栃木県立博物館にて開催中の「慈覚大師円仁とその名宝」展に行って来た。
すごーく良かったのだけど・・・
かなり完成度の高い企画展だとは思うのだけど・・・
何かが足りない。
仏教関連の展覧会で抱くガツンとした思いや、「この御像(または仏画)に会えただけでも来た甲斐があった」との思いが湧いて来ないのだ、どうしても。
全てが平たく、無難にまとまってる感じ。
はて?・・・と思いながら全てを観覧して博物館を後にした。
物足りない思いでいながらも丁寧に観覧したので、出た時は既に13時近かった。
なので、大好きなカフェに寄って一人ランチ。
中庭のプールの青・・・プールに覆い掛かる様に茂る木のさざめき・・・そして、丁寧に淹れられた絶品のコーヒー。
目と耳と口とで至福の時を過ごし、その後は母の日の買い物をして帰宅した。
・・・で、観て来た展覧会に付いて住職(住職は観覧済み)と話すうちに気が付いた。
企画展の焦点がぼやけて感じたのは、それが天台宗だったから!・・・じゃないかと。
元来、金剛界・胎蔵界の両部で構成されるべく密教曼陀羅に「蘇悉地」などと言う妙なものを加えて三部構成としたり、密教の中心御仏である大日如来に対して「大日如来と釈迦如来は本来一体仏である」と解釈し、挙句には「顕教と密教は同等である」とまで言い放ってしまうくらいに「何でもアリ」が天台宗なのだ。
天台密教、キャパ広すぎ!・・・そんでもって、行き着く先は浄土思想だものなぁ。
それに引き換え、真言宗はと言えば「空海に始まり空海に終る」。
真言宗=空海。
超人的な空海を超える僧侶は輩出する筈もなく、真言宗は真言宗内で各派に分かれはしても、天台宗の様に新仏教の立ち上げは無かった。
密教を、原典(原点)に忠実なままトコトン突き詰めたのが真言宗・・・だと思ってる。
なので、この道18年(わお!)のカメは、やはりウェルカム宗派・天台宗に、どうしても空疎感を抱いてしまうのだわなぁ・・・きっと。
例えそれが身贔屓であろうとね。(笑)