Dalla Cucina

イタリアの旅の記憶を中心に
あれこれ書いています。

初挑戦 ☆ in italiano

2013-06-28 22:30:00 | ☆イタリア 記憶の風景
 
 前々からブログをイタリア語で書いてみたいと思っていました。
 できれば 日本語と併記して、が理想なのですが、
 まだまだ力不足を感じています。
 誤字 脱字 文法まちがいもきっとあるでしょうが
 初挑戦することにします。

 
 

 前々回の記事「Viale dei Martiri」のイタリア語版ってことになります。
 記事内容はほぼ変わらないので 写真はBassano del Grappaのシンボル、
 ポンテ ベッキオ (ポンテ デイ アルピーニともいいます)にしました。
 朝、昼、夜、と何度もこの橋に会いに行ったのが、遠い日のことのような、
 そんな気がします。

 よろしくおつきあいくださいね。
 (ロザンナ先生にもいろいろ直していただきましたが、ちゃんとご指摘の通り
  直せてないのでは、と心配。ハラハラさせる生徒でごめんなさい。(^_^;))



 

 



 La mattina presto siamo partite da Milano e a Padova abbiamo preso la coincidenza
per Bassano del Grappa dove c'è un famoso ponte chiamato "Ponte Vecchio"o
"Ponte degli Alpini" sul fiume Brenta che è stato progettato
da Andrea Palladio,un grande architetto italiano del 16° secolo.

Bassano del Grappa è famosa anche per un liquore molto forte e
gli asparagi bianchi e poi le ceramiche.


Conoscevo solo questo però questa città ha tanta storia che
avrei dovuto conoscere.

Quando ci siamo arrivate,ha cominciato a piovere,ma siamo andate a fare
un giro per la città perché il giorno dopo dovevamo partire
per andare a Padova.

Grazie ai portici,abbiamo potuto fare una passeggiata.
Che negozi incantevoli ci sono in questa città!
Vicino al nostro B&B ho trovato una boutique per uomini che la proprietaria
è una donna elegantissima.






Lì ho comprato una camicia di lino per mio marito,poi ho chiacchierato
un po' con la proprietaria riguardo le città venete.

Lei mi ha detto
"Mi piace Bassano del Grappa naturalmente,anche Venezia
poi Asolo!Asolo è una piccola città carina medievale e poi non è molto
lontana da qui."

Conoscevo Asolo perché l'ho vista su un blog preferito di me
prima di partire per questo viaggio.
Volevo andarci.
E così ho proposto di visitare Asolo alle mie amiche.
Naturalmente loro sono state subito d'accordo .
Abbiamo deciso di andarci con il taxi,perché eravamo in 4 ,
potevamo pagarlo alla romana.
Questo è molto comodo per noi.






Il giorno dopo, la mattina un tassista è venuto a prenderci al nostro B&B.
Nonostante avesse piovuto continuamente tutta la notte,quella mattina aveva
smesso.
Finalmente abbiamo potuto vedere il cielo sereno!
Il tassista era molto simpatico e abbiamo parlato di tante cose.

Gli ho chiesto
"Senta,potrebbe passare per Viale dei Martiri prima di uscire
dalla città di Bassano?"
" Volete andarci?"
"Sì,l'abbiamo visto su una guida turistica."
"Ho capito."

In pochi minuti ci siamo arrivati.
E'vero, è un bellissimo panorama, proprio un bel viale dietro del monte
Grappa.
" Quanti begli alberi ci sono a forma di fungo come si vede
sulla foto della guida turistica!"

Abbiamo fatto delle foto con lo sfondo del monte Grappa,allora lui
si è avvicinato a noi,e ci ha chiamato.
" Perché siete volute venirci?"
Ho risposto prontamente perché i suoi occhi erano molto seri,
diversi da prima.
Gli ho detto che una mia amica mi aveva suggerito questo viale.
Lui mi ha detto.
" Non sapete perché questo viale si chiamava Viale dei Martiri?"
"Non lo sappiamo."
"Allora ve lo spiego.Dunque a settembre nel 1944,31giovani partigiani
furono condannati al capestro e impiccati ogni albero.
Ecco,guardate qui sull'albero. c'è scritto il nome del partigiano con la data
e la foto con un disegno di una corda. Da allora questo viale si chiama
"Viale dei Martiri"




" Oh,Dio! non lo sapevamo per niente. Che terribile!"

Mi è venuta la pelle d'oca poi ho pregato con la maniera buddista
verso l'albero che ci aveva indicato.
Sono rimasta scioccata!
Non sono passati ancora 100anni!

Adesso che ci penso conoscevo già la parola "Martire"
l'anno scorso, quando Rosanna e io abbiamo fatto un giro a Trastevere,
abbiamo visitato una chiesa in cui abbiamo trovato il ritratto di un ragazzo
giapponese si chiamava "Giuliano Nakaura",uno dei quattoro ragazzi detto
"Tenshou shounen sisetu" al epoca di Azuci Momoyama.
Leggendo la storia di lui ,ho conosciuto la parola "Martire".




Quando sono tornata in Giappone,subito ho cercato di questo viale su Internet.

Che tristezza!
Ho visto delle foto in bianco e nero di quel periodo della storia,
però le scene erano dolorose.
Nelle foto,c'erano quegli alberi a forma di fungo anche a quel tempo!

Se non fosse stato per questo triste episodio
sarebbe stato veramente un bel posto.

Oggi,vi ho raccontato una storia tristissima che avevo sentito durante il nostro
viaggio.

E' successa appena poco tempo fa.
Non posso dire certo che è una cosa del passato!


 長~いでしょ?
 イタリア語って、好きだけど長くなるのは仕方ないことかな。
 でも声に出して読むと、全然疲れないのですよ。

 一大決心して初挑戦したイタリア語ブログ。
 最後までお付き合い ありがとうございました。<m(__)m>

  
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Una foto di oggi No.12

2013-06-26 00:20:00 | ☆イタリア 記憶の風景








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Viale dei Martiriは悲劇が起こった並木道だった

2013-06-22 23:59:00 | ☆イタリア 記憶の風景


 ミラノを早朝に発ってパドヴァで乗り換え、到着した Bassano del Grappa
 バッサーノ デル グラッパ。

 ブレンタ川にかかるアンドレア パッラーディオ 設計の木製の橋↑と、
 グラッパで有名、それからホワイトアスパラとグラッパ焼きという陶器。

 そんな大雑把な情報しか知らなかった私ですが、
 この街はもっともっと知りたくなることがいっぱいあったのでした。

 到着後、降り出した雨にも負けず、街歩きに出かけた私たち、
 なぜなら ようやく着いたこの街に たった1泊で別れを告げて、
 パドヴァに移動しなけらばならなかったから・・・
 うん、それもあるけれど、
 雨にぬれずに済むポルティコにも助けられてお店を覗けば、
 なんと魅力的なお店の多いこと!
 
 その中で、私たちが泊まった100点満点のB&B(また後程詳しくご紹介)のすぐ隣に
 すてきなマダムのいる紳士服のブティックがありました。
 ショーウインドウにあった麻のシャツブラウスに一目ぼれ、
 ダンナのお土産にと買い求め、マダムと少しおしゃべりをしました。


 
 


 ↑ Asolo アーゾロの街


 「どの街が好き?」という話になり、
 マダムは「そりゃ、Bassano del Grappaが一番よ。Veneziaもいいけど、
 私はAsoloが好き。ここからも近いのよ。」と。

 旅に出る前、偶然にもそのAsoloの写真をお気に入りのブログで見て
 「行ってみたいな」と思っていた私は仲間に相談。
 そして全員一致でタクシーで行ってみよう、ということになりました。

 4人で割り勘だからこんな場合便利なのです。

 B&Bの若きオーナーの紹介で翌日タクシーが迎えに来てくれました。
 ずっと降っていた雨もいつしか上がり、青空が見え始めました。
 運転手さんも優しくて、話がはずみました。

 「そうだ!街を出る前にちょっと通ってもらえませんか?
  Viale dei Maritiri という通りへ。」
 「え?行きたいの?」
 「はい、ガイドブックに載ってるの 。」
 「了解」


  


 ↑ Viale dei Martiri

なるほど!グラッパ山を正面に、パノラマが広がってそれはそれはいい眺め。
 
 「ガイドブックに載ってたキノコ型の木もかわいいねえ」
 (写真左端に見えているのがそれ)

 山をバックに写真などを撮っていたら、運転手さんが質問してきました。

 「どうしてここへ来たかったの?」
 彼のさっきまでとはちょっと違う真剣な目の動きに、「あれ?どうしよう」
 と思った私。
 とっさに「友達がここを薦めてくれたの」と言ってしまいました。

 「どうしてこの通りがこの名前になったか知ってる?」
 「いいえ、知らない」
 「なら 教えてあげるね。実は1944年、9月、ここでレジスタンスの若者31人が
  絞首刑されたんだ。ここにある木すべてを使って。
  ほら、その印に名前と日付、写真もあるんだよ。
  それ以来、ここを「殉教者の並木道」Viale dei Martiri って呼ぶようになったんだ。」

  「ええ~っ、そんな恐ろしいことがあったの!何も知らなかった。」

  全身に鳥肌がたった私、運転手さんが示したその木に仏教式に
  手を合わせ、お祈りしたのでした。
  ショックもショック。
  それってまだ100年もたっていないじゃない!
  それにうかつにも「Martiri」を人の名前かなんかだと思っていたけれど、
  その時思い出したのです。
  去年 ロザンナ先生と街歩きしていて偶然みつけた「中浦ジュリアン」を
  お祀りしていたローマのトラステヴェレの教会をちゃんと調べたときに、
  何回も出てきた「殉教者」=「Martire」という言葉。
  知っていた言葉だったのです。

  日本に帰って、すぐ調べたのがここ Viale dei Martiriのこと。
  なんと、当時の写真まで残っているのです。
 (検索すればすぐ出てきますが悲しすぎます。)

  そこには 以前からキノコの形に刈られたあの木々がありました。

  そんなむごい事実がなければ、本当に美しい場所なのに。
  

  今日はこの旅で一番気にかかった「こと」についてお話しました。

  つい この間起こった戦争、
  それを、過去のことと言ってしまうことはできません。



  

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Un signore accanto a me ☆Veronaのアレーナで

2013-06-15 23:02:00 | ☆イタリア 記憶の風景
 

 まだ旅の興奮が冷めません。flag7
 なので印象的だった人や出来事を忘れないうちに書き留めておくことにします。

 まずは、「人」。
 コンサートで私の隣に座っていたイタリア人男性について。
 開演中は撮影禁止なのでコンサートの模様はイメージしてくださいね。



 ↑ この明るさで午後8時過ぎです。
   コンサートの会場となったアレーナに、続々と集まってくる人たち。
   ツタンカーメンさんは、ずっと黙ってお仕事中なのでした。




 


  ↑もうすぐ午後9時、いよいよ開幕間近。
  でも照明がテスト中?
  テレビ放送されるので、その準備にも手間取っているようです。
  後ろを見ると、まだまだお客がぞろぞろ入場中。
  結局20分遅れて開演となりました。

  開演に先だって、観客に白いハンカチ風の布が手渡されました。
  「パバロッティーをこれで偲ぶのんかなあ」と勝手に思ったけれどハズレ、
  「カルメン」の「闘牛士の行進」に合わせて振ってほしい、とのこと。
  あ、それから表が赤と緑、裏が銀のパネルも配られました。
  最後にイタリア国歌を歌うとき振ってお別れ、というテレビ的演出に
  みんなで協力するらしいのです。

  私になぜかハンカチが2枚配られ、友人の誰かが
 「お隣さん、持ってないようだったら渡したら?」と言われ、
  初めて隣の席のシニョーレの存在に気が付きました。

  いい風にいえば、マルチェロ マストロヤンニ風の紳士。
  ツイードのスーツをパリッと着ているところを見ると、地元の人?
  お連れも同様な紳士たち、
  でも彼がちょっと違うのは、お連れがハンカチやパネルを持って楽しそうに
  談笑しているのに、パネルは上着の下ポケットにしまいこみ、
  ハンカチはあるのかないのか・・・
  それにいたって寡黙なのです。

  


  ↑ 4時間に渡ったコンサート終了直後の写真。(コンサート中は撮影禁止。)


  コンサートがはじまりました。イメージしてくださいね。

  アンドレア ボチェッリが「トスカ」の「星は光りぬ」E lucevan le stelleを歌います。
  すると、横のシニョーレが鼻歌でいっしょに歌い始めるのです。

  「ちょっとお、やめてよ~。」
  と、何度か言いたくなったほど、オペラのアリアがお好きなようでした。
  

  (小声の鼻歌なので聞こえているのは両隣くらいだろうけれど・・・)

  「誰も寝てはならぬ」 Nessun dorma の時だったでしょうか。
  ボチェッリの歌にスタンディング オベーションがおこりました。
  周りは総立ちで拍手の嵐、
  でも 私の隣のシニョーレは一人立ちません。

  やがて、コンサートのハイライト、
  白いハンカチを振る場面。
  全員で思いっきりハンカチを振って、それを宙吊りになったテレビカメラが
  追いかけるのですが、シニョーレはちょっと胸のハンカチに手を添えただけで
  一切動かず、じっと腕組み。(やっぱり持ってたんだ。)

  演出が気にいらないのだろうか、
  なんか元気ないなあ。みんなノリノリなのに・・・
  なんて秘かに観察していた私。

  ところが、フィナーレのイタリア国歌をパネル持ちで歌うシーンでは、
  あの寡黙なシニョーレが歌い始めたのです。
  それも2番 3番とだんだん声が大きくなり、
  最後にはパネルを手に高くこぶしを突き上げて「オーッ!」。

  その眼は明るく輝いていました。

  よかったあ!

  私、なんだかホッとしちゃったのでした。(^^)



  


  ↑ コンサート終了後も広場のレストランは開いています。
    夜中の1時なんですけどね。

  



  
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Sono tornata in Giappone

2013-06-11 01:46:00 | ☆イタリア 記憶の風景



 ただいま~です。

 私たちが名付けた「ゆったり~なイタ~リア」の旅から帰ってまいりました。

 驚きと喜びに満ちた(時々ズッコケあり)充実感たっぷりの毎日でした。
 メンバーの一人の感想は「ゆったりとした過密スケジュール」。
 一見変ですが、本当にその通りで、どの街にも未練を残しながらも
 ゆったりとした時間を過ごすことができました。

 準備期間も少なかったし、ホテル選びもいろんな予約もバタバタだったにもかかわらず、
 すべてが「当たり」だった気がします。

 もちろん、メンバーのチームワークの賜物でもあります。

 その「当たり」の1等賞はこの旅の最大の目的、6月1日にヴェローナのアレーナで
 催された100年のオペラのガラコンサートです。

 ↑の記事の写真がその1シーン。(地元新聞の第1面より)
 亡きパバロッティーの奥さんにインタビューしているピンクのドレスの
 Antonella Clerici。

 彼女の立っているのはアレーナの中ほどのバルコニー。
 舞台は前のほうです。
 その舞台の前から13番目の席が我々の予約した席。
 アンドレア ボチェッリやプラシド ドミンゴを間近に感じられ、
 二人のデュエットや、次々と現れる大がかりな舞台装置や名曲に興奮しっぱなしの
 約4時間でした。
 
 御兄弟の健康問題で出演辞退となったホセ カレーラスの歌声は聴けなかったけれど、
 皆 大満足で会場を夜中の1時に後にしました。
 おそっ!

 それでも アレーナのあるブラ広場のレストランは
 コンサートの後にくつろぐ人たちでいっぱい。
 夜中に出かけることなんてない我々もビールで乾杯してしまいました。

 夢みたいな一夜。
 メールマガジンがこのコンサートを知らせてきて1日後にオンラインで予約。
 インターネットさまさまです。

 旅のてんこもりのお話はまたゆっくりとすることにいたしますね。
 
 

 
 
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