コンプライアンス(compliance)は、「法令遵守」と訳されているが、専ら企業の不祥事に限定して登場する。しかも、違法性がない倫理意識の欠如にも使われている。例えば、クレームに対する説明責任も槍玉に挙げる。むろん、それは道義上問われてしかるべきことではある。
言いたいのは、なぜ、政治家は問われないのかだ。
過大な事務所経費や光熱水費が「法に則って適正に処理している」の一言だけだ。百歩譲って、悪法も法だからそれを盾にとれるだろう。しかし、国民のクレームに対する道義的説明責任を果たしていない。特に、政治家にはノブレス・オブリージュが要求される。ただし、あの農水相にノブレス(高貴なる)の一片もありそうもないが。
マスコミは政治家にコンプライアンスを持ち出さないのが不思議である。
言いたいのは、なぜ、政治家は問われないのかだ。
過大な事務所経費や光熱水費が「法に則って適正に処理している」の一言だけだ。百歩譲って、悪法も法だからそれを盾にとれるだろう。しかし、国民のクレームに対する道義的説明責任を果たしていない。特に、政治家にはノブレス・オブリージュが要求される。ただし、あの農水相にノブレス(高貴なる)の一片もありそうもないが。
マスコミは政治家にコンプライアンスを持ち出さないのが不思議である。
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