『負け犬の遠吠え』がヒットした酒井順子の鉄道エッセイ。私はこの人の文章を読むのは『週刊文春』の書評ぐらいで、単行本は初めて。
単行本の帯に「茶道、華道、鉄道!」とある。女性故のユニークな鉄道論が読めるのかと期待して購入したのだが・・・。
酒井順子は、エッセイストだったんですね。よくわかってませんでした。
エッセイなので、内容としては薄いです。いや、読んでるときにはそれなりに面白いですし、内容も決して悪くないと思いますが、読み終えてからもずっと手元に置いておきたくなる本ではないような。
あと、エッセイというのは、雑誌のいろんな記事の中にあると清涼剤的な役目を果たしますが、それだけをまとめて読むとそれはそれでちょっとしんどいです。このへんは、好みの問題でしょうが・・・。
まあ、薄くったって別にかまわないんですが、私としては、「茶道、華道、鉄道!」だけに、もう少し濃い内容のものかと勝手に想像していました。
帯にはさらに「女子にも乗れる鉄道入門」とあるように、ちょっと鉄道好きな女性なら、共感を持って読めるのではないかと思います。
興味深かったのが、「はじめに」や「女子はなぜ寝てしまうのか?」で述べられている、
《乗りさえすれば、あとは何をしていようが目的地まで連れていってくれる鉄道は、私の手を引いてどこかに連れていってくれる親のような存在。》(p.8)
《列車で寝ることによって得られる幸福感は、ですから子供の頃、父親が運転して母親が助手席に座る車の後部座席で寝ていた時の幸福感と、通じているのです。全てにおいて自分で責任を取らなければならなくなった今、私はほとんど胎内回帰気分で、鉄道に乗っているのだと思う。
鉄道ファンに男性が多いのは、鉄道が母性的な乗り物であるが故、でしょう。》(p.37)
という見方。そんなこと、考えたこともなかった。
私は、ファンなどと言うのもはばかられるほどのごくごく薄い鉄道好きで、車両や駅も好きだが、鉄道で移動するという行為自体もまた好きだ。しかしそれは、揺れが心地よいとか、車にはない開放感があるといった理由によるものだと漠然と考えていた。
しかし、著者と同様に車の運転が嫌いで、電車の中ではすぐ寝てしまう私も、著者が言うように依存心が強く、胎内回帰願望があるのだろうか・・・。認めたくない話だが・・・。
単行本の帯に「茶道、華道、鉄道!」とある。女性故のユニークな鉄道論が読めるのかと期待して購入したのだが・・・。
酒井順子は、エッセイストだったんですね。よくわかってませんでした。
エッセイなので、内容としては薄いです。いや、読んでるときにはそれなりに面白いですし、内容も決して悪くないと思いますが、読み終えてからもずっと手元に置いておきたくなる本ではないような。
あと、エッセイというのは、雑誌のいろんな記事の中にあると清涼剤的な役目を果たしますが、それだけをまとめて読むとそれはそれでちょっとしんどいです。このへんは、好みの問題でしょうが・・・。
まあ、薄くったって別にかまわないんですが、私としては、「茶道、華道、鉄道!」だけに、もう少し濃い内容のものかと勝手に想像していました。
帯にはさらに「女子にも乗れる鉄道入門」とあるように、ちょっと鉄道好きな女性なら、共感を持って読めるのではないかと思います。
興味深かったのが、「はじめに」や「女子はなぜ寝てしまうのか?」で述べられている、
《乗りさえすれば、あとは何をしていようが目的地まで連れていってくれる鉄道は、私の手を引いてどこかに連れていってくれる親のような存在。》(p.8)
《列車で寝ることによって得られる幸福感は、ですから子供の頃、父親が運転して母親が助手席に座る車の後部座席で寝ていた時の幸福感と、通じているのです。全てにおいて自分で責任を取らなければならなくなった今、私はほとんど胎内回帰気分で、鉄道に乗っているのだと思う。
鉄道ファンに男性が多いのは、鉄道が母性的な乗り物であるが故、でしょう。》(p.37)
という見方。そんなこと、考えたこともなかった。
私は、ファンなどと言うのもはばかられるほどのごくごく薄い鉄道好きで、車両や駅も好きだが、鉄道で移動するという行為自体もまた好きだ。しかしそれは、揺れが心地よいとか、車にはない開放感があるといった理由によるものだと漠然と考えていた。
しかし、著者と同様に車の運転が嫌いで、電車の中ではすぐ寝てしまう私も、著者が言うように依存心が強く、胎内回帰願望があるのだろうか・・・。認めたくない話だが・・・。