玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

ホセ・ドノソ『夜のみだらな鳥』(11)

2018年06月07日 | ラテン・アメリカ文学

 ドノソの退嬰的なものへの偏愛はまだまだ続いていく。特にリンコナーダの屋敷でアスーラ博士の手術を受け、80パーセントの血と臓器を摘出され、その上ヘロニモとの間でペニスの交換手術を受けるその前に逃げ出した《ムディート》を待っているのは、エンカルナシオン修道院の老婆たちである。《ムディート》は彼女たちの優しい呼びかけを聞く。

「いらっしゃい、ここへ。みんな待ってるのよ。迎えに来てるのよ。わたしたちは、何もくれなんて言わないわ。ただ、あんたの面倒がみたいだけ。やさしくしてあげたいだけ。あんたを暖かく包んでやりたいだけよ。この袋を見て。あんたを入れて運ぶために持ってきたのよ。」

 手術を受けて20パーセントの大きさの人間へと変貌するということ自体、赤ん坊への先祖返りを意味している。まさにそのように、《ムディート》はダミアナがイリスと老婆たちの赤ん坊ごっこの対象にされたのと、まったく同じ扱いを受けることになる。しかしダミアナにはペニスがないが、《ムディート》にはそれがある。

「ちぢこまったおれのペニスが老婆たちの目にさらされる。彼女たちは、それが《ムディート》のペニスだと信じている。ところが違うのだ。それは《ムディート》のおとなしいペニスをよそおっているだけなのだ。子どものおチンチンらしく見えるように、イリスの命令で毛が剃られているが、ドン・ヘロニモよ、これはあんたのだ。彼女に触れたあんたのものだ。おれは、アスーラ博士が交換手術にかかるその前に、まんまと逃げおおせたのだから。老婆たちはペニスをつかみ、スポンジで洗う。いやらしい、こんなものをあれして悦ぶ女が、よくいるわね、などと言いながらパウダーをまぶす。おいしいご馳走か何かで、これからむしゃぶりついて呑みこもうとするように。」

 ここでも少し補足が必要だ。ドン・ヘロニモのペニスが触れた〝彼女〟というのはペータ・ポンセのことで、前に紹介したイネス夫人と《ムディート》が交わる場面で、ドン・ヘロニモは間違ってペータ・ポンセと交わることで、不能に陥るのである。だからドン・ヘロニモは《ムディート》を罰するために、アスーラ博士にペニスの交換手術を命じるのである。
 ここには事実誤認がある(この小説に事実というものがあるとしての話だが)。交換手術を行っていないのなら、不能のペニスはまだドン・ヘロニモに付いているはずで、《ムディート》は健常なペニスを持っているはずだから、「これはあんたのだ。」というのはおかしい。また交換手術が行われていたのだとすると、《ムディート》にはドン・ヘロニモの不能のペニスが付いておいるはずで、これもおかしい。この小説にはこのような誤認がたくさんあるが、人物だけでなく性器もまたいつでも交換可能性のうちにあるということにして、許しておこう。
 とにかく老婆たちの慰みものとしての赤ん坊を演じる限り、ペニスは本来の大きさであってはならない。それは〝ちぢこまった〟〝おとなしい〟〝子どものおチンチン〟のようでなければならない。老婆たちは念のために《ムディート》のペニスを繃帯できつく縛るだろう。

「老婆たちはぼろ切れで作った繃帯をぐるぐる巻いて、おれを包みにし始める。まず足の先に巻く。そのあと脚に巻いて動けないようにする。性器のところまで来ると、まるで危険な動物か何かのように、きつく縛る。幼な児のそれをよそおってはいるが、おれの思いのままになることを見抜いているみたいだ。おれが隠しているものに気づかないことを祈ろう。おれの性器に繃帯を巻き終わった老婆たちは、それを太腿に縛り付ける。」

 このように《ムディート》は赤ん坊として、イリスに与えられる。赤ん坊《ムディート》は老婆たちにとっては人形のような可愛い愛玩物であるが、イリスにとってはそうではない。《ムディート》は本当の父親を親身になって捜してくれない冷たい人間であり、イリスは《ムディート》を虐待して言うことを聞かせようとする。
 しかしそれもイリスの本当の赤ん坊が生まれるまでのこと、本当の赤ん坊の代替物にしかすぎないのだ。ところが最後にとんでももないことが待っている。イリスに赤ん坊のことを聞かれた老婆たちは言う。

「赤ちゃん? 何を言っているの。あの《ムディート》が長いあいだ待ってた子どもじゃないの。ずいぶん昔のことで、この修道院じゃあ、それがいつのことだったか、覚えている者もいないくらいよ。」

 一体この小説では何が事実なのであるか。

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