徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

タイガース、水彩画、鉄道などの、僕の気ままな”独り言”

トラ、前半戦、借金2で折り返し

2011年07月20日 21時39分57秒 | 野球・タイガース

トラは岩田、カープがマエケンの投げ合いとなりましたが、軍配はマエケンに上がりました。

5回まで、お互い譲らず、どちらが先に得点するのかという展開でした。
6回、新井、ブラゼルの2塁打でトラが先制、その後関本が2ベースを打ったのですが、ブラゼルがホームでアウト。
走塁に躊躇した分遅れたのか、ホームから足が外れ、惜しくも追加点が出来ませんでした。
ブラゼルは、審判に猛烈に抗議をしますが、真弓監督はベンチから出ようともしません。

ここは、例えアウトと思っても、選手が必死に抗議しておれば、出て行って慰めるだけの器量が欲しい。

   

岩田もここと言う勝負ところが弱いようです。
能見にも言えるのですが、前半と後半が明らかに投球に精彩がなくなり、スタミナなのか、メンタル面なのか分かりませんが、不運も重なり失速してしまいます。

不運と言えば、今日のカープの得点は、打ち取ってはいたのですが、あと一歩及ばず、アウトに出来ない微妙なズレを感じます。

結局、岩田は、7回1/3を111球、10被安打、6奪三振、2四球でした。

厳しい見方をすれば、勝ちの執念が、トラはカープより劣っていたということでしょう。

 
 
 6回 ブラゼルの先制2塁打       6回、2塁から関本の2塁打でホームをつくがアウト

今年前半のトラは、波に乗り調子に乗れば、快勝するのですが、エースと呼ばれるピッチャーには、手こずり、あっさりと負けてしまうような気がします。

選手は、一生懸命なのでしょうが、見ているものに、それが伝わらないのは、プロとして残念です。
一生懸命さは、打者では、打撃だけではなく守備での活躍が、後半問題となるように思います。
長打が少ないなか、守備力が勝負を決めるのが、今年の通説なのですが・・・・

折角の勝率五割のチャンスを逸したのは、後半も同じように、ここ一番の弱さが出てくるようです。
ここは、打撃も守備も調子の良いものを優先して使うようにして欲しいものです。

考えようによっては、11も借金があったのが2にまで減少したことをよしとしなくてはならないようです。 

 


新幹線よもやま話 ① 考えは何時から誰が・・・

2011年07月20日 14時49分55秒 | 鉄道のよもやま話

「新幹線」は、いつ、誰が考え出したのでしょうか?
そして、その言葉は何時、生まれたのでしょうか?・・・・・・・・・

1年間の新幹線の利用者は、JR東日本、JR西日本、JR東海の3社を合わせて約2億5000万人と言われています。
日本の人口が1億2000万人として、日本人は1年に2回以上乗っている計算になり、それだけに「新幹線」の知名度は抜群です。

「新幹線」について、単純に「新しい幹線」を縮めていうことなのですが、それが具体的現れたのは、「日本国語大辞典」に次のように書いてあります。

「日本国有鉄道の在来線に代わる新しい幹線。標準軌道を採用されたもので、昭和39年(1964年)に開業した東海道新幹線などをいう」と説明されています。

また、国鉄が昭和41年(1966年)に出版した「新幹線辞典」によれば、「昭和33年(1958年)に国鉄内で新規路線を新幹線と呼ばれるようになった記載があるそうです。

その年に「新幹線建設基準調査委員会」なるものが発足し、新幹線という名称を公式に用いられました。

  
    東海道・山陽新幹線 左から100系、0系、N700系、300系、500系

                 
 東北新幹線他 左からE5系、E3系、E2系、200系、E4系、E1系

誰が「新幹線」という言葉を生みだしたのかまでは、書かれていませんが、多分、当時の国鉄総裁の十河信二氏と国鉄の理事技師長であった島秀雄氏が、新幹線を強力に推進されていたので、この二人からこの言葉を広めたのではというのが一般的です。

しかし、これは、あくまで戦後の輸送力強化による新幹線での話であって、このような高速鉄道の考え自体は、戦前からあり、当時は弾丸列車と呼ばれていました。

    弾丸列車 アジア号   
    弾丸列車 予定路線図 
 

昭和14年(1939年)に国鉄の前身、鉄道省が軍部の要請を受けて、高速鉄道構想がありました。
これは、東京ー下関間に軌道1435mmの新線を引き、時速200キロで9時間で結ぼうというものです。

この構想はもっと広大で、日本だけにとどまらず、下関から連絡船で釜山に渡り、東京ーソウル間を24時間で結び、さらに旧満州の首都 新京とを39時間20分。
東京ー北京を49時間10分で結ぶ壮大な鉄道網の構想があったそうです。

では、この一般的言われている弾丸列車のことを「新幹線」と呼ばれたのかどうか・・・・
昭和14年(1939年)に、鉄道省の資料に「広軌新幹線貨物輸送関係説明書」なるものがあり、ここで「新幹線」という名称が始めて登場していました。

このように、「新幹線」という”考え”は、言葉だけではなく、構想も25年を経て日の目をみることになりました。