小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

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その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

謹賀新年2024 ~2023年を振り返り新年を思ふ

2024年01月04日 | 母島 日常 日記
■改めまして、新年明けましておめでとうございます。
長女も無事に島で成人式を迎え、
母島では普通に平和な元旦、正月を迎えることが出来ました。

しかし、元旦から能登半島の大地震に津波、
1/2には羽田空港のJAL機と海保機の衝突事故など、
多くの人命と生活に関わる災害、事故が続いています。
余震もまだ続いているみたいで、本当に心配な状況が続いています。
被災された皆様、亡くなった方々へお見舞い申し上げます。


そんな元旦からの災害や事故の前になりますが、
母島の月ヶ岡神社で新年を迎えました。

年末格闘技RIZINの試合を観て、感動した後、
大晦日の夜に神社の境内の焔を眺めながら、
去年、この場所で厄年でもある2023年の挑戦を決める大きな出来事がありました。

ここでのおみくじで、人生であまり出た記憶のない大吉が出たら、
4月の小笠原村議会選挙に挑戦してみようという決意でした。
結果、僕にとってレアな大吉を引き、
1か月ちょい悩みに悩み、選挙に出る決意に至ったのです。
丁度去年の元旦の記事に書いていました。


■そんな訳で2023年の4月の地方総選挙で生まれて初めて、立候補しました。
結果、沢山の票を入れて頂き、初めて議員になるわけですが、
他の立候補者の皆さんに比べると、スタンスは少し違うと思っています。

スーツも着ず普段着で、街頭演説もしませんでした。
どうも選挙の時だけ良い事言って、
大音量で演説するのがいいとは思えなかったのです。

やったことは父島、母島で合同演説会をやって配信する事。
自分のマニフェストは動画で配信しました。
あとはポスターと葉書のみでした。

正直、僕は元々色んな地域活動をしていたので、
議員になろうがなるまいがあまり変わらないと思っていました。
(後で全然違うことがわかりました)

選挙の一番のメインは、受かる事よりも、
選挙公報がほとんどない小笠原において、
多くの人が立候補者の主張を知れて、
ちゃんと投票に行く事、興味を持ってもらう事の方が重要でした。

受かるかどうかは本当に二の次でした。
ただ、供託金15万円が戻って来る17票という投票数だけは超えたいと思っていました。

そもそも議員になるなんて自分の力でなく、
島の皆さんが選ぶことだと思っていたので、
素直に選挙中の演説ではなく、
20年間の僕の島の暮らしや主張で選ばれるかどうかだと思っていました。

蓋を開けてみれば、本当に沢山の島の皆さんの負託を受けて、
過去最高票で当選という、こんな自分でいいのか?と思うほどの票を頂きました。
当選の連絡を母島で受けた時は、その票数に心底驚き、気持ちが引き締まりました。
本当にありがとうございます!

今回の票は4年前の村議会選挙が無投票選挙で、
議会も高齢化も進んでいて、
40代という若手であること、
議会に新しい風を吹かせてほしいという願いと
色んなタイミングの意味もあったと思います。

これだけの負託を受けたということは、
しっかり議員としての役目を努めなければいけません。


■そんな訳で議員になって活動をしてみたら、
驚くほどただの個人による地域活動とは全然違うことが分かって来ました。

動けば動くほど、
今まで変わらなかった事がどんどん変わって行くのです。

議員として出向いてみれば、しっかりと対応してもらえて、
その後にリアルに活かせる場面が幾度となくあるのです。

元々は食わず嫌いをせずに、
まずはやってみて考えるの精神でやってみた部分は大きいのですが、
とてもとても手応えのある仕事ということが分かりました。

ぜひ4年後の選挙で色んな年齢、色んな性別、色んな人が選挙に出てほしいと思っています。
報酬はそれだけで暮らせる額ではありませんが、
すごく学びが大きく、やりがいのある仕事です!

有難い事に、沢山の方々の応援のお陰で、
想像よりも議員の仕事はずっと面白く、やりがいのある仕事だと思います。
議員に挑戦してみて、本当に良かったともいます。

もちろん、願った事がすべて叶うわけもないし、
力不足を感じる部分、至らない点、反省すべきところはありますが、
今のところはずっと前向きに活動出来ています。

この1年でも沢山新しい風を吹かせて、
変わってきた部分が幾つもあります!

色んな方々に迷惑をかけたりしながらも、
同時に沢山の応援や協力で支えてもらって、
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
どうも有難うございます!
どうぞ今年もよろしくお願いします!


■月ヶ岡神社の初詣を娘たちと過ごしながら、
そんな事に想いを馳せていました。

長女が4年間のカナダ滞在を終えて、一時的に島に帰ってきた2023年。
長かったコロナ禍が明けて、色んな事が戻ってきた年。

そんな2023年は良い事ばかりではなく、
悲しい事も沢山ありました。

一番は大好きな人達の急逝が相次いだことです。
友人、知人、親族、憧れの人が天に召されていきました。
とても嘆き悲しいことです。

2023年はミュージシャンの訃報が多いと感じていたら、なんと31人も亡くなっていました。
去年までそんなまとめのデータが見つかりにくいので、
今年は顕著なのだろうと思います。

僕にとっては、
Hi-STANDARDのツネさん、
The Birthday(ミッシェルガンエレファント)のチバさん
BUCK-TICKの櫻井敦司さん、
X JAPANのHEATHさん、
BOWWOW(スラットバンクス)の新美さん、
デルジベットのISSAYさん、
坂本龍一さんの急逝がとても大きくショックです。
僕の青春に大きく影響を及ぼしています。

友人、知人親族もこの2年で、
若い癌の罹患や急逝が続いていて、
僕が40代になっただけなのだろうか?と疑問を持っています。

がんがこの10年ですごく増えたのも、
こうした急逝が増えているのも、
東日本大震災の原発事故、
新型コロナワクチンは無関係なのだろうか?と思ってしまいます。

自然発生的な急逝は素直に受け止めれますが、
やはり人為的な影響での急逝はなかなか受け止めきれません。

心よりご冥福を祈ります。


■気持ちが暗くなってしまいがちですが、
この年明けから島の新成人が集まって、成人式やこれからの未来を感じる嬉しい出来事は、
沢山の癒しと力を頂けました。

元旦の海開きで新成人による鏡開き。

島のみんなに「おかえり~」
「立派になったね!」
「綺麗になって!」
と言われる彼女たちを眺めては、
これからの未来への希望を感じています。

幾度となく、このブログでも書いていますが、
ハワイのことわざでもある「島はカヌー、カヌーは島」という言葉。

価値観が異なる人々が、
目的意識を持って、互いを尊重し合いながら、
共に活動していくという意味と僕は捉えています。


母島というカヌー、
小笠原というカヌー、
日本というカヌー、
地球というカヌー、
色んな事に例えて考えてみるととても大切な教えであることに気付かされます。

そして、僕にとってのクレアナ(責任、役目)が、
この1年でも明確に変わってきているのを感じています。

議員となってももちろん、
イチ親としても、
イチ個人としても、
自分に課せられた役目というのを感じて、
この2024年も活動していけたらと思います。

いきなり今日から父島へ行き、
武道初めに来賓として出席します(心は完全に母島柔道・剣道部の応援!)。
6日に母島に帰って来たらすぐに消防団出初式です。
こちらは議員としてではなく、団員として参加します。

すでにもう3月くらいまで予定が色々入りまくりですが、
どうぞ今年もよろしくお願いします!