golf130のクラシックお笑い原理主義

オッサンのしがない日常や妄想話とその日聴いた音楽。

モーツァルト「ピアノ協奏曲27 番インマゼール

2008-03-14 08:29:24 | Weblog
「ライスカレー1つ!」
「ご注文を繰り返えさせて頂きます。カレーライス1つ、で宜しいでしょうか?」
「いや、ライスカレー1つ」
「(メニューを指差し)ご注文の品はこちらのカレーライスを1つ、で宜しいでしょうか?」
「いや、カレーライスじゃないライスカレー。
昔懐かしいライスカレーが食べたいんじゃ」

インマゼール(フォルテピアノ)アニマ・エテルナ

現代ピアノは正式には「ピアノフォルテ」。強弱があまり付かないそれまでの鍵盤楽器に替わって、弱音(ピアノ)から強音(フォルテ)まで出せるということから名付けられたのですな。

音楽とは全く関係無いのですが、今「莫大小(メリヤス)」なんて言葉も思い出してしまいました。もう死語でしょうか。伸縮性を売りにした繊維で、同じネーミング感覚ですね。

現代ピアノに対し、オリジナル楽器の方は、「フォルテピアノ」。何でこういう呼び名なのでしょうかねえ?

さて、クラ原主義者には、いつの時代までオリジナルの古楽器で聴くか?というのも大きな課題です。

モーツァルトまではなるべくならオリジナル楽器で聴きたいところ。

このCD、買った当時お気に入りでしたが、久しぶりに取り出したらホコリ塗れ。盤面にも少し白カビらしいものが。
しかし、幸い無事に掛かりました。

先日マーラー10番のところでも書いたのですが、モーツァルトが長生きしたら、いったいどんな凄い音楽を書いたのだろうか、と時々考えます。

しかし一方、違うことも思います。
この曲やクラリネット協奏曲など晩年の一部の曲は余りにも完璧で、かつ透徹し過ぎている。この世の音楽では無いのでは?と。

モーツァルトは晩年、あの世を観てしまったのではないか、臨死体験でもしたのでは?でもなけりゃ、こんな音楽書けないよ。

たとえ長生きしたとしても、もうこの先にモーツァルトの音楽は存在しないというところまで行き着いてしまった?

こんな感じなので、とても好きな美しい曲にも関わらず、戦慄なしに聴けない側面があり、意外に取り出すことの少ない曲です。

人知れね、山中の澄み切った深い池。プランクトンさえいない、住めない、全くの静寂の世界。
そんな光景も浮かんでしまいます。

久しぶりに聴きましたが、現代楽器より親しげで、やはりこの曲も生身の血の通った人間の作品だったのか、とも思いました。


いつも携帯から書いています。通勤の電車、バス中心に寝床でも入力出来るのはとても良いのですが、キー入力はホントもどかしくイライラします。

昔IBMのウルトラマンPCという手載りパソコンを使っていましたが、小さなフルキーボードが付いて両手親指で入力。慣れると電車で立っていても結構早く入力出来ました。
Win3.1ですが、OFFICEも動き外出先で、WORD,EXCELは勿論、POWERPOINTも結構使いました。

最近の動向、トンと疎いのですが、両手親指入力出来る携帯ないのかなあ~?

あぶな~、また電車乗り過ごすところ。会社最寄駅到着。