昨日、長野県民俗の会の例会で飯山市小菅の小菅神社の柱松行事を見学してきました。柱松は国の重要無形民俗文化財に指定された3年に一度行われる行事です。3年先になったらそれこそ自分の命があるかわからないので、何としてもと思って見学しました。そんな思いがあったかどうか、何人かの知った方にもお会いしました。その中には、福田アジオ先生もいました。
報告書を現地で購入しましたので、読んでから正確な文章を書きたいと思いましたが、時間がかかりそうですのでとりあえずの感想を書きます。この行事の概要は小菅神社里宮に祭られている神を神輿渡御によりお旅所までお連れして祀り、さらにそこへ奥社からも神を招いて鎮座させ、その前で2本の柱松の頂上に挿したオバナへ幼童が火打石で点火し、その早さで吉凶を占うものです。まず疑問に思ったのは、里宮から神を遷座し、さらに奥宮からもお連れするというのはどういうことか。里宮と奥院に祀られている神は、別のものと考えられているのかということです。奥宮までは日常的に参れない人々が、身近に祭ったのが里宮だとするなら祭神は同じはずですから、奥宮から里宮へ、そしてお旅所へという巡行ルートをたどるはずですが、まずは奥院でのお籠り、ふもとの護摩堂での禊をしたら里宮からの神輿渡御ほ経て、もう一度護摩堂に戻って隊列を作り、お旅所にきます。この巡行経路がうまく理解できないのです。
もう一つは、時期的に祇園の行事と思われる柱松が、修験の行事とどのように習合したか。あるいは、修験の祭りが祇園に引き寄せられたのかもしれませんが。もう少し報告書をよく読んで、考えてみます。