Dalla Cucina

イタリアの旅の記憶を中心に
あれこれ書いています。

アッチデンティな物語☆何とかしなくちゃ!

2011-09-28 00:20:00 | ☆イタリア 記憶の風景


 まあ三回くらいで完結するかなと思って書き始めましたが、
 なんのなんの・・・

 というわけで写真も追加しましたが、例により順不同です。

 ↑はドブロヴニクの港。
 ここは観光船が頻繁に出ています。
(前日に行ったカバタへもここから出発)

 最終日のお昼はこの港に面したレストランで太陽の光をいっぱいに浴びながら
 熱い熱い魚介のリゾットを食べました。

 そして・・・


 


 ↑ 城壁の上からの眺め

 船は出て行き、私たちは取り残されました。
 16時発を6時発と思い込んでいたためでした。
 わーお。

 こうなったら頼みの綱はインフォメーション。
 幸い 港の近くにあったので、ゴロゴロとスーツケースを引っ張って
 駆け込みました。

 当てもない旅なら気にいったこのドブロヴニクに何日だっていたいけれど、
 私たちにはこの先の予定が詰まっていました。
 帰ればすぐ仕事、という友人はもっと大変。
 本来なら一緒にバーリに戻り、ホテルで1泊したあと
 一人で飛行機を乗り継ぎ、ローマから日本へ帰る予定でした。
 何とかしなくちゃ!




 インフォメーションには英語を話す女性が二人、
 困っている私たちを何とかしてやろうと、いろいろ一緒に考えてくれました。
 船は明日まで出ない。
 他の航路もうまくいかない。
 地図を広げ、時刻表とにらめっこ。



 その間、私はケイタイをかけまくり。
 私の名前で予約していた翌日のアリタリアとバーリのホテルのキャンセル。
 もうドキドキなんて言ってられません。
 予定表を広げ、苦手な数字の予約番号も伝えなければなりませんでした。
 幸いアリタリアはキャンセルOK、しかしホテル検索サイトから予約したホテルは
 「ミ ディスピアーチェ シニョーラ、マ・・・」
 (お気の毒です、奥様、でも・・・)
 と、そのあとは規定で今日のキャンセルは払ってもらう、とのこと。
 仕方ないですね。
 (帰国後 なぜか請求はありませんでした。わざと忘れてくたのかしら)




 まあ 電話連絡は終了。
 インフォメーションのお姉さんと皆で頭を抱えていたら、相棒にひらめきが!

 「ドブロヴニク空港からザグレブまで飛行機。鉄道駅からヴェネツィア行の
 夜行列車があるはず。ヴェローナにはヴェネツィア(メストレ)経由で、
 ローマにはユーロスターで行ける」と提案。

 インフォのお姉さんは 早速クロアチア航空に電話予約をし、
 バスなら飛行機に間に合わない私たちにタクシーを手配してくれました。


 



 空港は果たしてどの辺にあるのかしら?
 タクシーは山の中腹をどんどん走ります。
 あれ、どこかで見た景色!

 標識に「カバタ」の文字が現れました。
 あらあら、前日に船でちょっと遠出してお昼を食べた 美しい街です。
 空港はこんなところにあったのでした。




 ↑の写真
 フランチェスコ修道院薬局で買ったローズマリー水とアンチエイジングに良いと
 されるゴールドクリーム。
 刺繍のテーブルセンターは「カバタ」を散歩中に見つけた地元のおばあちゃんの
 路上のお店の手作りのもの。
 その人の作品に吸い寄せられ、数字の筆談だけで買ったのでした。

 そしてクロアチアの通貨「クーナ」が見えますか?

 タクシー代は「ユーロ」で払ったか、クロアチアの「クーナ」だったか
 記憶が確かでないのですが、せこく残しておいたクーナは
 このあとも役にたったのですよ。

 無事「ドブロヴニク空港」に到着した私たち。
 しかし、受難はさらに続くのです。

 次回に続きます。


 
 
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アッチデンティな物語☆長い一日のはじまり

2011-09-18 00:50:00 | ☆イタリア 記憶の風景


 例によって 写真は順不同です。

 さてドブロヴニクでの最終日、この日もまぶしいくらいいい天気でした。
 私たちの出発は夕方(・・・のはず)、まだまだ時間はあります。

 


 


 ↑の写真 後ろの山が見えますが、スルジ山といいます。
 ロープーゥエイは戦争で失われていたので(現在は運転再開しているそうです)
 タクシーで上ることにしました。



 ↑ 山から見るドブロヴニクの眺めは この時少し曇っていたにもかかわらず
 素敵でした。
 
 この絶景の場所で早くも懐かしいイタリア語が聞こえてきました。
 声の主は二人のイタリア人の若者です。
 バイクでイタリアからやってきた、という彼らと少し話をしました。

 
 


 (↑のバイクは関係なし。二日目 船ででかけたカバタという街。)

 「いつまでいるの?」
 「今日 船でバーリに戻るの。で、明日はヴェローナでアイーダを観るのよ。」
 「ああ、そうなんだ!僕のマンマも明日ヴェローナでアイーダ観るって言ってた。
 いっしょだね~。」
  ーそっかぁ、オペラを観る平均年齢はどこでも高いのね、なんて 独り言。ー


 


 「それじゃあ、○○時の船だね。もうすぐ出発!というわけだ」
 「え?出発は○○時のはずよ。」
 「あれ?そうだったけ、ま、とにかくよい旅を!」
 「ありがとう、君たちもよい旅を!」

 ああ、このときにちょっとだけ「ん?」と思ってたのだけれど、
 まだまだ私たちは余裕たっぷりでした。


 


 クロアチアの通貨は「クーナ」。
 ユーロ圏ではないので、買い物をするには両替をしなければなりません。
 クレジットカードがどの店でも扱える、というわけではなく、
 私たちは 街のあちらこちらにあるATMに何回か通いました。

 今度「クーナ」を使える日はいつかしらね。
 ひょっとしたら クロアチアも「ユーロ」になるかもしれないし、
 余っても仕方ないので使ってしまおう。

 と、その時点でほとんどクーナを使いきった友人もいました。
 私はせこく残していましたが、後々それが役にたつ、とは
 このときまったく思っていませんでした。

        

 お昼も 港の近く、観光客でいっぱいのオープンスペースで
 バケツ一杯のムール貝や海の幸のリゾットを食べてゆっくり。

 ホテルに戻って預けた荷物を引き取り、タクシーで港へむかいました。





 「あれ、えらくひっそりしてるね。」
 「早すぎたかな」
 「あ、船がいるよ、あれだね。」
 「今入港?」
 「あ、あ、入港じゃないみたい。船が離れていくよ。どうしよう!」
 「待って~」
 「置いてかないで~」

 誰もいない港、荷物と私たちだけ。
 これから 私たちの長い長い一日が始まったのでした。

 次回に続きます。


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アッチデンティな物語 ☆ラッキーな夜

2011-09-09 01:08:00 | ☆イタリア 記憶の風景


 ↑ ドブロヴニクの城壁からの眺め

 前回の続きです。
(例により文章に関係なくピンボケぎりぎりの写真付き。ase2

 思えば この旅は変化にとんだ、というか各自の都合で出発、帰国を決めた旅でした。
 たとえば私はマイレージ、ある友人は格安航空券を使って、というふうに。

 まずはイタリアのミラノで集合した3人。
 この場所を知っているからこそできた「出口の左側にあるバールみたいなところで
 お茶して待ってるからね」の約束もバッチリ。
 「まるで日本で待ち合わせしているみたいやった!」とは 初参加の友人の感想です。






 


 そして 仕事の都合で遅れて参加し、また早めに帰る予定の友人とも
 なんと南イタリアのオストゥーニのホテルでちゃんと集合できました。

 でもこれは予定どおりにいけば当たり前なことであって
 インターネットと携帯電話のあるこの頃ではフツーのことかもしれません。





 


 
 副題の「ラッキーな夜」というのは 全員が集合したオストゥーニの夜と
 海を渡ったクロアチアのドブロヴニクの最後の夜のことです。

 オストゥーニにある 日本では評価の高いリストランテを予約していた私たち、
 期待を込めて夕食に出かけたのですが、前菜の段階で全員が「おいしくない」
 と意見が一致(理由はひとつではないけど)。
 滅多にないことですが、プリモも食べないで早々に引きあげたのでした。



 



 そしてまだ満たされない食欲のために泊まっていたホテルに帰り、
 続きの夕食をとることにしました。
 (実はこの前日のお昼にこのホテルで食べた料理がとてもおいしかったので )
 時間も遅かったからかお客は我々だけ。

 「こっちのほうが断然いいやん!」とくつろいでいたら、突然「ド~ン」という音。
 「雷?」と一瞬思ったのは 実は花火でした。
 この日は守護聖人のお祭りなんだとか、
 次々と打ち上げられる花火をもっとちゃんと見たいなと思っていたら
 カメリエーレが「上のテラスへどうぞ、よく見えますよ、お飲み物も運びます。」
 と 言ってくれました。

ホテルのサイト

 このテラスはホテルで一番素敵な場所。
 誰でも行けるのですが、いつも誰かいて ちょっと遠慮がちにくつろがなければ
 なりませんでした。
 でも「花火」(30分ほど)の間は我々の貸切となり、その空間を満喫できたのです。
 「戻ってきてラッキーだったね~」と、ラッキー その①



 ラッキーその②は ドブロヴニクの最後の夜のこと。
 知らなかったのですが、この日は街の「サマーフェスティバル」の初日でした。
 広場に特設ステージが設定され、着飾った人々が集まってきます。
 ポスターには「船上から花火を観ようツアー」とあり、
 また「花火」が観られることがわかりました。

 幸い私たちの部屋は「海側」。kujira
 テレビで地元局のチャンネルからフェスティバルのセレモニーも実況中継されるので
 夕方テイクアウトの食糧を買って部屋で花火を見ることにしました。

 見えるかなあ、見えないかなあ。
 九時から始まる予定の「花火」はナント1時間遅れで始まりました。
 日本の花火に比べたら確かにショボイのですが、
 異国の海にあがる花火は格別です。

 私たちは部屋からそれを鑑賞、
 やっぱり これってラッキーなことですよね。

 でも その次の日・・・

 続きは次回にて。
 
 
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アッチデンティな物語☆バーリに戻るはずが・・・

2011-09-06 00:06:00 | ☆イタリア 記憶の風景


 Accidenti! (アッチデンティ!)とは

 イタリア語で「くそっ」という意味もありますが、
 「しまった!」というニュアンスで
 私の中での「独り言イタリア語」で
 使用頻度の高い言葉のひとつです。

 その「Accidenti!」がぴったりだったのが、
 前前前回の記事の続きとなります今回の記事。

 何度も悔しがっているように 
 この時の写真はほとんどがピンボケ状態なので
 なんとか見えているものを並べて話を進めていきますね。

 今はよき想い出となっている強烈な記憶なれども、地名はあやふや
(クロアチアだし・・・あ、だけじゃなかったかも。)、
 時間も過ぎているので詳細は省きます。
 (きっと1回では完結しないので連続物になるだろうなぁ)
 

 で↑の写真はバーリからフェリーで夜出発し
 翌朝クロアチアのドブロヴニクに到着した際の港の写真です。





 ↑はドブロヴニクの旧市街。
 このような景色がみえるホテルに二泊しました。kirakira2

 フェリーでは夜空を眺めつつ(時々雷あり)ビールで乾杯、
 とても狭いお部屋だけれどバストイレつきの二段ベッドで横になれました。

 ドブロヴニクには2泊して またこのフェリーに乗ってバーリに戻る予定。
 だったのですが・・・ 

 次回に続きます。 


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