教育改革や教育基本法改革の前に、こちらも見ておきましょう。
教職員の健康調査で分かったストレスの大きさ(産経新聞)
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/m20061112004.html
” 気分が沈むなどの抑鬱(よくうつ)感が強い男性教職員の割合は、さま
ざまな職種の標準値に比べ1・8倍に上ることが11日、財団法人労働
科学研究所が設けた「教職員の健康調査委員会」の調査で分かった。仕
事量が多いと感じる女性は4・6倍にも達し、教師らが強いストレスに
さらされている実態が明らかになった。〔中略〕
調査は昨年11月に実施。岩手、神奈川、大阪、鳥取、大分の公立小中
高校などに勤務する約6000人に「職業性ストレス簡易調査票」への
記入を求めた。回答が得られた約2,500人分について症状や要因を分析。
厚生労働省研究班が平成14~16年に、同じ調査票で、さまざまな職
種の約2万5000人から得た男女それぞれの標準値と比較した。
その結果、抑鬱感が強いとされた男性は11・5%と、標準値の1・8
倍に達し、不安感が強い人も1・5倍、ストレスが頭痛などの症状とな
って現れる「身体愁訴」が強い人も1・6倍に上った。女性は、不安感
が標準値の1・3倍で、抑鬱感と身体愁訴は標準値と同程度だった。
また、こうした症状に至る要因では、仕事の負担量が多いと感じる男性
は2・2倍、女性は4・6倍に達し、肉体的に負担が大きいと感じる人
は男女とも4倍弱に上った。”
…… 大切なことなので、長々と引用させて頂きました。
「何を言うんだ! 民間で働いている俺の方がもっと大変だぞ!!」
と思われている方も少なくないと思うのですが、
ともかく事実は事実として受け止めてはいかがでしょうか。
ともかく、「なぜこのようになるのか」ということも考えるべきでしょう。
これは明らかに、教育基本法だけの問題ではありません。
山本有三の小説に「社会の教育の力の方が、学校の教育の力よりも強い」
との指摘があったと記憶しているのですが、
教育は決して独立した分野ではなく、
社会からの圧倒的な影響を受けるものであるのも事実です。
雑多な生徒が集まる公立学校だからこのようになるのであって、
或る程度生徒が均質化する私立ならばまた違うのかもしれません。
また、全般的に高校の方がストレスが少ないでしょう。
いかなる問題であっても、まず無条件的に学校側の責任を糺そうとする
社会のあり方やマスコミの報道姿勢にも問題があるのかもしれません。
例えば自殺の予兆など、最も身近にいる家族でさえ気付かなかったことを
学校側が感知してなかったという理由で批判するのは
果たして合理的なのでしょうか。
人々が受けた衝撃の傷跡をふさぐ強引な代償行為として
スケープゴートが必要とされた、との解釈も成り立ちます。
学校側に誤った対応があれば勿論批判されて当然ですし、
評価すべきことははっきりと評価すべきだと思います。
現状では、学校の教育力を改善もしくは復元しようとする試みではなく、
学校の信頼を損ね教職員の心を圧迫する方向性に向かっているのかもしれません。
教職員の健康調査で分かったストレスの大きさ(産経新聞)
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/m20061112004.html
” 気分が沈むなどの抑鬱(よくうつ)感が強い男性教職員の割合は、さま
ざまな職種の標準値に比べ1・8倍に上ることが11日、財団法人労働
科学研究所が設けた「教職員の健康調査委員会」の調査で分かった。仕
事量が多いと感じる女性は4・6倍にも達し、教師らが強いストレスに
さらされている実態が明らかになった。〔中略〕
調査は昨年11月に実施。岩手、神奈川、大阪、鳥取、大分の公立小中
高校などに勤務する約6000人に「職業性ストレス簡易調査票」への
記入を求めた。回答が得られた約2,500人分について症状や要因を分析。
厚生労働省研究班が平成14~16年に、同じ調査票で、さまざまな職
種の約2万5000人から得た男女それぞれの標準値と比較した。
その結果、抑鬱感が強いとされた男性は11・5%と、標準値の1・8
倍に達し、不安感が強い人も1・5倍、ストレスが頭痛などの症状とな
って現れる「身体愁訴」が強い人も1・6倍に上った。女性は、不安感
が標準値の1・3倍で、抑鬱感と身体愁訴は標準値と同程度だった。
また、こうした症状に至る要因では、仕事の負担量が多いと感じる男性
は2・2倍、女性は4・6倍に達し、肉体的に負担が大きいと感じる人
は男女とも4倍弱に上った。”
…… 大切なことなので、長々と引用させて頂きました。
「何を言うんだ! 民間で働いている俺の方がもっと大変だぞ!!」
と思われている方も少なくないと思うのですが、
ともかく事実は事実として受け止めてはいかがでしょうか。
ともかく、「なぜこのようになるのか」ということも考えるべきでしょう。
これは明らかに、教育基本法だけの問題ではありません。
山本有三の小説に「社会の教育の力の方が、学校の教育の力よりも強い」
との指摘があったと記憶しているのですが、
教育は決して独立した分野ではなく、
社会からの圧倒的な影響を受けるものであるのも事実です。
雑多な生徒が集まる公立学校だからこのようになるのであって、
或る程度生徒が均質化する私立ならばまた違うのかもしれません。
また、全般的に高校の方がストレスが少ないでしょう。
いかなる問題であっても、まず無条件的に学校側の責任を糺そうとする
社会のあり方やマスコミの報道姿勢にも問題があるのかもしれません。
例えば自殺の予兆など、最も身近にいる家族でさえ気付かなかったことを
学校側が感知してなかったという理由で批判するのは
果たして合理的なのでしょうか。
人々が受けた衝撃の傷跡をふさぐ強引な代償行為として
スケープゴートが必要とされた、との解釈も成り立ちます。
学校側に誤った対応があれば勿論批判されて当然ですし、
評価すべきことははっきりと評価すべきだと思います。
現状では、学校の教育力を改善もしくは復元しようとする試みではなく、
学校の信頼を損ね教職員の心を圧迫する方向性に向かっているのかもしれません。