玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

オラシオ・キローガ『野生の蜜』(1)

2016年01月09日 | ラテン・アメリカ文学

 ロベルト・ボラーニョのあまりにも長大な『2666』について読み、そして書くことにおよそ1か月半を費やしてしまったために、いささか疲れを感じている。しばらく長編小説を読む気になれない。
 そこで短編小説ならということで、鼓直編『ラテンアメリカ怪談集』という1990年に発行された河出文庫を引っ張り出して読んでみる。目次を見るとおかしなことに気づく。15人の作家による15編の短編が収載されているのだが、アルゼンチンが8人で圧倒的に多いのだ。半数以上を占めている。
 ここで、いわゆる「ラ・プラタ川流域幻想文学」という言葉を思い出さなければならない。アルゼンチンとウルグアイはラテンアメリカ文学の中でもとりわけ幻想文学が発達した地域だったのである。「怪談集」とあるが純粋に怪談と言えるのは、オラシオ・キローガの「彼方で」くらいのものだ。
 ところでこのキローガはウルグアイの出身だが、作家としてはアルゼンチンで活躍した人なので、15人のうち9人がアルゼンチンということになる。残りはメキシコ2人、グアテマラ2人、キューバ、ペルーが各1人にすぎない。グアテマラ2人のうちの一人、アウグスト・モンテローソはメキシコで活躍した人であるから、メキシコ3人、グアテマラ、キューバ、ペルー各1人と数えてもよい。
 そんなところから鼓直が「編者あとがき」で、コルターサルに語らせている次のような言葉がよく理解されることになる。
「われわれの大陸の幻想文学は、二つの地域で成立したにすぎない、と言ってもいいでしょう。一つは、地理的には多少無理があるかもしれないが、メキシコを含むカリブ海地域と、もう一つは、アルゼンチンやウルグアイを中心とするラ・プラタ地域ですよ」
 これが本当だとしたら、この『ラテンアメリカ怪談集』で例外的なのは、ペルーのフリオ・ラモン・リベイロただ一人ということになる。
 しかし、メキシコを含むカリブ海地域の作家たちは、ラテンアメリカ文学のいわゆる"魔術的リアリズム"なるものを代表する作家、例えばアレホ・カルペンティエール(キューバ)やフアン・ルルフォ(メキシコ)を生んでいるが、ラ・プラタ地域ではそのような作家は生まれていないという、またまた奇妙なことに気づく。
 どちらの幻想文学もヨーロッパのシュルレアリスムの影響なしには考えられないにしても、魔術的リアリズムは幻想文学そのものとははっきり違ったものである。魔術的リアリズムには、新大陸の自然や人々の意識の中にある「驚異的現実」に対する認識が欠かせないのである。
 だから、アルゼンチンやウルグアイのようなまったくの白人社会においては、「驚異的現実」に対する認識を迫られることがないから、そこに魔術的リアリズムは生まれようもなかったのである。
 さて、ウルグアイのオラシオ・キローガは「ラテンアメリカ随一の短編の名手、魔術的リアリズムの先駆者」と評されているようだが、本当だろうか? 「彼方で」ともうひとつ、サンリオ文庫から1987年に出た『エバは猫の中~ラテンアメリカ文学アンソロジー』に収められた「羽根枕」を読む限りでは「ラテンアメリカ随一の短編の名手」という評価が当たっているとしても、「魔術的リアリズムの先駆者」という評価は当たっているとは思えない。
 そのことを確かめるために私は国書刊行会から出ている『野生の蜜~オラシオ・キローガ短編集成』を読んでみなければならない。キローガはブエノス=アイレスなどの都会を舞台にした作品と、ミシオネス地方というアルゼンチン北部からブラジルにかけての密林地帯を舞台にした作品の両方を書き分けている。
 都会小説の方には、幻想性はあっても魔術的リアリズムの要素はまったくないと断言できる。そして、密林小説(キローガはイギリスの作家ラドヤード・キプリングの『ジャングル・ブック』を真似た『ジャングル物語』を書いたので、南米のキプリングとも呼ばれる)にはどうか?
 殺人蟻に喰い殺される都会人を描いた「野生の蜜」も、大蛇の視点から自然と人間との関わりを描いた「アナコンダの帰還」も、ジャングルの物語ではあってもとうてい魔術的リアリズムと呼べるようなものではない。カルペンティエールやルルフォに見られるような、土俗的な神話に裏打ちされた部分が、まったくないからである。

オラシオ・キローガ『野生の蜜』(2012、国書刊行会)甕由己夫訳
『ラテンアメリカ怪談集』(1990、河出文庫)鼓直編、鼓他訳
『エバは猫の中~ラテンアメリカ文学アンソロジー』(1987,サンリオ文庫)木村榮一他訳