ずっと気になり、ポツポツと諏訪信仰の文献を読んできました。諏訪大社といえば何といっても、7年に1度の御柱で知られています。全国に諏訪社はたくさん祀られています。その諏訪大社は上社と下社に分かれ、それぞれは本宮と前宮、春宮と秋宮で構成されています。こうかくと、諏訪信仰にさして興味のない方も、2つずつで構成されるということに興味がひかれるのではないでしょうか。そうです、自分もこれって双分制のなごり?と思ってしまい、その構造や空間配置を知りたいという思いになりました。
この諏訪4社を全て見て説明してもらえるという教員OBのある会が主催する視察研修がありまして、楽しみに参加してきました。学んできたことが多すぎて簡単にはまとめられず、確認してみなければいけないことも多いのですが、現時点では双分制かのようにきれいに見えるしくみは、長い歴史のうえで段々形成されてきたもので、簡単には論じられないことがわかりました。しかし、現代人も上社が男で下社が女、上社が狩猟神で下社が農耕神など2項対立で考えたがっていることは事実です。
そもそも上社・下社、上諏訪・下諏訪という時の上と下ですが、地元では当たり前のように呼びならわしていますが、どうして上と下なのか、どこを起点として上下なのか人々は意識していません。また、下諏訪があって上諏訪という呼び名が後からできたとも?諏訪湖を挟んで南が上、北が下です。政治的中心となっていたのは南で交通の要地、商業都市、温泉街としては北側が栄えたようです。その北と南を結ぶのが御神渡なのです。
4社見学してこんなものが今もあるのと思ったのは、上社前宮の諸史跡です。それについては追って書きます。拝殿で健康祈願の御はらいをしてもらいましたが、御幣に続いて鈴の音で諸厄を祓ってもらったのが印象的でした。
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