ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

『裏は見せたくなくて』

2014-04-30 07:17:46 | 日記
☆行方不明となり、施設で介護されていた男性が2年ぶりに家族と会うことができた。
☆認知症の男性が徘徊中に電車に轢かれて死亡。遺族の妻へ360万円の支払い命令。
こうしたニュース、高齢者の私にとっては他人ごとでは済まされません。

私の知人にも高齢になった親の面倒を看ている方が何人かおります。
介護する側も高齢に達していて、心身共に容易でない状況の日々を過ごしているようです。
夜の徘徊ということにでもなれば共倒れという他はありません。
介護疲れが高じて、老いた親を殺めてしまいという哀しい事件も後を絶ちません。
長寿国といっても、高齢者にとっては住みにくい世の中です。

政府は「住み慣れた地域での医療、介護」という趣旨の政策を進めようとしています。
内容を検討しますと、たとえば〈「要支援1・2」を介護保険制度の適用から外す〉などと、
現在よりも「介護」が受けにくくなりそうです。
自分の周囲を見渡して、私は考え込まざるを得なくなります。

Aさん、この二三年、好きな旅行へは行っておりません。めっきりシワも目立ちます。
Kさん、腰痛で、シップ薬と鎮痛剤が手離せません。
Dさん、自身の服用薬を受けに来て、「待ち時間が長くて」と、憔悴の面持ちで
病院のロビーの椅子に掛けていました。
三人とも、老いた親を自宅で介護しています。
親の最後の看取りを、何とかし終えたいと願っている昭和10年代の方たちです。

遠藤周作氏は、エッセーのなかで「老いの辛さ」について語っています。
『ボケる前に死にたい』
本音をいえば私もそう思っています。
親族に介護という世話をかけたくないという思いと、身の周りの始末ができない自分自身を
考えることへの恐怖からかもしれません。
同エッセーの中で、
『若死にした作家は、三島由紀夫であれ、渋沢龍彦であれ、その赫(かがやか)しい作品は、
人々に今でも語りつがれる。芥川龍之介だって、長生きして、万が一、ボケたならば、
現在の世評は変わっていたかもしれない』と述べています。
苦笑しますが、そうかもしれません。
でも、同氏は
『毅然として死ねない人よ、それでいいではありませんか。
神――大いなるものは、表だけでなく、我々の裏の裏までもよく御承知なのである。』
とのべ、大いなるものにまかせて生きたいと、記しています。

書いているうちに私の心も、落着きを少し取り戻したようです。
桜の季節は過ぎました。
良寛さんのように、
『裏を見せ 表を見せて 散る紅葉』
のようでありたいと願ってはいますが、そこは凡人、「裏は見せたくない」私です。
                                 〈ゴマメのばーば〉
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