民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

安保法制違憲訴訟陳述書

2017-01-19 15:11:37 | 政治

 信州安保法制違憲訴訟の原告団の一人に加わっています。第一回の裁判が2月の初めにあります。そこでは原告団を代表して、団長以下数名の原告による意見陳述と、弁護団長の意見が述べられるようです。法廷に入る入らないにかかわらず、多数の原告が裁判所に集合した方が、裁判官に声の大きさを伝えることができるというので、私も行こうと考えています。それに先立ち、裁判の証拠となる「陳述書」を書きましょうという呼びかけがありました。むろん陳述書など書いたことがありませんが、戦争になってほしくない、戦争に巻き込まれるような法制は反対だという気持ちを以下のように書いてみました。イラストでも写真でもかまわないといいます。

 戦後に生まれた私には、戦争の記憶はありません。戦争の記憶といえば、駅やお祭りなど人が大勢集まる場所に、白い着物を着て手や足などに包帯を巻いた「傷痍軍人」が立っていたことです。父は志願して海軍に行きました。戦争の話を好んで語るということはなかったのですが、大人の男たちは酒を飲むと、戦時中の話をしていた覚えがあります。中学生・高校生になって気になったのは、客観的に考えて勝てるわけがない戦争にどうして皆が突き進んでしまったのか、どうして戦争に反対しなかったのかということでした。大学生になって更にこの思いは強くなりましたので、父を問い詰めました。「何で戦争したのか?」尋常小学校を卒業しただけの学歴の父でしたが、「あの頃は、みんな戦争すれば勝つと思っていたし、反対などできなかった。」といいました。世の中全体が戦争しようという雰囲気だったから、反対はできなかったというのです。他人事のような返答に私は腹を立てました。一時期、何でも周囲に流されるような父たちの世代を、本当に嫌いになりました。そして思いました。あんな風にはなりたくないと。もっとましな大人にならなければいけないと。 

 私は中学校の教員となりました。特別に学生運動をしたわけでもありませんし、組合活動をしたわけでもありません。ただ個人として、生徒に誤ったことは教えてはならないし、親たちのように周囲に流されるような生き方をしてはならないと思って教壇に立ってきました。憲法第99条では、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」と定めています。私は、法に則り公務員として自分が日本国憲法を遵守することはもちろんですが、社会科の教員として日本国憲法の三大原則を大事にして生徒に教えてきました。願っていたのは、落ち着いて学習ができる「平和」が続くことと、生徒が戦争に行かなければいけない状況を作り出さないこと、平和を守り戦争に行かない生徒を育てることでした。 

 ところが、敗色濃くなるや、撤退を「転進」、全滅を「玉砕」と言い換えた戦前の大本営発表をなぞるように、「平和のために」と言いくるめ、立憲主義を無視して「安保法制」が成立しました。この法は再びこの国を戦争の惨禍に巻き込むものです。白い物を黒いと強弁する政府には、深い悲しみを感じます。ここで思われるのは、戦争へと突入したあの父たちの世代の生き方です。私がひどく腹を立てたように、今度は息子たちの世代から自分自身が非難されることとなってしまうのでしょうか。こうしている中でも、南スーダンに派遣された自衛隊員は一触即発の戦争の縁を歩かされています。一体何をしていたのかと後世の人々に言われるかと思うと、悔しくてなりません。平和を守らなければならないと教えた生徒たちへの重い責任も感じます。今回の安保法制が私に与えた苦痛は、私のこれまでの生き方をひっくり返すようなものでした。


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