トラッシュボックス

日々の思いをたまに綴るブログ。

酒井順子『女子と鉄道』(光文社、2006)

2007-04-15 23:57:39 | その他の本・雑誌の感想
 『負け犬の遠吠え』がヒットした酒井順子の鉄道エッセイ。私はこの人の文章を読むのは『週刊文春』の書評ぐらいで、単行本は初めて。
 単行本の帯に「茶道、華道、鉄道!」とある。女性故のユニークな鉄道論が読めるのかと期待して購入したのだが・・・。

 酒井順子は、エッセイストだったんですね。よくわかってませんでした。
 エッセイなので、内容としては薄いです。いや、読んでるときにはそれなりに面白いですし、内容も決して悪くないと思いますが、読み終えてからもずっと手元に置いておきたくなる本ではないような。
 あと、エッセイというのは、雑誌のいろんな記事の中にあると清涼剤的な役目を果たしますが、それだけをまとめて読むとそれはそれでちょっとしんどいです。このへんは、好みの問題でしょうが・・・。
 まあ、薄くったって別にかまわないんですが、私としては、「茶道、華道、鉄道!」だけに、もう少し濃い内容のものかと勝手に想像していました。
 帯にはさらに「女子にも乗れる鉄道入門」とあるように、ちょっと鉄道好きな女性なら、共感を持って読めるのではないかと思います。

 興味深かったのが、「はじめに」や「女子はなぜ寝てしまうのか?」で述べられている、

《乗りさえすれば、あとは何をしていようが目的地まで連れていってくれる鉄道は、私の手を引いてどこかに連れていってくれる親のような存在。》(p.8)

《列車で寝ることによって得られる幸福感は、ですから子供の頃、父親が運転して母親が助手席に座る車の後部座席で寝ていた時の幸福感と、通じているのです。全てにおいて自分で責任を取らなければならなくなった今、私はほとんど胎内回帰気分で、鉄道に乗っているのだと思う。
 鉄道ファンに男性が多いのは、鉄道が母性的な乗り物であるが故、でしょう。》(p.37)

という見方。そんなこと、考えたこともなかった。
 私は、ファンなどと言うのもはばかられるほどのごくごく薄い鉄道好きで、車両や駅も好きだが、鉄道で移動するという行為自体もまた好きだ。しかしそれは、揺れが心地よいとか、車にはない開放感があるといった理由によるものだと漠然と考えていた。
 しかし、著者と同様に車の運転が嫌いで、電車の中ではすぐ寝てしまう私も、著者が言うように依存心が強く、胎内回帰願望があるのだろうか・・・。認めたくない話だが・・・。

呉智英『封建主義者かく語りき』(史輝出版、1991)

2006-12-18 00:08:31 | その他の本・雑誌の感想
 先に浅羽通明『右翼と左翼』の感想で少し触れた呉智英のデビュー作『封建主義、その論理と情熱』(情報センター出版局、1981)の改題増補版。現在は双葉文庫に収録されており、読み継がれているようだ。
 呉智英は民主主義や人権思想を批判し、「封建主義者」を自称する評論家。そのスタンスはデビュー作である本書から一貫している。といっていわゆる保守系の評論家とはまた異なる立場を取っており、どちらかというと本質的には左翼に近いと私は見ている。またマンガ評論でも多大な業績を残している。
 以前は愛読していたが、数年前から見方が変わり、現在はあまり評価していない。
 本書は2年ほど前に処分してしまって手元にはないのだが、一度述べてみたかった本なので、記憶とメモに基づいて感想を記す。
 
 序章で、イラン革命の例を挙げ、民主主義的思考の限界を示し、呉智英はこう述べる。

《これから私は、常識とされてきた思考の公理を封建主義の視座から次々にひっくり返していく。学校の授業や教科書で教えられ、新聞や雑誌に掲載されている封建主義への非難が近代の迷妄にすぎないことを確証していく。
 自由や平等は民主主義に固有なものではなく、むしろ、封建主義のほうが実体のある自由や平等を考えている。また、植民地主義・侵略主義と最も果敢に闘ったのも封建主義である。
 (中略)
 そして曇りなき目で封建主義が眺められるようになった時、行きづまりを露呈させている各種の現代思想にくらべ、封建主義がはるかに可能性に満ちた思想であることが明らかになるのである。》

 しかし、呉智英のこの意気込みは実現されたとは言い難い。
 
 この人は、民主主義を批判する手段として封建主義を標榜しているだけであり、実際には民主主義の改良者としての役割を果たしているにすぎないのではないかということは以前から漠然と考えていたが、小谷野敦が『バカのための読書術』(ちくま新書、2001)で呉智英を評価しつつも批判し、「隠れ左翼」と指摘しているのを見て、ますますその思いを強くした。
 本心は民主主義の改良ではないかもしれない。しかし彼にはその知識を動員して民主主義の限界を批判することはできても、有効な代案を出すことには成功していない(仇討ち復活など、全く有効ではない)。

 若いころに読んだときには気付かなかったが、2年ほど前に読み返したとき疑問に思った。
 そもそも「封建主義」とは何か?
 「封建制度」というものはある。「封建的」という言葉もある。しかし「封建主義」という言葉はあるか? 

 呉智英は、なんと『広辞苑』に「封建主義」の項目はない!と驚いた上で、こう述べる。

《つまり、定義しにくい、もしくは、定義に値しない曖昧な概念だと封建主義は考えられているわけである。
 (中略)
 「封建主義」の通常の印象に最も近いものが「封建的」という語で、その説明には、「封建制度に特有の性格を持っているさま。俗には、専制的で目下の者の言い分を聞こうとしないさまなどにいう」とある。この説明の前半部分は、辞書によくある同義反復型の説明にすぎず、本来の説明は、むしろ後半部分なのだが、さて期待して見てみると、「俗には」という断り書きのある解釈しかない。ここに、『広辞苑』が「封建主義」という言葉を採り上げず、「的」というどんな言葉にもとっつけることができる曖昧なかたちのほうを採用した賢明さが現われている。それは「封建主義」と明確に言いうるようなものはなく、ソレ的なものが、一般に何となく通用している現状を反映しているからだ。》

 この文章は何だろう。最初は定義しにくいから載っていないと言い、後では封建主義ではなく封建的が通用しているという。 そもそも「封建主義」という言葉は81年当時実際に使われていたのか? feudalism もism だから封建主義と訳せないことはないが、普通は封建制度と訳すのではないか。自由主義や共産主義と並んで封建主義というものがあるかのような呉智英の説明は苦しい。

 そのあと、『新明解国語辞典』では、「封建主義」も「封建的」も載っていて同じような説明がなされているとあるが、私は、「封建主義」という語は、「封建的」と同義の、悪い意味で使われる一種の俗語であり、広辞苑が採用していないのも理解できないわけではなく、それをオリジナルな思想としてとらえるのは呉智英の独創ではないかと考えている。
 呉智英自身、あとでは次のように述べている。

《ここで一つ、あたりまえのことながら往々にして忘れられていることを指摘しよう。封建制度なるものは、たしかにあった。しかし、主義といえるような「主義」としての封建主義は、封建時代にはなかったはずだ。》

 そのとおりである。誰が忘れているというのだろう。封建時代にはおろか、近代以降にもあったと言えるかどうか、私は疑問である。
 さらに呉智英はこのように述べる。封建主義は民主主義のネガである。民主主義を進めていくに当たって、古い現実をひっくるめて「封建主義」という名称を与えた。しかし、民主主義に欠点はないのか。それがあきらかになれば、封建主義は単なる民主主義のネガではなく、「新しき封建主義」の可能性が現われてくるはずである、と。
 確かに、民主主義にも欠点はあるだろう。それが明らかになることで「新しき封建主義」の可能性が現われるという理屈がよくわからない。
 民主主義の欠点は、修正民主主義として克服されるのではないか。仮にその過程で「古い現実」を参考にすることがあったとしても、それは参考にすぎない。「新しき封建主義」を提唱するならば、それは民主主義を否定するところから始まらなければならないはずだ。つまり、君主による専制や、奴隷制を含めた身分制を肯定し、思想や宗教の自由や、生存権を否定する立場を取るはずだ。ところが、呉智英の主張はそのようなものではない。

 「自由と平等は、封建主義で解決できる」という見出しの箇所がある。
 例えば、言論の自由は、①衆知を集める、②異なる意見への寛容、③反政府的言論というように分けられるが、これらはいずれも民主主義特有のものではないという。
 平等についても、イスラエルの問題、リベリアの黒人奴隷輸出のように、民主主義では解決できない現象があるという。
 だからといって、封建主義がどう有効なのか、どう民主主義より優れているのかは明らかにされていない。そうした点が非常に不満だ。

 また、次のような記述がある。

《こういった研究やマンガ〔深沢註:竹内好、島田虔次による儒教再評価、白川静『孔子伝』、諸星大二郎『孔子暗黒伝』〕を知ってから、私は、儒教を中心にして仏教・道教をも加味した封建主義にはっきりと目覚めた。》

《そもそも、無意味に“個”の犠牲を強いる因襲的な家族主義・ムラ主義なんていうものは、封建主義とは関係ないのだ。『論語』陽貨篇にこうある。子曰く、郷源は徳の賊なり》
 
 どうも、呉智英の言う封建主義とは、儒教を中心にして仏教・道教をも加味したものであるらしい。
 しかし、「無意味に“個”の犠牲を強いる因襲的な家族主義・ムラ主義」が「封建的」なものであるというのは、一般的な理解だろう。
 ならば、呉智英は「封建主義」と言うよりも、単に「東洋思想」という言葉を用いるべきではないか。あるいは「呉智英主義」でもいい。封建主義の復権を掲げると称する一方で、封建主義とは本来そのようなものではないと、社会通念とは異なった独自の解釈を示すのは、フェアでないと思う。

 「すべからく」の誤用の指摘や、「支那」を差別語とする見方の否定、新聞報道が「弁護士」などの職業はそのままなのに「大工さん」は「さん」付けすることなど、昔、本書から学んだことは数多いし、影響も受けている。
 しかし、年を経てから読み返すと、著者の主張の根本的な部分に、疑問を覚えざるを得ない。
 また、著者は確かに博識なのだが、その主張の全てが妥当とは言い切れないこともようやくわかってきた。

ユン・チアン、ジョン・ハリディ『マオ―誰も知らなかった毛沢東』下巻(講談社、2005)

2006-12-17 02:46:31 | その他の本・雑誌の感想
(上巻の感想はこちら
 下巻は、新中国建国後から毛沢東の死去までを扱っている。
 私は建国以前の毛沢東や中国共産党についてはあまりよく知らなかったが、建国後については、以前文革関係の本や李志綏の『毛沢東の私生活』などを読んだことがあるので、大まかなことは知っていた。
 しかし、毛沢東が金日成をけしかけて朝鮮戦争を始めたとか、インドシナ戦争で北ベトナムに中途半端な形での和平を強要したとか、飢餓輸出を推進し、農民の惨状を意に介さなかったとか、周恩来の癌治療を許さず自分より先に死ぬように仕向けたとかいった、これまでに見られなかった毛沢東像が描かれている。

 文革期の中国については、現在の金正日の異常な独裁体制を理解する上で参考になるのではないかと以前から考えていたが、例えば、5年ごとに開かれる党大会が61年に開かれなかったのは、毛沢東が大会で党主席を解任されることを恐れたからだというエピソードが紹介されている(p.249~252)。毛沢東は代わりに62年に投票権を持たない会議(七千人大会)を招集するが、劉少奇の反撃により自己批判を余儀なくされ、一時的に後退せざるを得なかったという(結局党大会が開かれたのは文革後の69年)。
 北朝鮮でも、80年の第6回党大会を最後に党大会が開かれていない(規約上は5年に1回)し、より頻度の高い党中央委員会総会も94年の金日成の死後は開かれていない。同様の理由によるものだろう。

 文革派による実権派の排除と文革派同士の内ゲバによる混乱で、党の機能は停止した。68年の劉少奇打倒後、紅衛兵は下放され、軍と政府により国家秩序は維持された。軍のトップであり毛沢東の後継者とされていた林彪がクーデターに失敗して?死亡し、代わって軍トップとなった葉剣英と周恩来首相が手を結んで小平をはじめとする実権派を復活させ、毛沢東や四人組もこれを阻止できなかった。毛沢東の死後、後継者華国鋒が小平や葉剣英と組んで四人組を排除し、中国の政治は正常化された・・・というのが私の文革期の理解だが、同様のことが北朝鮮でも起こり得るだろうか。
 党が正常に機能せず、先軍政治と称して軍主導で国家を維持している点で、現在の北朝鮮は文革期の中国に似ているようにも思える。しかし、北朝鮮には、実権派に相当する勢力が存在しない。国中が文革派一色に染められているようなものだ。軍も金正日を支持しており、クーデターの可能性も低い。
 かつてソ連でもフルシチョフが排除されたり反ゴルバチョフのクーデターがあったことを考えると、金父子は全く恐るべき独裁制を完成させたものだと思う。

 話を戻すが、本書の内容が全面的に正しいと言えるのか、私も自信がない。
 毛沢東神話を解体するというか、率直に言って毛沢東を貶めるのが目的の本であるから、当然筆致は公平ではない。証言や文書の扱い方にも偏向があるだろうと思われる。中国研究者の矢吹晋は本書を酷評しているという(その要約)。
 しかし、スターリンや金父子に対する批判的な見方は今や常識だが、中国版スターリンと言うべき毛沢東に対しては必ずしもそうではなく、私がそうだったように未だに神話の影響が残っている。そうした風土に一石を投じた本書の意義は大きい。

 惜しむらくは、本書には原書にある厖大な注釈や参考文献が欠けている。
 訳者土屋京子はあとがきで、

《これは本書の衝撃的な記述を裏付ける極めて貴重な資料ではあるが、これを本書に含めると、ただでさえ分厚い本のページ数がますます増えて、読者の財布と上腕二頭筋に余分な負担をおかけすることになるので、この部分は本体と分離して講談社のホームページ(http://shop.kodansha.jp/bc/books/topics/mao/)に掲載し、必要に応じて無料でダウンロードしていただけるようにした。》

と述べているが、本はそれ自体で完成されたものであるべきだと思う。
 これを講談社がいつまでも掲載し続けるとは限らないし、講談社自体もいつまでも存続するとは限らない。
 しかし、書物は、百年、二百年と保存され、読み継がれていく可能性がある。
 しかも、本書のように内容が論議を呼びやすいものの場合、注釈や参考文献の呈示は必須と言えるのではないだろうか。
 おそらくは訳者の希望ではなく出版社の都合による措置なのだろうが、大失策だったと思う。講談社の書物に対するいいかげんな姿勢がよくわかる話だ。

高島俊男『お言葉ですが・・・』11巻が発売中

2006-12-13 23:04:14 | その他の本・雑誌の感想
 「翻訳blog」というブログからいただいたトラックバックで、高島俊男『お言葉ですが・・・』の最終巻となる11巻が先月出版されていたことを初めて知った。
 広告を見た覚えもないし、評判を聞いたこともない。連合出版は小出版社だから? しかし掲載誌だった『週刊文春』に広告が載ってもよさそうなものだが。関係が悪化しているのかな? Amazonにもレビューがないし、さみしい限りだ。
 早速買おうかな。いやまてよ、私が持っているのは全て文春文庫版で、まだ文庫化されていない巻がいくつかある。それを待つべきか? しかし、このような状態で今後も順調に文庫化されるだろうか??
 やや不安だが、文庫化に期待して、もう少し様子を見ることにします。
 「翻訳blog」の植村昌夫さん、ありがとうございました。そちらの記事にコメントを付けたのですが、何故か届かなかったので、こちらで記事を作りました。

(2006.12.24追記)
 12月21日発売の『週刊文春』(12月28日号)の書評欄の新刊紹介に、本書の記事が掲載された。書評ではないので扱いは小さい。

浅羽通明『右翼と左翼』(幻冬舎新書、2006)

2006-12-11 23:34:05 | その他の本・雑誌の感想
 先月創刊された幻冬舎新書の1冊。帯に「右翼って何ですか? 左翼って何?」とある。
 「プロローグ 本書の読み方」に、

《本書のテーマは、(中略)「右ー左」」という対立軸です。この対立軸がどういうものかを、とりあえず「わかりたい」という人へ向けて本書は書かれました。》

とある。
 といって、本当に「右-左」がわからない人(そうした人はままいるものだが)への入門書とは言い難い。普通に用いられる「右-左」の意味は一応わかっているが、何故それを「右-左」と言うのかとか、具体的に何を指すのかとか、もっと突っ込んだことが知りたい人向けの本。
 全7章のうち6章までは、もっぱら右翼、左翼についての歴史が語られており、こうしたことにはある程度知識があったのでそれほど注目すべき箇所はなかったが、「第7章 現代日本の「右」と「左」」と「エピローグ-「右-左」終焉の後に来るもの」は、現代から将来についての話で、著者の主張が色濃く出ており、読み応えがあった。
 ただ、結論には同意できないが。
 「右」「左」という分類はもはや有効性を失い、一方で宗教と民族主義が台頭していると浅羽は説く。そして、

《「自由「平等」という近代的価値のみでは、人々の需要を充たすには足りず、近代国家という単位も、普遍性に疑問があるとわかってきた現在、我々にはいかなる社会思想が構想できるでしょうか。
 まずは、「右-左」図式が出現する以前、「権威・序列・忠誠」を柱とし、「権威」と「秩序」の公正を保障する普遍性ある巨大宗教(儒教を含む)がそれらを支えた「帝国」の可能性をもう一度検討すべきでしょう。
 (中略)
 科学技術、(中略)大衆社会、帝国主義、共産主義、ファシズムなどの歴史的経験、これら明暗交錯する蓄積を繰り込み、新たな千年紀を費やすやもしれぬ普遍的思想(宗教)を構築してゆくべし。こうならざるを得ないでしょう。》(p.244~245)

と結論づけるのだが、何故そうならざるを得ないのかわからない。
 何故、そのような大思想というか哲学体系というか、かつてのマルクス主義や現代のチュチェ思想みたいなものを必要としなければならないのだろう。

 浅羽は、7章後半においても、こう述べている。

《現在、日本の「右」「左」の対決はこれまでにもまして、不完全燃焼なものとなってきています。
 すなわちどちらにも「現実」から大きく飛翔してゆく「理念」が極めて乏しいからです。
 もし「右」が「理念」的であろうとするのならば、「右」を突き詰めて、日米安保の「現実」を否定、武装中立する日本となるべく準備していかねばなりますまい。
 (中略)
 よくいわれる「右傾化」「保守化」も現状追認のいい換え以上ではなく、現状否定が求められてはいない。これが現在の日本でしょう。
 (中略)
 あるいは、「左」が「左」を突き詰めるならば、単に非武装中立を実現して侵略の危険なき日本をアジアへ示すだけでは甘すぎましょう。徴兵制、徴労制を布いて、支那、南北朝鮮ほかアジア諸国への実効ある真の謝罪として、日本の男性は弾除けの兵役と労務、女性は慰安婦として永遠に償いを果たす制度くらいは実現すべきでしょう。》(p.211~213)

 現実から遊離した「理念」に、思考実験以上の何の意味があろうか。現実から遊離した「右」「左」それぞれの「理念」によって、世界中でさまざな悲惨な出来事が生じたのではなかったか。現状追認、結構なことではないか。
 どうも浅羽は、マルクス主義に代わるような新たな大思想、あるいは宗教、そういったものが世界には当然必要であるという前提があるように思える。

 「あとがき-非正規兵から一言」に、次のような一節がある。

《「右翼」「左翼」を生み出した近代を根底から問い直す「封建主義」を構想し、幕藩体制復興を唱える呉智英氏の思想的営為は、本書でも著者の大きな背景をなしています。》

 さもあらん。呉智英もたしかそのようなことを述べていた。私も以前は呉の著作を愛読していたが、最近見方が変わった。彼の所為は思考実験以上のものではないし、そこから大思想が生まれることもないだろう。本質的に彼は近代主義者である。隠れ左翼と言ってもいい。浅羽にも同様の限界を感じる。
 

シュミット元西独首相のインタビューを読んで

2006-12-05 23:16:17 | その他の本・雑誌の感想
 ヘルムート・シュミット元西独首相のインタビューが今日の『朝日新聞』の朝刊に載っている。この秋、「隣人の中国」と題した討論集を出版するなど、「アジア各国の事情に通じたヨーロッパ人の視点から発言を続」けているという。87歳。
 興味深い発言もあるのだが、疑問に思う点も多い。特に最近の日本についての認識。

《-歴史認識をめぐって「後世の歴史家に評価はゆだねるべきだ」と考える政治家が少なくありません。》

とするインタビュアー(木村伊重・ヨーロッパ総局長)に対し、

《「政治家は自国の歴史を語らなければならない。同時に安倍首相は日本の国民に対しても、自国や他国の歴史についてもっとよく知ってほしい、と言うべきだろう。」
「例えば、漢字や儒教、禅宗といった精神文化が古代の中国から、あるいは朝鮮半島を通して日本に伝来したことさえよく知らない日本人が少なくない。中国や韓国の対日不信の根源が、19世紀後半から20世紀前半にかけての日本の行動にあったことを学んでいない人もいる」》

と述べているのだが、そんな日本人がどこにいるというのだろうか。中韓の反日的な動きに対する反発が昨今の日本でかまびすしいのは事実だが、そのように反発する人々でも、漢字や儒教が中国で発生したことや、19世紀後半から20世紀前半にかけての日本の行動が反日の論拠になっていることなど、知らぬはずもない。何やら、右傾化が進んでいると言われる昨今の日本の状況が、非常に歪んだ形で伝えられているように思える。
 もう一つ、中国の現状についての認識。今後、中国が東アジアの不安定要因になるという見解に対し、

《「それは米中央情報局(CIA)やペンタゴン(国防総省)がつくり上げた話だ。実にばかばかしい。確かに陸上兵力の規模は巨大だが(中略)海上、航空兵力はまだ取るに足りないし、国外に軍事力を展開する必要を彼らは感じていない。日米安保体制が中国を仮想敵国に考えるなら、愚かなことだ。中国から見れば、台湾や沖縄、日本本土、韓国といった空母にいつも囲まれているような気分に襲われている」》

と言うのだが、あまりにも楽観的すぎはしないか。確かに今現在の中国の海軍、空軍はさしたるものではないかもしれないが、中国は建国後着々と軍事力を増強してきた。核兵器も保有している。好調な経済を背景に、今後もますますその傾向が進むのではないかとの疑念を日本や周辺諸国が持つのは当然だと思うのだが。日中戦争での日本の敗戦からも明らかなように、中国の周辺諸国が中国を征服するのは至難の業だ。しかし、中国(支那)が周辺諸国を征服した例はいくらでもある。結局、ドイツにとっては差し迫った問題ではないから、あまり危機感を覚えないのだろうか。

ユン・チアン、ジョン・ハリディ『マオ―誰も知らなかった毛沢東』上巻(講談社、2005)

2006-12-04 23:48:08 | その他の本・雑誌の感想
 昨年の終わりごろ発売され、話題になった本。
 そのうち読んでみたいと思いつつ機会がなく、先日古本屋に並んでいるのを見てようやく購入。
 まだ上巻しか読んでいないが、とりあえず感想を。
 一言で言うと、従来の毛沢東観の見直しを迫る本。
 私は建国前の中国共産党や毛沢東については詳しくなく、ごく一般的な知識しかなかった。それは、高校の世界史レベルの、

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 中国共産党はマルクス主義に感化された都市部知識人を中心に結成された。毛沢東はその草創期から参加していたが、当初は主流派ではなかった。上海クーデターで第1次国共合作が解消された後、毛沢東は農村に基盤を置いて勢力を拡大しやがて都市を包囲するという独創的な戦略を打ち出した。そして瑞金に中華ソビエト共和国臨時政府を樹立するが、国民党の包囲を受け、長征を開始した。長征の末、延安に至った毛沢東らは、ここを根拠地として勢力を温存し、その過程で党における毛沢東の主導権がようやく確立された。やがて張学良が起こした西安事件により第2次国共合作に成功し、共産党は国民党と共同して日本軍と戦った。日本軍の敗退後、共産党は民衆の支持のもと、腐敗した国民党政権を台湾に放逐し、人民共和国を樹立した。建国後、大躍進、文化大革命など数多くの誤りはあったが、党の組織者、抗日戦及び対国民党戦の指導者としての力量は優れていた。民衆も建国当初は国民党より共産党を支持していた。
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といった感じのものだ。
 しかし、その多くに、共産党側の宣伝に乗せられた幻想が含まれているという。
 特に、毛沢東が実践活動によりカリスマ的リーダーとなったのではなく、党内闘争で他の幹部を排除してリーダーとなったというくだりが非常に印象的だった。つまり、レーニン型ではなくスターリン型だったということだ。朱徳や林彪、彭徳懐は軍人として活躍したが、毛沢東自身は軍人ではなかった。党内闘争に勝利するために敢えて味方を犠牲にすることも多かったという。
 本書の毛沢東観は驚きだったが、しかし初めてのものではない。
 連載が終了した『週刊文春』の名コラム「お言葉ですが・・・」の高島俊男に『中国の大盗賊・完全版』(講談社現代新書、2004)という著書がある。ここでいう盗賊とは、単なる泥棒のことではない。集団で行動して都市を奪い、ついには天下を取るような大集団のリーダーを指す。陳勝、劉邦、朱元章、李自成、洪秀全、そして最後の章は毛沢東に当たられている。毛沢東もまたこれら大盗賊の系譜に連なるものだというのである(毛沢東に関する記述が、元の本(1989年刊)ではかなり減らされたため、それを復元したから「完全版」なのだそうだ)。この本の毛沢東像は、『マオ』のものと基本的に同一である。私はこの書を読んでもまだ毛沢東を「盗賊」ととらえることには懐疑的だったが、『マオ』を読んで納得した。

 ただ、この『マオ』の内容に全面的に賛同しているわけではない。もともと毛沢東糾弾を目的とした本だから、当然筆致は公平ではない。また、依拠した資料やそのとらえ方にも偏りがあるのではないかとの疑念は拭えない。それに、こうした本にありがちなように、全てを毛沢東が計画し、そのとおりに物事が進んでいくような印象を受けるが、歴史というのはそういうものではあるまい。
 しかし、概して言えば、政治家としての毛沢東は本書で描かれたような人物だったのだろうと思うし、そのような本書が日本で出版されたことは、先に述べたような従来の毛沢東観を打破するものとして喜ばしいことだと思う。(下巻の感想

馬渕直城『わたしが見たポル・ポト キリングフィールズを駆けぬけた青春』(集英社、2006)

2006-10-28 23:58:34 | その他の本・雑誌の感想
 本書を知ったのは、新聞広告で。アオリ文句に「ポル・ポト派の虐殺は本当にあったのか?」などと書かれていた(うろ覚えなので、若干言葉は違うかも)ので、今どきポル・ポト派の虐殺を否定するつもりなのかと、印象に残った。
 ポル・ポト派の虐殺については、当初は難民の証言が中心であったため、懐疑論も強かったという。解放勢力が虐殺などするはずがないといったものから、多少の誤りがあったかもしれないがこれほどの規模ではないといったものまで。ポル・ポト派は中国の支援を強く受けていたので、もっぱら親中国派が弁護に回ったとも聞く。しかし、ベトナム軍の侵攻後、カンボジア国内でも虐殺の実態を取材できるようになったため、以後は虐殺否定論はほぼ見られなくなった、と思っていた。
 著者は、フリーの戦場カメラマン。ベトナム戦争が波及したラオスやカンボジアを取材したという。その後、政権崩壊後のポル・ポトの取材にも成功しているという。どのような虐殺否定論が展開されるのか、興味を持って本書を読んでみた。
 しかし、この点では期待外れだった。
 まず、本書全体のうち、虐殺の否定についてはそれほどスペースを割かれていない。全体的には、当時の取材エピソード集という感じだ(本書のタイトルからして、当然の内容と言えばそうなのだが)。
 そして、第三章の中の「〝仕立てられた〟大虐殺」という節で、虐殺を否定して、例えば、「マスコミから流された〝虐殺〟による死者数は、三百万から四百万という、とてつもない数だった。しかし不思議なことに、その数字の根拠はどれひとつとっても不明確で、ただ虐殺だ虐殺だと言い続けるだけなのだ。具体的な証拠など何ひとつなかった。」(p.115~116)と述べるのだが、続けて、1979年12月に『朝日新聞』に載った、デビッド・ボケットという英国人の京都精華大学教員の記述を引用して、同氏は
1.67年の人口は640万で、79年には820万に増加しているが、200万以上の死者が出たのなら人口は減るはず
2.77年にポル・ポト政権が20万トンのコメをビルマに輸出しているが、民衆を虐殺してコメ増産ができるか
3.76年に『タイム』誌がビニール袋を使って窒息死させるイラストを掲載しているが、石油産業のないカンボジアではビニールは貴重品で虐殺には使えない
などとし、「大国の思惑に反したからポル・ポト政権は袋だたきにあったと私は見る。むろん革命に伴う上層部の処刑はあったと思うが、それと民衆虐殺とは区別しなければならない。」と述べているというのだが、虐殺説に具体的に反論しているのはこの箇所ぐらいのものであった。私はひどく失望した。
 先にも述べたように、ポト派による虐殺は言わば定説であり、現在でもこれに関する書籍はいくつも出ている。著者が虐殺を否定するならこういった書籍に具体的に反駁すべきではないか。単に当時の一大学教員の弁を引用するだけで済ますべきではない。

 あと、映画「キリング・フィールド」を強く批判している。解放の日に自分はプノンペンにいたが、自分が見たことは映画とは大きく異なると言う。しかし、解放の日の様子はその少し前の箇所で描かれてはいるのだが、具体的な指摘がないのでどこがどう違うのかまるでわからない。別の箇所で、著者の妻(カンボジア人)が映画のキャスティングを受けた際に、「彼女が目にした事実と、脚本に書かれていることがあまりに違っていたからだ。脚本に書かれている凄絶な市街戦や虐殺・暴行シーンなど一切なかった。そのことをプロデューサーやスタッフに抗議すると、(中略)受け入れられなかった。」(p.86)とあるが、こういったこと指すのだろうか。
 確かに、映画は全くの事実ではないだろう。演出もあるだろう。著者が指摘しているような、主人公の米人記者とカンボジア人通訳との関係が、映画で描かれたようなものではなかったといった問題もあるのかもしれない。
 しかし、虐殺を含め、ポル・ポト政権による支配の実像は、おおむねあの映画が描いたようなものではなかったのだろうか(例えば、井上恭介、藤下超『なぜ同胞を殺したのか ポル・ポト-堕ちたユートピアの夢』(NHK出版、2001)には、ポル・ポトに関する「NHKスペシャル」を制作した井上が「取材に備えて専門家の書いた本などを読んだ結果、(中略)特に『キリング・フィールド』に描かれていたことは、細部にわたり相当正しいことがわかった」とある。)。
 それと、著者は、原題は「キリング・フィールズ」だったことにこだわっている。「アメリカとの戦争、革命時代、ベトナム侵攻と、フィールド(戦場)が何度も重なったところにクメール民族の不幸があったのだというのが制作側の意図だ。邦題ではそのニュアンスがきれいに消されてしまった。」(p.80)と言う。そのため本書のタイトルでは「キリングフィールズ」としているのだろうが、さてこれは本当なのだろうか。制作側にそこまでの意図があったとする根拠はあるのだろうか。それと、仮に忠実に「フィールズ」としていたとしたら、かえって意味がとれなくなる日本人が多いのではないだろうか。私は「フィールド」で問題ないと思う。日本語の名詞には複数形はないのだから。
 
 本書を読んでいると、カンボジア人への著者の思い入れが極めて強いことがよくわかる。そんなカンボジア人が多数犠牲になったポル・ポト政権による虐殺には何故これほど甘いのだろうか。解放勢力シンパというこれまでの経緯と、その後のベトナム侵攻・支配による同情か。
 なるほどベトナムによる支配は進んでいるのかもしれない(著者は、ベトナムは次にタイにも触手を伸ばしていると説く)。しかし、とりあえずポト派の支配よりはマシではないだろうか。ポト派は全土を強制収容所と化し、国家を殺人マシーンと化した。スターリンの粛清、文化大革命といった共産主義による悲劇の中でも、その愚劣さにおいて最大級のものだと私は考えている。本書によってもその思いは揺るがなかった。

清水幾太郎『日本よ 国家たれ 核の選択』(文藝春秋、1980)

2006-10-22 21:20:36 | その他の本・雑誌の感想
 清水幾太郎は、戦前から戦後にかけて活躍したジャーナリスト、社会学者、思想家、評論家。東大で社会学を学び、副手となるが、言論界に転じ、戦中期には読売新聞社論説委員、陸軍報道班員を務めた。戦後、1949~69年学習院大教授。進歩的文化人の典型とされ、全面講和論を主導、反基地闘争、60年安保闘争に参加したが、60年安保の敗北後は研究活動に専念し、70年代には右旋回し保守派の論客となる。88年死去。岩波新書青版のロングセラー『論文の書き方』の著者でもある。私には、時流に応じて安易に主張を変えるオポチュニストに見え、あまり評価はしていない。
 本書は、以前古本屋で買い、一読したはずだが、内容を全く覚えていない。現在の北朝鮮の核問題を機に読み直すことにした。
 タイトルから、日本は独立国として核兵器を持たなければならないといった主張が展開されているものと思いきや、驚いた。本書の構成は、日本は米国の占領政策により国家として弱体化されたといった、当時の保守派でよく唱えられていた戦後民主主義の見直し論(「第一部 日本よ 国家たれ」)と、日本の防衛はどうあるべきかという研究成果(「第二部 日本が持つべき防衛力」)を併記したものにすぎず、核兵器の保有をめぐる主張は、その第二部の数ページにわたって展開されているにすぎない。しかも、非核三原則の見直しが必要だというものの、日本の選択肢としては、A.独自の核武装、B.核弾頭を米国に提供してもらい、核運搬手段を日本で用意する(当時の西ドイツ方式)、C.核運搬手段を持つ米陸軍を日本に駐留させる、D.現在の在日米軍(海・空軍)の核持ち込みを認める-の4つがあり、「どの手段を選択することも可能である。」と述べており、必ずしも日本の核武装を主張しているわけではない。一度は読んだはずなのだが、こんな本だったっけ?
 もともとは清水が自費出版して配布したパンフレット「日本よ 国家たれ」を、雑誌『諸君!』が掲載し、さらに単行本化したものだという。「日本よ 国家たれ」なら、まだしも内容に合致している。そこに「核の選択」という言葉を付すだけで、全く違った印象を醸し出すことができる。さすが文藝春秋、売り方がうまい(同社の『「南京大虐殺」のまぼろし』なんかもその手のタイトルで、南京大虐殺は幻だと主張する本ではない)。
 第二部を読んで思ったのは、昨今話題のミサイル防衛については何ら考慮されていないということだ。この当時、仮想敵国視されていたのはソ連だが、もっぱら通常兵器による戦闘について述べられており、IRBM(中距離弾道ミサイル)は脅威であるとしながらも、それが現実に用いられた場合の想定はなされていない。当時、ミサイル防衛の技術が未発達で、どうにも対処のしようがなかったからかもしれないが、それにしても、シェルターのことなど、考えるべき問題は多々あるはずだが。
 このころは、核戦争の危機といっても、米ソがICBMを打ち合うというイメージで、局地的に用いられる可能性については、ましてやそれが日本を対象としたものとしては、あまり考慮されていなかったのではないだろうか。ソ連脅威論にしても、アフガニスタンのように地上軍が侵攻してくるというイメージはあっても、核兵器による攻撃を受けるというイメージはなく、ましてや中国や北朝鮮が日本に対して核を使用するなど、考えられもしなかったのではないか。
 ある意味、牧歌的な時代だったのだなあという気がする。
 そんなわけで、現在の北朝鮮の核問題に際して核武装論を考えるという点では、あまり参考になりませんでした。

高島俊男「お言葉ですが・・・」終了

2006-10-01 13:08:23 | その他の本・雑誌の感想
 ちょっと古い話題だが、『週刊文春』の長期連載、高島俊男の「お言葉ですが・・・」が8月17・24日号をもって終了した。愛読していただけに残念だ。 著者は中国文学者だが、この連載は、日本語にまつわる疑問や、巷での誤用の指摘、あるいは語源探しなど、言葉にまつわるエッセイ。「お言葉ですが・・・」とはまさに絶妙のタイトルだ。
 単行本が文藝春秋から10冊、文庫本が文春文庫で6冊出ている。文庫本は単行本の後さらに判明したことを補足しているので、こちらの方がおすすめ。
 連載最終回によると、最後の巻は文藝春秋ではなく連合出版から年内に発売予定だという。連合出版といえば、カンボジア問題の本などを出していた、左翼系の出版社だというイメージがあった(今、同社のホームページを見てみると、そうでもないようだ)が、何故? と思っていたら、『文藝春秋』10月号の阿川弘之の巻頭コラムによると、単行本10冊目のあとがきで、売れ行きが悪いので単行本はこれで終わりになると書かれているという。そうなのか。では連載終了も人気が下がったからかも。少し前に、日本語ブームなどと言われたが、こういうちゃんとした本が売れないのは悲しい。最終巻をちゃんと文春が文庫化してくれるのか、ちょっと心配。
 ともあれ、多少なりとも言葉にこだわる人なら、このシリーズはおすすめです。同著者の『漢字と日本人』(文春新書)もおすすめ。漢字の使い方については私は著者とはまた違う考えですが。