民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

都会の本屋

2015-10-23 21:09:04 | 読書

1年に数回あるかないかの出張で、東京にでかけました。その空いている時間に紀伊国屋で本を見ました。まずは新宿からどうやって紀伊国屋まで行き着くかです。改札を出たら左側にどんどん歩いて、信号を渡ると目につくはずだとねらいを定めました。ところが、電車を降りて登った所の改札口が、中央東口をめざそうにも、そんな案内表示がありません。手じかな所で改札を出たのはいいですが、左手に歩いて行ってもそれらしき建物はみつかりません。あちこちウロウロして結局また駅のインフォメーションまで戻り、道を聞くとここは南東口?なので坂を下りたら左へ曲がれという。そうして、やっと紀伊国屋にたどりつきました。田舎者には本当に西も東もわかりません。

 本は売れないといいますが、紀伊国屋には新刊書が山をついていました。歴史コーナーを見ると近現代のスペースが広いように思いました。ラジオなどでは、いわゆるヘイト本置き場が繁殖しているといっていましたが、見方が悪いのかそうした本がどこにあるのかわかりませんでした。民俗関連書は書架1つ分で、しかも店の隅、倉庫みたいな店員が頻繁に出入りするドアの隣という、かなり落ち着かない場所にありました。売れないだろうなという予測は容易にできました。それに比べ歴史書コーナーと背中合わせで大きなスペースを占めていたのは、スピリチュアル関連本と新新宗教本コーナーでした。スピリチュアル本コーナーの背表紙に踊っていたのは、「引き寄せ」という文字でした。疲れた都会人は、こんな所に癒しや一縷の望みを託しているのでしょうか。予想以上に占いや、祈祷などが知らない所ではびこっているのかもしれません。巫女などは目にすることがなくなったのに、それに反比例して人々の求める心は強くなっているのかな。安藤礼二の『折口信夫』を発見したのですが、まるでエロ本みたいにビニールカバーがかかっているではありませんか。そんなに見せたくない危険な本なのでしょうか。裏に目次は出ていましたが、あまりの厳重な扱いに買うのをやめました。

2時間ばかり背表紙を見て歩き、結局買ったのは、満州本1冊と、平積みしてあった岩波新書数冊、現代思想でした。そうだ、鶴見駿介のコーナーができているのが気になりました。


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