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カラヤン/ベルリン・フィル9回の来日公演を振り返って(5)

2009-05-03 03:04:49 | ヘルベルト・フォン・カラヤン
 カラヤン/ベルリン・フィル8度目の来日公演は1984年10月18日~10月24日まで大阪2公演(ザ・シンフォニーホール)、東京4公演(東京文化会館(1)、普門館(3))の計6公演で行われた。私は10月21日東京文化会館へ足を運んだ。当日は日曜日に当たりカラヤン/ベルリン・フィル公演では珍しく午後2時開演のマチネーのコンサートだった。この時カラヤンも76歳の高齢に達していた。当時のプログラムを開くと10/19(大阪)と最終日10/24(東京・普門館)の演奏曲目の変更があり訂正シールと「お侘び」の書面が添付されていた。因みに両日のプログラムはフランス・プロで当初はドビュッシー交響詩「海」、「牧神の午後への前奏曲」、ラヴェル「逝ける王女のためのパヴァーヌ」、「ボレロ」の予定が後半ラヴェル「ダフニスとクロエ」第2組曲の1曲に変更されていた。
 この来日公演で特に私が注目(期待)した曲はレスピーギ交響詩「ローマの松」だった。すでにレコード録音(1977-78年)のDG盤でその素晴らしさは想像できたが生演奏でその真価を体験できたことはこれ以上に勝るものはない。またこの来日公演で話題になった事柄の一つに大阪でカラヤンらしからぬ曲の振り違いハプニングがあったようだ。私は現場を見ていないので詳細は定かではないが完璧主義者のカラヤンだけに信じがたいことである。私個人的にはカラヤンも年をとったんだなあ・・・つくづく思ったものである。
 この時の公演の放送は東京地区はテレビ朝日が大阪公演の模様(10/18ー東京公演10/21と同一プロ)を放映した。昨年だったと思うがDVD化されている。(FMでの放送はされなかった。)
 その2年後の1986年、サントリーホール落成記念メイン・イベントとして10月に9度目の来日を果たす予定であったが病気のため来日が断念された。東京公演全3公演は小澤征爾が代役を務めたことは記憶に残るところである。
 そしてさらにその2年後1988年のゴールデン・ウィークにカラヤン/ベルリン・フィルによる最後の来日公演(9回目)が実現した。公演は大阪2公演(ザ・シンフォニー・ホール)、東京3公演(サントリーホール(2)、東京文化会館(1))計5公演で過去の来日公演の中でも公演回数が一番少ない公演になった。
また当初発表のプログラムで最終公演5月5日サントリーホール公演プロコフィエフ交響曲第1番ニ長調「古典交響曲」、ベルリオーズ「幻想交響曲」は後にモーツアルト交響曲第39番変ホ長調K.543、ブラームス交響曲第1番ハ短調作品68に変更された。カラヤンもこの時すでに80歳を迎えていた。私は前年1987年1月1日ウィーン・フィル・ニューイヤーコンサートでカラヤンの生に接し演奏の素晴らしさは堪能したがウィーンムジークフェライン大ホールのバック・ステージでカラヤンを真近に見て彼の下半身の急速な衰え想像以上に感じていた。この1988年の公演で誰もがおそらく彼の最後の来日公演になるのではないかと思ったであろう。放送ではテレビ放映はなかったがNHKFMで東京公演全3公演が生中継され翌年の正月のNHKFMクラシック特別番組でも再放送された。そしてこの全3公演が昨年カラヤン生誕100年記念としてCD化されたことは誠に喜ばしいことであった。特に最終日に演奏されフィナーレを飾ったブラームス交響曲第1番は彼のライヴ演奏の中でもベストと言っても過言ではないと私は思っている。
                              
                                  <終>



 


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