竹田城跡は、”天空の城”とか”日本のマチュピチュ”とか言われています。
また、別名”虎臥城(とらふすじょう)”とも云われ、縄張りが虎が臥せているように見えることからだそうです。
標高は、353.7mの古城山の山頂に築かれ、南北約400m、東西約100m。
今は、石垣のみが残っている全国でもまれな完存する遺構です。
国の史跡に指定され、日本城郭100名城に選定されています。
竹田城は1441年頃、但馬の守護大名、山名宗全が出石城の出城として13年の年月を費やし、当時は土塁を元に作られ、山名氏の武将、太田垣氏が7代にわたって城主となり治めます。
その秀吉が、播磨を平定したのち、小一郎秀長を竹田城に入れるも、後に赤松氏が2万石で城主になる。
その後、関ヶ原の役で敗れ、後、竹田城は廃城となります。
縄張り
江戸時代は、幕府直轄の生野代官の支配下となり、そのまま明治を向かえます。
昭和18年に国史跡に指定されますが、昭和46年、石垣復元工事に着手されるまで、忘れられた存在だったようです。
昭和52年に所有者和田山町が「竹田城保存管理計画」を作成し、石垣復元工事を始め、今日に至ります。
今は、無料ですが、今年10月1日から有料になります。(大人300円の予定です)
この城が有名になったのは、マチュピチュのように、謎に包まれており、そして雲海にも包まれた光景は、神秘的で、日本にはない珍しい眺めということにあるようです。
天守台を望む
雲海を見るには、秋から冬にかけて、日の出前から午前8時頃で、気象条件が整えば、見事な雲海に浮かびあがる石垣が見えるそうです。
勿論、僕は見ることは出来ませんでしたが、多くの写真が出ていますので、興味のある方は、ご覧ください。
10月の有料に向かって、今、工事中の道路です。