(3)軍部の独走への無反省
田母神更迭の理由は、政府見解(村山談話)に反するからということのようだ。
しかし、田母神論文の最大の問題点は、単にわが国による侵略を否定したことではなく、軍人でありながら、旧日本軍のありように対して全く批判的な視点が見られないことにあると私は思う。
例えば、田母神は満洲国を肯定的に評価するが、わが国は国策として満洲事変を起こし、満洲国を建国したのだろうか。
違うだろう。石原完爾ら関東軍の独走によるものだろう。
ロンドン軍縮会議のころから軍人が露骨に政治に容喙するようになってきた。五・一五事件で政党内閣は終焉を迎え、二・ニ六事件後には軍部大臣現役武官制が復活し、陸軍が内閣の生殺与奪を握るようになった。端的に言って、陸軍が国政を牛耳るようになっていった。
日中戦争にしても、出先が中央の指示に服さずにドンドン進んでいってしまうという面があったと聞く。
私は、軍部が戦争に引きずり込んだ、だから国民は被害者だなどと言うつもりはない。政治家や官僚にもそれに同調する者はいたのだし、総体的に見れば、国民もまたそれを支持していたとも思えるからだ。
しかし、昭和前期において、政治的軍人が国政に大きな役割を果たしていたのもまた事実だろう。
軍人勅諭で軍人の政治への介入は禁じられていたにもかかわらず。
田母神がこの点についてどう考えているのか、論文には明記されていない。しかし、戦前日本を全肯定するその姿勢からは、さして問題があるとは考えていないであろうことは容易に想像がつく。
だとすれば、朝日社説のような、文民統制を危惧する見解が出てくるのもまたやむを得ないだろう。
(4)栗栖発言との差異
田母神論文にまつわる騒動について、1978年の栗栖弘臣倒幕議長の「超法規的」発言との類似性を指摘する声がある。
小堀桂一郎は11月6日付け産経新聞「正論」欄で、次のように述べている。
産経新聞の元政治部長であり現在は客員編集委員を務め、田母神論文の審査委員も務めた花岡信昭も、産経紙上で同様のことを述べている。
私は栗栖事件の詳細は知らないので多くは語らない。
ただ、当時自衛隊法にそうした不備があったことは事実だろう。
そういう意味では、「「ほんたう」の事を口にした」と言えるだろう。
翻って田母神論文は、果たして「「ほんたう」の事を口にした」と言えるだろうか。
今、この時期に、空幕長の地位にある者が、懸賞論文などという手段で(普通、懸賞論文とは、社会的に無名の者が応募するものだろう。少なくとも、空幕長クラスの人物が応募するにふさわしいとは思えない)表現するにふさわしい内容だっだろうか。
栗栖発言にはまだしも意義があったと思う。しかし、田母神論文には何の意義があるのだろうか。
この2つを同列視できる小堀や花岡はどうかしている。
田母神更迭の理由は、政府見解(村山談話)に反するからということのようだ。
しかし、田母神論文の最大の問題点は、単にわが国による侵略を否定したことではなく、軍人でありながら、旧日本軍のありように対して全く批判的な視点が見られないことにあると私は思う。
例えば、田母神は満洲国を肯定的に評価するが、わが国は国策として満洲事変を起こし、満洲国を建国したのだろうか。
違うだろう。石原完爾ら関東軍の独走によるものだろう。
ロンドン軍縮会議のころから軍人が露骨に政治に容喙するようになってきた。五・一五事件で政党内閣は終焉を迎え、二・ニ六事件後には軍部大臣現役武官制が復活し、陸軍が内閣の生殺与奪を握るようになった。端的に言って、陸軍が国政を牛耳るようになっていった。
日中戦争にしても、出先が中央の指示に服さずにドンドン進んでいってしまうという面があったと聞く。
私は、軍部が戦争に引きずり込んだ、だから国民は被害者だなどと言うつもりはない。政治家や官僚にもそれに同調する者はいたのだし、総体的に見れば、国民もまたそれを支持していたとも思えるからだ。
しかし、昭和前期において、政治的軍人が国政に大きな役割を果たしていたのもまた事実だろう。
軍人勅諭で軍人の政治への介入は禁じられていたにもかかわらず。
田母神がこの点についてどう考えているのか、論文には明記されていない。しかし、戦前日本を全肯定するその姿勢からは、さして問題があるとは考えていないであろうことは容易に想像がつく。
だとすれば、朝日社説のような、文民統制を危惧する見解が出てくるのもまたやむを得ないだろう。
(4)栗栖発言との差異
田母神論文にまつわる騒動について、1978年の栗栖弘臣倒幕議長の「超法規的」発言との類似性を指摘する声がある。
小堀桂一郎は11月6日付け産経新聞「正論」欄で、次のように述べている。
1日付の本紙は、歴史認識についての発言が政府の忌諱(きき)にふれて辞任を余儀なくされた、昭和61年の藤尾氏、63年の奥野氏を始めとする5人の閣僚の名を一覧表として出してをり、これも問題を考へるによい材料であるが、筆者が直ちに思ひ出したのは昭和53年の栗栖統幕議長の更迭事件である。
現在の日本の憲法体制では一朝有事の際には「超法規的」に対処するより他にない、といふのが、国家防衛の現実の最高責任者であつた栗栖氏の見解で、それはどう考へても客観的な真実だつた。栗栖氏は「ほんたう」の事を口にした故にその地位を去らねばならなかつた。その意味で今回の田母神空幕長の直接の先例である。
産経新聞の元政治部長であり現在は客員編集委員を務め、田母神論文の審査委員も務めた花岡信昭も、産経紙上で同様のことを述べている。
田母神氏は「第2の栗栖」として歴史に残ることになった。統幕議長だった栗栖弘臣氏は昭和53年、自衛隊法の欠陥をついた「超法規発言」で更迭された。25年後の平成15年、武力攻撃事態対処法が成立した。栗栖氏はこれを見届け、その翌年に84歳で死去している。
私は栗栖事件の詳細は知らないので多くは語らない。
ただ、当時自衛隊法にそうした不備があったことは事実だろう。
そういう意味では、「「ほんたう」の事を口にした」と言えるだろう。
翻って田母神論文は、果たして「「ほんたう」の事を口にした」と言えるだろうか。
今、この時期に、空幕長の地位にある者が、懸賞論文などという手段で(普通、懸賞論文とは、社会的に無名の者が応募するものだろう。少なくとも、空幕長クラスの人物が応募するにふさわしいとは思えない)表現するにふさわしい内容だっだろうか。
栗栖発言にはまだしも意義があったと思う。しかし、田母神論文には何の意義があるのだろうか。
この2つを同列視できる小堀や花岡はどうかしている。
どのへんがコミュニスト的なんですかね?
自衛官の暴走を憂う声は、コミュニズムとは何の関係もないと思いますがね。
そもそも、ブル新の親玉の朝日がコミュニストだとはお笑い種ですがね。
書き逃げ屋さん。
力は貸せそうにありません。
相手と結婚していない日本人男性が 外国人女性の出産した子供を認知すると 日本国籍付与が簡単になる!
一、婚姻、扶養の義務無し
二、DNA検査無し
三、罰則は懲役1年以下 罰金なら20万円以下である。
先ず歯止めにならない。
詳しい解説は
ブログ 『 本日の韓流通信 』さんにあります。
皆々様、力を貸して下さい
首相官邸、自民党本部、電子政府の総合窓口、
平沼代議士、遠藤健太郎氏、戸井田とおる氏をはじめとする国会地方議員。
更にはマスコミではこの問題を報道してくれた産経新聞、週刊新潮にファックスを電話をメールをして下さい。
忙しい中
何とぞ宜しくお願い致します。 乱文にて 草々