お彼岸に、ストーン・ヘンジの模型を飾って(2007.9.24)

2007-09-24 11:44:04 | Weblog

*どちらが東西南北か、正確に置けないのです。ネットで調べてみます。模型の直径10cm。

昨日(23日)は彼岸の中日でした。近隣の市の三大ビッグ・ジャズバンドとのジョイント・コンサート(10月21日)開催を進めていて、最終ミーティングを持ちました。
ひとり、“お彼岸だから親戚に行ったり来たりで忙しいんだ”という人がいました。でもちょっと遅れて自家製のお団子(お餅)を持って駆けつけてくれました。

 “わたしゃ、わが家、お彼岸といっても、なんもしない”
お墓参りも、ご先祖にお供えも、まったく関係なし。ましてや、親戚が来たりなんてなしです。
この頃、としのせいか、ヒガンが近いせいか、“そのこと”をさびしく思うのです。子どもたちのお彼岸の行事を伝えて来なかったことにも悔いが残るのです。これも日本伝統文化です。

今日は、“おはぎの日です”だけでもいいのです。自分の家で作るといいなあ・・・・・。
秋の彼岸=おはぎ=粒あん、春の彼岸=ぼた餅=こしあん。
秋=萩の花=アズキがとれる季節、春=牡丹の花=新鮮アズキがない季節。

私は神も仏も・・・・信じます。何でも信じます。子どもの頃、里山で遊んでいても、真っ暗な夜道にも、そこに居そうと思っていました。お寺の板壁に描いてあった“地獄・極楽の絵”には、目をそむけてきました。

“なぜ、ここにお宮があるのか、お寺があるのか”という伝説風の話は、好きでした。 “江戸川大改修に伴って神社が移転”というわが町の話には、霊験あらたを感じません。

もっともっと昔、神代の話です。私が好きな話は、米作りに不可欠な暦(季節)を知るために、夏至・冬至・秋春分を、太陽の入り出の風景の位置から知ることです。
あの山から出れば、春分という話です。それが、あの尖った山から出ればと、明確に判断できればいいのです。そういう風に見える場所に、観測の役目を果たす所を、特別な場所とした、神聖な場所、それが次第にお宮になっていく。そういう話が好きだったのです。
山を歩きながら、岩を組み上げた“岩くら”風な場所があったり、そこに注連縄でも見たら、もういけません。深く手を合わせてしまうのです。

*“知られざる古代”の2冊。今読んでも、とても面白いです。

 私に、明確に教えてくれたのは、NHKのテレビ番組、<知られざる古代“謎の北緯34度32分をゆく”>です。北緯34度32分線上に、東は、伊勢湾の神島、伊勢斎宮跡から、奈良盆地の三輪山、箸墓から淡路島に至るまで、古代遺跡が連なるという話です。
チーフディレクターの水谷慶一さんは、この後、朝鮮半島での同様の話を番組にしています。<続知られざる古代“龍王のきた道”>です。いずれも、太陽神、太陽信仰を思い起こします。

*左;謎の北緯34度32分線がわかりますか。右;テレビ番組作成のきっかけとなった、写真家小川光三さんの“大和の原像”。

秋・春分の日は、そういう日です。真西に沈む陽を拝み、はるか彼方(かなた;彼岸ひがん)に西方浄土を思う気持ちは、私にもあります。海に沈む夕日を見ると、涙ぼろぼろ気分になりますし、山頂でご来光を見ると、勇気りんりんになります。

季節・暦のために、太陽の動きを観測する施設(太陽信仰と深い祭祀場)は、古代世界の中にいたる所にあるようです。
最も有名なのが、英国のストーン・ヘンジです。 20年ほど前に、仕事でロンドンにいた時、現地法人の社長が<どこか行きましょうか>と言ってくれて、ロンドンから遠いことを承知で、ストーン・ヘンジと答えて、つれていってもらいました。車で2時間ぐらい。
突然、巨石群があらわれて、感動はしたのですが、どこにいってもおきる<これか!>というだけの感じでもありました。そもそも出張中ではしゃげないのです。
ここでは、紀元前3000~全1000年ごろに建てられたとだけにします。その目的も正確にはわかっていないようです。

 *右下が東北です。

おみやげに、ストーン・ヘンジの模型を買いました。
太陽の観測台だぞ!といいながら、この模型を、東西南北、正確におくことができない、と今、気がついたのです。
それすら、わからないようでは、毎年のお彼岸に取り出し飾る習慣を作っても、子どもらに“うんちく”を語ることもできません。
もっとも、子どもも大きくなって、もう聞いてくれるとは思いませんが。


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