松本市浅間温泉にある神宮寺住職高橋卓志さんが責任編集する雑誌、『未来への遊行帳』№6が届きました。葬儀の変化に関して、神宮寺の葬儀を調べさせていただいた縁です。今回のテーマはズバリ「お布施」です。高橋さんは、岩波新書『寺よ変われ』で仏教界に苦言を呈され、業者丸投げの葬式の片棒を担ぐような仏教のありかたに警鐘をならし、業者任せにしない葬儀を実践している稀有な住職です。
最近も、アマゾンの坊さん宅配便への仏教界の講義が物議をかもしました。何年か前にイオンが定価を明確にした葬儀を売り出した時も、仏教界は猛烈に反対しました。当たり前です、座っていればお客さんは頼んでやってくるという、ウマミを奪われるかもしれないという、坊主・寺にとっては死活問題だからです。確かに、葬儀社の費用は明朗会計ではありませんし、数日の間に葬式にかかわるすべての発注をしなければならない時に、見積もりもへったくれもありませんから、提案されるままに必要な発注をせざるをえないことになります。ところが、もっと不可解なのはお寺への支払いです。「支払い」などといったらしかられるかもしれません。お布施です。いったいいくら包めばいいのかわかりません。坊さんに直接聞くわあけにもいかず、地区の寺の役員に教えてもらいました。ところが、前にも書いた気がしますが、父の葬儀のとき、戒名を1ランク上げておいたからというような話が、周囲からやんわりと伝わってきたりしました。要はお布施に色をつけなさいとのことです。頼みもしないのにと腹がたちましたが、寺と面倒は起こしたくありませんし、自分の葬式ならともかく親の葬式ですから(自分の葬式に自分が口を挟むことはできないのではありますが)、10万ほどお布施の上乗せをしたのです。これって理不尽ですよね。戒名によって死者があの世で安楽に暮らせるわけではありません。戒名によって世間に家格を示したいなどと、これっぽちも思っていないのに時代錯誤なお寺にのせられてしまうのです。
神宮寺では、亡くなったら即寺に連絡しなさいといいます。一切を寺が取り仕切ってくれるのです。詳しくは神宮寺にお願いしてこの冊子をおくってもらい、読むことをお勧めします。これまでの葬儀に違和感を感じている人には、高橋さんが明確に答えていて目から鱗が落ちるようです。
母を送ったら、自分は高橋さんの寺に眠りたいと思います。そのためにはどうしたらよいか。まだ相談してないのですが、今の寺と縁を切るのはめんどくさそうです。
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