玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

クリス・ボルディック選『ゴシック短編小説集』(1)

2016年01月11日 | ゴシック論

 久しぶりに「ゴシック論」に戻る。ラテン・アメリカの長編小説を読む気力はしばらくないし、ラテン・アメリカの短編小説は、ボルヘスやコルターサル、ガルシア=マルケスを除いて、そうたくさん翻訳されているわけではない。
 ロンドン大学教授のクリス・ボルディックという人が編集した『ゴシック短編小説集』という本が、2012年に春風社から翻訳されて出版されている。原題はThe Oxford Book of Gothic Talesである。オックスフォード大学から出版されたのであろう。
 この本は3部構成になっていて、「第Ⅰ部はじまり」「第Ⅱ部19世紀」「第Ⅲ部20世紀」に分かれている。第Ⅰ部は18世紀ホレース・ウォルポールの『オトラント城奇譚』に始まる、ゴシック・ロマンスの周辺作品7編を収録している。
 マシュー・グレゴリー・ルイスの『マンク』以前の作品が、いかにウォルポールの小説を忠実に踏襲しているか、そして『マンク』以降の作品が、いかにルイスの影響を強く受けているかということが露骨に窺える内容となっている。
 第Ⅱ部は19世紀各国のゴシック物語14編を原書では収録しているが、翻訳ではナサニエル・ホーソーン、コナン・ドイルの作品など3編が省略されている。比較的他で手に入りやすい翻訳があるものを省く、という編集方針によっているようだ。
 この時代はゴシック・ロマンスが一応終焉を迎え、いわゆる恐怖小説Horror Talesが盛んになった時代であるが、それが本国イギリスだけでなくアメリカやフランスなどにも拡散していった時代と規定できる。ペトリュス・ボレルやマルセル・シュウォッブなどの作品が収められているのはそのためである。
 第Ⅲ部は20世紀各国のゴシック物語16編を原書では収録しているが、翻訳では7編を省略している。アメリカのウィリアム・フォークナー、H・P・ラブクラフトが省略されているのは残念だが、フォークナーの「エミリーに薔薇を」やラブクラフトの「アウトサイダー」は他でたやすく読めるのでしかたないだろう。
 もっと残念なのは、ボルヘスの「マルコ福音書」とイサベル・アジェンデの「心に触れる音楽」が省略されていることである。これらも他でたやすく読むことはできるのだが、編者のクリス・ボルディックのゴシックの伝統が南北アメリカ大陸に伝わっていったという重要な指摘が、これでは理解できないからである。
 ということで私はこの本の巻頭に収められた、クリス・ボルディックの「序論」について紹介したいのである。この「序論」はゴシックということについての古色蒼然たる理解を超えて、その現代的意義についても言及していて、極めて重要な指摘をたくさん含んでいるからである。
 日本人の書いたゴシック論は、ゴシック小説の反時代性であるとか、その古めかしい美学の超俗性、あるいは近代への反措定としての意義であるとかが強調されたものがほとんどで、ボルディック教授のようにその現代性に切り込んでいく姿勢がほとんどない。
 それは日本におけるゴシック受容史にも関連していることで、日夏耿之介の骨董的言語意識、あるいはオカルティズムからして、それは過去の方向をしか向いていなかった。またゴシックとその周辺の広範な紹介者であった渋澤龍彦にも同様のことが言えるだろう。
 彼もまたゴシックの"反時代性"ということしか結局は言い得なかった。それは今日の日本におけるゴシック受容者についても言えることで、『ゴシック・ハート』『ゴシック・スピリット』を書いた高原英理も同じことである。高原などは渋澤の持っていた視座の領域を一歩も出ていないと言うべきだろう。
 それは日本に真にゴシック的なものが根付かなかったことに起因しているのかも知れない。高原英理が編集した『リテラリー・ゴシック』に収められた作品の中で、真にゴシック的と言えるものがたった三編しかなかったことを思い出してもよい(そのことについては山尾悠子の項に書いた)。
 以下、クリス・ボルディックの議論を紹介していくことにしよう。

クリス・ボルディック選『ゴシック短編小説集』(2012,春風社)石塚則子、大沼由布、金谷益道、下楠昌哉、藤井光編訳

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