深夜に家のなかが出汁のにおいに満ちているのはおでんを仕込んでいるため。
台所に立っていると小麦の視線を背後に感じる。だしガラの鰹節を待っているのだ。
大根とこんにゃくをそれぞれ下茹でして、そのあいだに出汁をひく。ゆで卵を作る。ほんとは牛すじも入れたいところだが、いいすじに出会わなかったので今回はなし。
おでんのゆで卵があまり好きじゃないが、卵なしというのもおでんとしてさみしい。3日食べるとして3つ茹でる。ゆで卵、特におでんのゆで卵の表面がボコボコになっているのは許し難い。茹でたあと冷水でしっかり冷ませばゆで卵は難なくきれいに剥けると知っているのに、冷凍庫に氷を取りに行くのを面倒くさがって、あら熱の取れた卵を剥いてみたら、どう気を付けても腹立たしいくらい薄皮に白身が密着して剥がれてくる。その時間の不毛さと言ったら、何度か卵をそのまま握りつぶすかゴミ箱に向かって全力投球したい衝動に駆られるが、食べ物を粗末にはどうしても扱えない。鶏と養鶏場の人の姿などが自動的によぎる。触れば触るほどぼこぼこになっていく卵を見ながらちょっと死にたいような気持ちになった。それは一個一個手で包んだ餃子を焼くのに失敗し、皿に移すとき大破したときの気持ちに類する。
そして悪意があってのことかと思われても仕方のない様相のゆで卵が3つ出来上がる。すぐさま包丁を手に取り、それらを真っ二つに割って黄身をえぐり出し、白身をまな板の上で叩き、玉ねぎのピクルスも巻き添えに、それらをあわせて胡椒とマヨネーズを投入し掻き混ぜて冷蔵庫にぶち込んで寝た。
今朝それをかりかりにトーストした薄切りのライ麦パンにたっぷり乗せてそれを食う。
あの後もう一度作ったゆで卵は琥珀色になった大根と共に土鍋のなかで柔らかな眠りに落ちている。
夕方土鍋を火にかけ、おでんを揺り起こす。煮込まなくてもいい練り物類を加え、ソーセージ、シュウマイを足すと土鍋はもう溢れんばかりの盛況ぶりで、トマトをまるごと煮てみようと思っていたのにその隙はなかった。