こんなクソ暑い季節に奈良散策をしたのは初めて!
何時もは紅葉も終ろうか・・って頃に行ってたので、夏草萌ゆる奈良路も、また新鮮な風景だった。
モリモリと朝ごはんを食べてホテルを出て、向かった先は唐招提寺。
↑近鉄線西ノ京駅構内。
薬師寺の寺標に合わせて屋根が三角に変型しているのが奈良らしい。
↑西ノ京駅から唐招提寺への道。
↑唐招提寺金堂。
嗚呼・・此処に立つのは何年振りだろう。
平成の大改修工事を終えた金堂は、心なしか小ザッパリと見えた。
金堂内の三尊、毘盧舎那如来坐像、薬師如来立像、千手観世音菩薩立像は何れも素晴らしい。
堂内を拝すると、み仏達が実に開放的に(悪い言い方すりゃ、雑に)安置され、天平テイストムンムン。
この大らかな感じは奈良の寺院でしか味わえないもの。
自分、薬師如来が好きでしてね。金堂改修の間は奈良博にお出ましで、薬師さま会いたさに2度ばかり奈良博に行ったっけ。
当然のことながら、奈良博でお会いした薬師さまよりも、こうして金堂でお会いした方がシックリ来ますな。
「薬師さま、お会いしたかった!お会いしたかった!お会い出来て良かった!良かった!」
と、感激の心持ちで、しばらくの間薬師さまの御前で立ち尽くしていた。
↑正面右斜め方向からの金堂。
屋根の反りが美しいですな。まさに天平の甍。
↑金堂裏手には、ご本尊弥勒如来がおはす講堂があり、その手前には鼓楼がある。
鼓楼は舎利殿とも呼ばれ、鑑真和上が請来した三千粒の仏舎利が奉安されていたそう。
また、有名なうちわまき会式では、此処からうちわが撒かれる。
一度行ってみたいんだよねぇ・・うちわまき。
↑校倉兄弟(笑
↑蓮池
一蓮托生・・ってか。
唐招提寺境内は、数多くの寺院の中でも一際清浄な空間だった。
きっと、鑑真和上が必死で伝えんとした戒律が守られているためだと思う。
余談だけど(つーか、余談を集めたのがこのブログだが)講堂堂内の拭き掃除をしていた坊さんが、大層な美僧であった!
思わずカメ、クラッ!
あ、イケナイ、イケナイ、戒律、戒律・・っと(汗
それから、新宝蔵で天平のみ仏を拝観し、お守りなどを買い求め、再び薬師さまにお会いしてから、後ろ髪を引かれる思いで唐招提寺を後にした。
次に向かったのは秋篠寺。
西ノ京駅から西大寺駅まで近鉄線で行き、そこからバスで10分くらいのところに秋篠寺はある。
↑西大寺駅前から押熊行きのバスに乗って、秋篠寺前で降りるのね~
↑東門
↑東門から少し歩くと、立派な苔庭がある。
実は、雨不足の天気が続くと、自然とこの苔庭が頭に浮かんで「秋篠寺の苔は大丈夫だろうか」と心配してしまう自分。
↑本堂
同じ天平建築でも、先の唐招提寺金堂とは違って女性的な雰囲気。
↑伎芸天立像
秋篠寺ご本尊の薬師如来坐像の左側にスッとお立ちになっているのが、この伎芸天。
美しい・・何度お目にしても美しさに感動する。
秋篠宮家誕生で一躍有名になった秋篠寺だが、それ以前からこの伎芸天を愛する仏像マニアは数多く存在した。
伎芸天は、仏教の天部のひとつで、大自在天の髪際から生まれた天女で、どうも吉祥と芸能で仏法を盛り立てたらしい。
伎芸天信仰は古くは各地にあったらしいが、現存する伎芸天は、日本中でこのみ仏だけ。
寸分の隙もない美しさの伎芸天、しかし、哀しくも災禍に遭っており、その際に胴体以下を破損、頭部だけが残った。
現在の伎芸天は、頭部は天平、体部は鎌倉期の修復によるもの。
でも、統一感を損なわず、完璧に一体化してるよねぇ。
唐招提寺金堂の薬師さまに続き、またまた金縛りになってしまった。
そうして、また後ろ髪を引かれる思いで秋篠寺を後にし、東大寺へと向かった。
↑近鉄奈良駅から東大寺に行くのに興福寺を横切った。
今回は、興福寺の拝観はなし。
「阿修羅、萌え~」みたいなビギナー仏マニアじゃないんで~
↑南円堂
↑東大寺大仏殿
うひゃ~!何度見ても大きさにビックリ!
しかも、木造建築と来たもんだ!
↑国宝の八角灯篭
この音声(おんじょう)菩薩は、10月8日より東博で開催される「東大寺大仏~天平の至宝~展」にお出ましになる。
↑二月堂、手前は三月堂
三月堂のみ仏は、修復に入っているとのことで、ごくごく一部のみ仏しか拝観出来なかった(涙
↑四月堂
此処の千手観世音菩薩立像がイッチャン好き!
唐招提寺・薬師如来、秋篠寺・伎芸天、神護寺・薬師如来、東寺講堂の仏像群、渡岸寺・十一面観音・・・の好きなみ仏の中にあって僅差で勝るのが、この千手観音さま。
そして、その日三度目の金縛りに見舞われ、しばらくの間、千手観音さまと対峙していた。
大半の観光客は、東大寺には南大門と大仏殿だけで
「あ~、観た!観た!お腹いっぱい!」
と満足して帰ってしまい、二月堂、三月堂、四月堂エリアを拝観する人は少ない。
同じ東大寺境内だと言うのに、大仏殿の喧騒が嘘のように静まり返っている。
中でも四月堂は通り過ぎる人の方が多く、自分のように長い時間を熱心に拝観していると、堂守さんが色々とお話をして下さる。
「アンタにだけ特別あげるわ」
と、絵葉書やお守りを頂戴したこともあるし、
「明日、ワシは休みなんやけど、どや、一緒にドライブ行かはんか?色々と案内してあげるで」
とナンパされたこともある(笑
そして、この四月堂西の間から観る二月堂は最高の角度だそうで、雑誌や新聞社のカメラマンはそこから撮るらしい。
一本の線香が燃え尽きるまで、そこに居て、またまた後ろ髪を引かれる思いで四月堂を後にした。
↑次に向かったのが元興寺
↑向こう側に見えるが極楽坊の屋根
何と、日本で最初の瓦で葺かれた建物で、色が違っている瓦がそれ。
飛鳥時代の瓦が現役で雨露をしのいでいるのだ。凄い!
↑境内には夥しき数の墓石があり、墓石の小道になっている。
元興寺には魅力を感じるみ仏が居ない。
神護寺薬師如来に似た薬師さまがおはすが、奈良博に委託され此処では拝することは出来ない。
それでは何故、仏像目当てで古寺巡礼する自分が、奈良に来る度に元興寺を訪れるか。
それは、元興寺には不思議な気持ちにさせてくれる何かがあるから。自分と波長が合う何かがあるから。
子供の頃、学校から帰って友達と遊んで、日が暮れてサヨナラして、それでもまだ遊び足りなくて今度は弟と遊んで、いい加減日が落ちて薄暗くなった頃に母親が呼びに来たものだ、
「もう寒いからお家に入りな」
って。
思い切り遊んで、迎えに来てくれる親が居る・・・その甘やかな思い出が胸いっぱいに広がり、あの頃の自分に戻って行くのだ。
「もう寒いからお家に入りな」
「ごはんが出来たよ」
これ等の母親の言葉は、ごく平凡なのだけど、「子供を愛して守ります」って気持ちの、何よりの表れだよね。
元興寺の力で子供にされた自分は、全身鳥肌立てて、ただただ涙が溢れ、途方もなく立ち尽くす。
此処に来ると、どうしてこんな気持ちになるのだろう。
他では決して湧かない特別な気持ち。
ひょっとして、この墓石の誰かと強い血縁関係にあるのだろうか。
そんなこんなで、2010年奈良の旅は終わった。
とろけるように暑い奈良だったけど、各ご寺院でみ仏パワーを浴びたお陰で元気に歩き回れたことに感謝。
合掌