民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

ジョン・W・ダワー『忘却のしかた、記憶のしかた』読了

2014-01-15 10:27:51 | 読書

敗戦後から今に至るこの国とアメリカとの歴史、政治状況についてアメリカ人の研究者がリベラルな立場から書いた随想です。日本人が、自国の政治状況について書いたものではなく、アメリカ人がアメリカの政治について批判的に論じつつ、日本の政治を論ずるというねじれた構造がダワー氏の真骨頂といえます。それが今の政治状況に、深く切り込んでいるのです。

その年に、それまで知られなかった1943年までさかのぼる機密研究が、東京で発見されたのである。厚生省研究所人口民族部の約40人の研究者チームによって準備されたこの研究は、人種理論一般と、アジア諸民族の個別分析に3000ページ以上をあてていた。「大和民族を中核とする世界政策の検討」というその表題が、内容を暗示している。(中略)
 儒教的な響きをもつにもかかわらず、「家族」の比喩や「その所(適所)」(各々其ノ所ヲ得という論語の言葉です。簡単にいえば分に応じたという意味でしょうか-これは私の解釈です)という哲学は、人種や権力にかんする西洋の考えかたによく似ていた。日本人は、西洋の白人と同じように、アジアの弱い人々を「子ども」に分類することに悦びをおぼえた。日本人は非公式な報告や指令のなかで、「その所(適所)」とは、アジアにおける分業にほかならず、自給自足的なブロックにおいて、大和民族が経済的、財政的、戦略的に権力の手綱をさばき、それによって「東亜の全民族の生存の鍵を握る」ことをはっきりさせていた。(中略)日本人が他のアジア人に関心があったのは、日本の振りつけどおりに役を演じる家族の従属メンバーとしてだけだった。他のアジア人にとって、日本の人種レトリックの真意は明白だった。「指導民族」は家長民族であり、「その所(適所)」は劣位の場所を意味した。

家長の論理に従わないほどに成長した近隣諸国は無視し、従順なアフリカ諸国で家長としての威厳と鷹揚さを示す安部さんが連想されますし、子どもがいない安部さんが家長あるいは家に対して妄想・幻想を抱いていることも思われてしまいます。

 当時とその後数十年にわたり、この二国間による天皇の隠蔽が、いかに微妙に、しかしいちじるしく、日本人が真剣に戦争責任を究めることを妨げたのかは、強調してもしきれない。天皇は帝国軍の最高指揮官であり、国家の最高位の政治家だった。もし彼が、即位した1926年から戦争終結の1945年までのあいだに起きたどんな恐怖と災厄にも責任がないと思われるなら、なぜふつうの日本人が、みづからの責任をとると考える必要があるのだろうか。裕仁天皇は、戦後の日本の無責任、無答責の抜きんでた象徴、助長者となった。

冷戦に備えるアメリカの日本統治の必要と、皇統をとぎれさせないという天皇の強い意志との隠微な結合が、始末のつかない今に続く戦後未処理を招いたのでした。アメリカ人の研究者の立場から見れば、ここにはっきり書いているように、無責任な戦後処理は自明なことなのですね。力をつけたアジア諸国から、この国が非難されるのは当然のなりゆきです。 


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