玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

ホセ・ドノソ『夜のみだらな鳥』(14)

2018年06月11日 | ラテン・アメリカ文学

 しかし逆に、そこにこそドン・ヘロニモの不徹底と、すべてを他人まかせにする不遜があったと言うべきであろう。ドン・ヘロニモはそのことに対する罰によって事故死することになるのだ。それはまたリンコナーダの屋敷が崩壊していく物語でもある。
 ウンベルト・ペニャローサはアスーラ博士によるドン・ヘロニモとのペニス交換手術から逃れるために、リンコナーダの屋敷を脱出する。秘書であるウンベルトの逐電を知ったヘロニモは「すべてを精算しよう」とするが、五歳になった《ボーイ》の「心を占めている冥府的な状態」(つまりは外部というものを持たず、畸形と正常という概念すらないリンコナーダの屋敷が強制する無知)に満足して考え直す。
 ヘロニモはウンベルトの代わりに、彼の従妹エンペラトリスとアスーラ博士に「万事をゆだねる」ことにする。しかしそのことがエンペラトリスに嘘に嘘を重ねた報告を、ヘロニモにするようにし向けていく。崩壊の始まりである。次は《ボーイ》自身の逐電。《ボーイ》は五日間屋敷の外をさまよって帰ってくるが、「いまでは、ぼくはなんでも知ってるんだ」
とまで言うようになっている。
《ボーイ》を冥府の状態に止めておくという計画はすでに破綻している。《ボーイ》の帰還を知って、ドン・ヘロニモは息子に会うために、リンコナーダの屋敷にやってくる。しかしエンペラトリスの心もすでにヘロニモから離反している。エンペラトリスはヘロニモに面と向かって次のように言う。

「わたしたちの畸形に盛り立てられて、それであなたの子どもも、王様でいばっていられるのよ。わたしたちはただの道具、極彩色の垂れ幕、書き割り、ボール紙のお面、仮面なのよ。」

 また「あの父親は、ただ創造したというだけの理由で世界の王だと信じている」とも思っている。ドン・ヘロニモはリンコナーダの屋敷においては造物主でさえあったわけだが、しかし怠慢な造物主であった。世界を造ったばかりで、その維持管理のすべてを他人任せにしてきたからだ。
《ボーイ》はついに父親の裸の姿を目撃することになる(《ボーイ》と面会する者はすべて裸になることを義務づけられている)。その後に起こることはファルスと言うにはあまりにも残酷な事態である。父親の正常な姿態が《ボーイ》の目には、世にもおぞましい畸形と映る。《ボーイ》の反応はこうだ……。

「《ボーイ》は、回廊の突き当たりのヘロニモの姿を認めると、十歩ほどへだたった場所まで彼の方へ進んだ。そして、この化け物を喰い入るような目で見つめながら、しばらく冷静に観察した……まさか! 考えられない。……《ボーイ》は顔を蔽った。くるりと後ろを向き、困惑と苦痛の叫びをあげながら屋敷の奥まで逃げこんだ。奴を連れだせ! ここに置くな! エンペラトリス、あの化け物は、いったいなんだ?」

 このようにドン・ヘロニモは彼自身が打ち立てた怪異の美学、そして《ボーイ》に対する教育方針そのもののしっぺ返しを喰らうのである。
 この場面に続くヘロニモの一人称で語られる長いパッセージは、『夜のみだらな鳥』の中でもとりわけ緊張感に満ち、いくつかある頂点のひとつとなっている。ドン・ヘロニモの優越感や誇りが、畸形たちによって惨めに打ち砕かれていく場面が、池の水鏡や仮面舞踏会のイメージを伴走して続いていき、ついにヘロニモは、ディアナ神(これも畸形の像であるほかはない)の池で水死を遂げる。

 これは畸形たちによる造物主殺しの物語に他ならない。そこで《ボーイ》が主役を務めるのであればそれは神殺しであり、父親殺しの物語でもあるということになる。これでドン・ヘロニモの位置が《ボーイ》によって確定されたものと考えるがどうか。
《ボーイ》はその前に、五日間の放浪の記憶と、父親の記憶を消去する手術を、アスーラ博士に頼むのだが、彼歯生きることへの興味を失ってしまっているのだ。

「外に五日間いて、ぼくは生きることへの興味を失った。ある詩人が言っているよ。『生きる? 生きるだと? なんだ、それは? そんなことは代わりに召使いにやらせておけ、』って。あんたたちはぼくの召使いだ。あんたたちは、ぼくが生きることを拒絶したものを生きるんだ。現実を知ったいまでは、ぼくは人為的な世界にしか興味がない。」

 ある詩人というのはヴィリエ・ド・リラダンのこと。『アクセル』の項で紹介した有名な言葉である。こんなところで出てくるとは思わなかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする