“9.11ニューヨーク”の日が近づいたのに、この町で(2006.9.7)

2006-09-07 13:14:18 | Weblog

しょうわ町(旧庄和町)の“いらっしゃいませ、こんにちは”の本屋さんは、“TSUTAYA”です。ほぼ毎日行きます。ハードカバーの品揃えは期待しませんが、雑誌を買います。広い空間は好きですし、顔を知られた店のおやじもいない。

雑誌の特集周期は、ほぼ決まっているようだ。5月ごろは沖縄、初秋に京都、ときどき、本・読書の特集、そして、若い男性向き雑誌なら、9月11日にあわせて、ニューヨーク特集。扱っているページが少ないことはわかっていても買ってしまうのが、読書特集号とニューヨーク特集号。ほかに買うものがないからかもしれない。

月刊プレーボーイ PLAYBOY(10月号)。8月24,5日頃、新聞の広告で、ニューヨーク特集を知り、その夕刻、TSUTAYAに出かける。棚には先月号が2冊。未入荷だなと思いながら、3,4日TSUTAYAに通うが、ない。棚にはまだ先月号。9月になって勇気を出してレジの娘さんに聞く。パソコンで調べ、“入りましたが売り切れました”と。でも、先月号がまだあるよ, と棚の場所がすぐにわからないような店員さんを案内する。さっと引き抜いて無言で戻っていった。この店に何部入ったのか知りたかったのだが。この雑誌を定期購読している人がいるとは思わない。ただ、この町でもニューヨーク特集は、その日のうちに売り切れるのだ、と思った。売れ残った先月号の特集は、“祇園の遊び方”です。

となると、内容はどうでもいい、買わねば落ち着かない。結局たまたま出かけることのあった銀座の、教文堂で買った。山積みだった。気をつけて見ているのだが、その後もTSUTAYAに並んだ気配はない。

表紙には、[総力特集] “9.11から5年。こんな時代だからこそ、ニューヨーク”と、ある。このコピーの意味は、まったくわからない。こんな時代って、どんな時代だ・・・・でも、うなずいてしまう。さらに“ジャズの中心は、いつもニューヨーク”、“すべての文学はここから”、“映画こそ、NYのシンボル”とサブタイトル。私の好きな、ベースのロン・カーター(1ページ)、好きということではない(つまり1枚のCDも持っていない)が、ニューヨークで活躍するピアノの秋吉敏子さんの記事を読んで、おしまい。総力特集というほどでもない。しょうわ町のTSUTAYAでは、即日売り切れなのだ。

 9.11(評論家風に、セプテンバー・イレブンと読もう)ニューヨーク集中テロの日が近づいた。9月になって、新聞も関連のカコミ記事を始めている。5年前の、その夜のテレビ映像は忘れられない。むろん現場にいたわけではない。すぐに勤めていた社に電話をしたにすぎない。翌朝から現役最後の大仕事になった。

ニューヨークでは、その昔のプロテスト・シンガーはもちろん、フォーク、ロック、ジャンルを問わず、ミュージシャンは、9.11に呼応してうたった。60年代がよみがえったように聞こえてきた。でもその日から、アメリカは、いや世界は、すっかり変わってしまったように思える。この町からは、よく見えないのだが。