golf130のクラシックお笑い原理主義

オッサンのしがない日常や妄想話とその日聴いた音楽。

ドビュッシー「映像第1 集、第2集」ベロフ

2008-06-16 23:00:15 | Weblog
色々な作曲家がいるけど、モーツァルトとドビュッシーって、特に天才という感じがする。

勿論、名だたる作曲家は皆天才に違いないのかもしれないけれど。

例えば、ベートーベンにしてもマーラーにしても、作品の中で、懊悩して、呻吟して、推敲して生み出した、と感じる部分がある。

ブラームスなどもそうだし、ブルックナーなどは版が色々あることからしても典型的。

バッハなどは、納期に間に合わせる為、自身の過去の作品を流用して手抜きしたりもしている。(そこもまた人間的で好きなところだが)

それに対してモーツァルトの曲は、天なのか神なのか、何か別世界から音楽が降臨して来て、モーツァルトの手はそれをスラスラと書き留めただけ、という印象を受ける。

音楽の中身その物には深い哀しみや寂寥を感じても、それを産み出す過程の苦悩が見えない。

ドビュッシーの音楽も同じ匂いがする。極めて自然に音楽が流れる。

モーツァルトやドビュッシーはもしかしたら「イタコ」かもしれない。

そうあの恐山のイタコと同様に、別世界の言葉(音楽)をこの世界に伝えてる為に生まれて来たのかもしれないのである。

ベロフ(ピアノ)(DENON盤)

こういう蒸し暑い季節には涼やかな曲を、ということで今日はこの曲。

第1集
1.水の反映
2.ラモーをたたえて
3.運動

第2集
1.葉ずえを渡る鐘の音
2.そして月は廃寺に落ちる
3.金色の魚

さすが、イタコである。

響きが東洋的である。実際、タイトルからも分かるように、東洋(中国)趣味の作品である。

山紫水明の深山の古寺といった風景も目に浮かぶ。

イタコだから、この曲を聴いて、水郷、千葉県の潮来市の風景が目に浮かんだとしても、それもまた正しい。(残念ながらイッタコとない)

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