玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

建築としてのゴシック(18)

2019年01月30日 | ゴシック論

●ヴィクトル・ユゴー『ノートル=ダム・ド・パリ』③
 『ノートル=ダム・ド・パリ』の中で最も興味深く(時にはある驚嘆をもって)、読んだのは、第3編の第1章「ノートル=ダム」と第2章「パリ鳥瞰」、そしてユゴーの建築に対する深い理解を示した第5編の第2章「これがあれを滅ぼすだろう」の3つの章である。
 いずれも本編のストーリーには直接かかわらないが、この小説が舞台とする15世紀という時代、そしてパリとノートル=ダム大聖堂の歴史についての議論を展開して、小説の背景を詳述する部分である。この部分がなければ『ノートル=ダム・ド・パリ』は「建築としてのゴシック」というテーマに関わることはない。
 まず第3編第1章「ノートル=ダム」から紹介していこう。パリのノートル=ダム大聖堂の建築は「十字軍の帰還にはじまり、ルイ11世時代に終わっている」という。十字軍の帰還の時期としているのは、ロマネスク建築の半円アーチに替わるものとしての交差リブ(半円筒と半円筒とを直角に交差させてつくるアーチ型構造で、これによってゴシック建築特有の天井の高さが実現した)を、十字軍がアラビア世界から持ち帰ったとされているからだ。
 これは1160年頃から1250年といわれている建築期間とも符合している。しかしルイ11世の治世は1423年から1483年だから合っていない。どうしてかは分からないが、小さな修繕も含めて考えているためだろうか。
 ユゴーは「ノートル=ダム大聖堂は過渡的様式の建築なのだ」と言う。それはロマネスク建築からゴシック建築への過渡的様式であるということを意味している。教会というものはもともと何百年にもわたって建設されるものであり、その間に建築の技術や様式が変化すれば、そうした変化を取り入れて建設されていくものだからだ。
 ノートル=ダム大聖堂も「ロマネスク式修道院、錬金術式教会、ゴチック式芸術、サクソン式芸術……」などが含まれた「雑種建築」だという。とりあえずそれを「ロマネスク式からゴチック式への過渡的様式の建物」と規定して、ユゴーは次のように言っている(フランス語ではgothicはゴチックと発音する)。

「こうしたロマネスク式からゴチック式への過渡的様式の建物は、研究の対象として、純粋に典型的な建物に劣らないほど貴重な価値をもっている。こうした建物が保存されているからこそ、旧芸術から新芸術へのおもむろな変化のさまが、はっきりとうかがわれるのである。(中略)この尊敬すべき建物の一つひとつの面、一つひとつの石が、フランス史の一ページを表現しているばかりでなく、学問や芸術の歴史の一ページを表現しているのだ。」

 この一文はユゴーのノートル=ダム大聖堂に対する賞讃が、宗教的なものではなく、もっぱら学問的・芸術的なものであったことを示している。後のJ・K・ユイスマンスの崇拝の形とはまるで正反対であって、ユイスマンスは純粋に宗教的な対象としてカトリック大聖堂というものを見ていた。だからユイスマンスにとって、純粋なゴシックではないパリの大聖堂は〝二流の〟ものでしかなかった(ユイスマンスについても後で論ずる予定だが、ここではユゴーの認識との対照性を見ておくに止める)。
 そのような学問や芸術の重要な遺産であるノートル=ダムを破壊した人間達に対して、ユゴーは激しい怒りをぶつけている。まず「政治上や宗教上の革命」が大聖堂を物理的に破壊した。具体的には宗教改革とフランス革命を指しているが、それよりもっと大きな破壊をもたらしたのは「流行」である。物理的な破壊は剥ぎ取るだけで(王のギャラリーの28体の彫像は王の冠を被っているからという理由で、フランス革命時に取り去られた)汚いものと置き換えることはしないが、「流行」はそうではないからである。
「流行」による破壊のきっかけとしてユゴーは、「ルネサンス」を挙げているが、「「ルネサンス」の混乱した、だが素晴らしい方向転換以来次々と移り変わって、建築術をいやおうなしに堕落させてきた」と書いているから、「ルネサンス」自体を否定しているわけではない。酒井健がミケランジェロによるサン・ピエトロ大聖堂以外のルネサンス様式を認めないのとは大きな違いがある。

ノートル=ダム北塔の装飾彫刻 

特にユゴーが批判するのは装飾彫刻に関してである。以下のようにユゴーは言う。

「卵型飾り、渦巻型飾り、縁飾り、ひだ型飾り、花飾り、房へり飾り、石像の炎、青銅の雲形飾り、太っちょのキューピッド、ふくらんだケルビム天使、いやはや見るもおぞましい装飾技法だ。」

 ユゴーが言っているのは特にバロック様式による彫刻のことである。つまり私がヴェルサイユ宮殿で見た、あのおぞましい虚飾をユゴーは批判している。ネオ・バロック建築を代表するガルニエ宮(オペラ座、1875年竣工)の彫刻はよい例と思われるので、以下に写真を掲げておく。

ガルニエ宮の装飾彫刻
 


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