玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

クリス・ボルディック選『ゴシック短編小説集』(5)

2016年01月22日 | ゴシック論

 クリス・ボルディックはゴシック小説の特徴について次のように簡潔にまとめている。
「ゴシック的効果を獲得するために、物語は、時間的には相続することを恐れる感覚に、空間的には囲い込まれているという閉所恐怖的感覚に結びつけられるべきで、こうした二つの次元は、崩壊へと突き進む病んだ血統という印象を生み出すために、お互いを強め合う」
 この言葉はゴシック的なものの時間的な位置と、空間的な位置とを正確に言い当てているように思う。こうした特徴を最も典型的に示している作品は、言うまでもなくポオの「アッシャー家の崩壊」であろう。ただし、このアンソロジーでは邦訳が省略されていて、日夏 耿之介による抄訳である「アッシャア屋形崩るるの記」の一部が掲載されているだけである。最初の一段落だけ紹介する。
「その歳の秋の日、鈍(にび)いろに、小闇(ぐら)く、また物の音(ね)もせぬひねもす、雲低く蔽い被さるがことくにみ空にあるを、われは馬上孤り異(こと)やうにすさまじき縣(あがた)の廣道を旅してありつるなり」
 ゴシック小説の古色蒼然とした世界を表現するために、擬古文的な日本語を使って翻訳することは、日夏だけでなく、ベックフォードの『ヴァテック』を訳した矢野目源一などにも見られることだが、私はこのような翻訳を好きになれない。ポオの原文がそのようなものではないからである。

DURING the whole of a dull, dark, and soundless day in the autumn of the year,
when the clouds hung oppressively low in the heavens, I had been passing alone,
on horseback, through a singularly dreary tract of country;

 平易な英語で、私でも読める。それが日夏のような日常語をことさらに排除するような訳文に変えられてしまうことは、作品の理解にとっても正しいことではないと私は思う。
 ところでボルディックはこのアンソロジーに、互いに強化し合う二つの要素、時間的な相続恐怖と空間的な閉所恐怖の二つの要素を持った作品を多く採用している。相続恐怖とは、先祖の狂人達の血を受け継ぐことへの、あるいは受け継いでしまったことへの恐怖と言い換えてもよい。
 E・T・A・ホフマンの『悪魔の霊酒』に見られた、主人公メダルドゥスにおける、魔女と結婚した先祖の血を相続することへの恐怖を思い出してほしい。『悪魔の霊酒』では五世代にわたる血の系譜を、同じ一つの名前=フランシスコに象徴させていたことも……。
 19世紀の部に収められたロバート・ルイス・スチーヴンソン(『ジキル博士とハイド氏』の作者)の「オララ」で、主人公のオララは、呪われた血統を存続させることへの恐怖のために、彼女に求愛する「私」に対して、「私」を愛する気持に逆らってまでも「出て行って下さい。今日」と言わざるを得ないのである。
 呪われた血統は、連綿と続いてきた近親相姦的な婚姻関係にその原因があるとされる。天才を生むこともあれば白痴を生むこともあるそれを彼女は恐れている。オララの弟フェリペは痴呆であり、オララは絶世の美女なのである。こうした設定はボルディックが選んだ他の作品にも使われている。
 ただし、相続恐怖は長い時間の蓄積を必要とするものであるから、本来は長編小説に向いたテーマであって、短編小説に適したものとは言えない。ゴシック小説の作者達の多くが、長編小説をしか書かなかった原因はそこにある(アン・ラドクリフとブロンテ姉妹は短編小説を書いたことがなかったという)。
 そうした意味でもポオの「アッシャー家の崩壊」は例外的に成功している作品であるから、本当は省略しないでほしかった。それだけでなく、ポオはゴシックの伝統をイギリスから北アメリカへと連接する、結節点にいる重要な作家なのであるから。