玄文社主人の書斎

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ヘンリー・ジェイムズ『カサマシマ公爵夫人』(1)

2018年02月08日 | 読書ノート

 スーザン・ソンタグは「ローリング・ストーン」誌のインタビューに答えて、ヘンリー・ジェイムズの『カサマシマ公爵夫人』を絶賛している。私はジェイムズの初期の作品にはあまり馴染みがないのだが、ソンタグが次のように言っているのを読んで、挑戦してみようという気になった。ジェイムズの『金色の盃』の話が出たときに、ソンタグが言った言葉である。

「ヘンリー・ジェイムズの『カサマシマ公爵夫人』は読んだ? 素晴らしいからお読みなさい――1960年代に関するすべてが書かれている!」

 ソンタグがこんな風に言うのは、1960年代、特に1968年に世界中に広がった学生たちによる反権力闘争を念頭に置いているからである。
 私は当時高校生であり、日本の全共闘運動やフランスの学生運動などに強い共感を抱いていて、時効だから言うが私が通っていた高校でビラまきまでして、危うく退学になる寸前までいったことを思い出す。
 1968年はいわゆる団塊の世代の人たちによる学生運動が、最大の盛り上がりを見せた年であり、それが日本だけでなく全世界的な現象であったことは注目に値する事実である。
 私はまだ高校生で団塊の世代よりも4~5歳年少であって、彼らの行動に共感を抱きながらも何も行動できない自分に苛立ちと焦りを感じていた。
 スーザン・ソンタグと同じように、私はロック・ミュージックの信奉者で、特にローリング・ストーンズの大ファンであった。当時ストーンズはStreet Fighting Manという曲を発表していたが、それは全世界的に広がった学生運動に対する彼らなりの応答であった。
 私は日々Street Fighting Manを聴きながら、その戦闘的なリズムやメロディーに心酔し、自分自身を慰めていた。この曲の歌詞に次のような部分がある。

Well what can a poor boy do
Except to sing for a rock 'n' roll band
'Cause in sleepy London town
There's just no place for a street fighting man

 彼らはsleepy London townには市街戦のための場所はなく、ロックバンドで歌うしかないのだと言っている。ストーンズはよく分かっていたのである。フランスのように学生運動が盛り上がることのなかったイギリスで、彼らはいささか自嘲気味に世界に対し挑発を行ったのであった。
 ソンタグが言っているのはアメリカにおける学生運動とその挫折のことなのであろう。アメリカでの運動はベトナム反戦運動と結びつき、特に西海岸におけるヒッピー文化として開花したが、その中心的役割を担ったのがロック・ミュージックであった。
 ソンタグはドアーズが一番好きだったといっているから、彼女もまたドアーズやジェファーソン・エアプレインに代表される西海岸のロックにいかれていたのである。そして彼女はそこに時代の真実を見ていたのだ。
 ボブ・ディランなどのプロテストソングも重要だが、ソンタグにとってはより肉体的に訴えるもの、ドアーズやジェファーソン・エアプレインのようなロックが彼女の思考を誘発するものであったはずだ。
 ところで私はヘンリー・ジェイムズを論じるはずなのに、なぜ1968年問題に深入りしているのだろうか。
 それは『カサマシマ公爵夫人』が19世紀末のロンドンを舞台にした、政治運動をテーマにした小説であるからである。『カサマシマ公爵夫人』は、ひたすら貴族社会やブルジョワ社会を舞台にした小説ばかりを書いたヘンリー・ジェイムズにとって、特別な小説なのである。

ヘンリー・ジェイムズ『カサマシマ公爵夫人』(1981年、集英社「世界文学全集」57)大津栄一郎訳

 

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