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流出雑記 

2011/12/31

2012年01月04日 | Weblog

 

人の細胞はだいたい7年で全て入れ替わるらしい。

終わりつつある2011年、28歳の今年は4度目の総入れ替えが完了した年でもあったのか、と考える。

7年前、21歳、大学3回生。

親元を離れてひとりで生活し始めた年だ。

ひとりで、といっても家賃と学費は面倒みてもらっていたので完全な自立ではない。

 

毎月ポストに入る電気とガス代のレシートみたいな紙すら新鮮で、しばらく集めていた。

生活費は知れていたので、今と同じモデルの仕事でなんとかやっていた。でも余裕はなく、公演が近づくと稽古に時間を取られて働く時間はなくなった。

大学の前にあった99円ショップで冷凍の緑黄色野菜ミックスや安い調整乳や、あんまりおいしくない食パンを買って食べていた。

おいしくない食パンは切って牛乳と卵を溶いて塩コショウした液に漬けて、フライパンで焼き、焦げ目が付いたらケチャップを絡めてフレンチトーストのようにして食べるとおいしかった。500gくらい入っている安い餡子のパックを味噌のように冷蔵庫に常備し、毎朝ぜんざいを食べていた冬もあった。小倉トーストにもした。

お湯と牛乳を沸かした鍋に粉のコーンスープの素を入れ、溶けたら少しコンソメを足し、冷蔵庫野菜ミックスを入れたクリームシチューみたいなものは、10時に稽古を終え、冷えた部屋に帰りつき、とにかく早く温かいものが食べたいときによく作った。緑や赤が浮かぶ白いシチューを白い息の出る部屋で食べた。そうでなければ味噌汁に野菜を沢山入れた。

 

親に頼っていた部分はあったにせよ、どうにか自力で衣食住を整え、生活するということを知った頃だった。

テレビもネットもない六畳一間、家賃32000円の木造アパートひとり暮らしから、28歳の体は培われてきたことになる。

 

当時、誰にも迷惑を掛けずに生きたいと思い、誰かと暮らす、ましてや結婚なんていうものは到底不向きだと自他ともに頷くような人間であったのに。

 

28歳からの7年間、また徐々に体は作り変わっていく。残りながら変わっていく。音も立てずに、気付かないうちに。気が付けば、そのようになっている。

平気だったことが平気でなくなったり、平気でなかったことが平気になったりするだろう。

 

来年はどのような年になるだろう。