分の姉でもなければ姉娘でもない。女店員か若い仲居さんか知りませんが、このねえちゃんも婉曲語法になりますね。
 成績の悪い営業マンに「なんと、見事な成績」と上司が言う。レトリックに皮肉というジャンルもあるが、見方によれば婉曲ですわ。
 
 してみると、迂言法の表現とはなんだろう。ことさら分ける必要があるのかしらと思ったことでした。

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