民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

民俗資源の保存と活用ー開田の麻衣ー

2013-06-26 09:48:27 | 民俗学

綿を栽培して綿織物がなされるようになり前、人々は麻を織った衣服を着ていました。麻衣は税として徴収もされたのです。山深い開田では麻を栽培して麻衣を織る伝統が、昭和30年代まで続いていました。麻を栽培するところから始まって、布に織るまでの工程を伝えたのが畑中たみさんです。畑中たみさんを最後として、生活者が生業として麻衣を織る伝統はとだえてしまいました。畑中さんが麻衣を織る貴重な美しい写真を撮って記録を残したのが、今回開田を案内していただいた、長野県民俗の会会員でもある澤頭修自先生でした。今回、澤頭先生からも問わず語りでいい話をうかがいました。

畑中さん、何度も行ったが、まずいい人でさ。自分が転勤になって開田を去る時に挨拶に行った。これで行くけど、またくるで、といったら、たみさんはそりゃ嘘だっていうだよ。ここからいなくなりゃ、来るわけがねえ。だから、こいつを記念にやるといって、最後に織った麻衣をもらった。ただ、年とったでいい物は織れんといっていた。大事にとってあるが、どうすりゃいいかな。
この国の、少なくとも木曽という地で織られた麻衣の最後の1枚。もしかしたらそれは、この国の人々が、古墳時代ころから伝えてきた織物の総合的な技術を示す最後の1枚かもしれない。

最後の伝承者がなくなって、生業としての麻織物はとだえました。しかし、復活しようといういう動きが行政からまずおこり、その後押しを得て「開田高原麻織物研究会」が平成20年に結成されました。今は30名ほどの会員があり、毎週水曜日の集まって8台ある機織り機で麻を織っているといいます。麻は栽培できないので輸入品を買い、それを績むところからやっているそうです。麻糸を買えばいいがそれでは伝統の復活にならないので、90歳のおばあさんを師匠にして会員は習い、今ではみんな績むことができるそうです。ここからが問題です。どんな人が会員で、何を作っているかです。復活といいますから、地ばえの女性が技術を身に着けているのかといえばそうではなく、会員の多くは開田以外で生活にもゆとりがあるような人だと言います。地元では、麻織りといえば、苦しかった生活、貧しかった頃が思い出されて、今からやろうという気にはならないそうです。そのためか、会長は移住してきたJさんが務められています。民俗資源にまつわるイメージが、地元だけでは復活を妨げてしまうのです。似たようなことは、別の地域の炭焼きの調査でもありました。かつて炭焼きが盛んだったなんてことは書いてくれるな、貧しいから炭焼きなんてやっていたのだから、といわれたのです。
復活した麻織で作っているのは、タペストリーなどだそうです。作品は、カントリークラブに展示しておくと、けっこういい値段で買ってもらえるといいます。とはいえ、それで生計がたつほどの収入があるわけではないそうです。原材料の麻や工房は行政に用意してもらって、売れたら研究会の収入になるというのが励みだといいます。生活掛けて売るために作品を作っているのではないから、ていねいないい物ができるとJさんは話してくれました。

民俗資源の保存や活用に関するたくさんのヒントが、この会の活動にあると感じました。 

 


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