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流出雑記 

第三の肌

2009年03月03日 | Weblog
3月1日、同じ大学の映像コース卒業生で今は東京で暮らしながら映画を撮っているW島君が京都に来ていて会う。
3月3日に新作の上映会がある。今日が最終日の造形大の卒展を見るために予定よりはやくこっちに来ていた。
京都市美術館で待ち合わせ、卒業以来会っていないので3年ぶり。
近くのカフェで近況と映画の事を話す。

思い起こせば大学入学してすぐの頃、はじめてDVカメラを使った授業で二人組になってお互いを撮る課題があり、その時たまたまペアになったのがW島君だった。
皆なんとなく撮ってみるような習作だったのに、彼はちゃんと短いテキストを書いてきた。
大学の駐輪場で自分の自転車が見つからない話。
春は新入生をはじめ学生の出席率が高いので駐輪場はいつも満車。その中から自分の自転車を探すのはなかなか大変で、駐輪場をうろついて途方にくれたことは実際に何度もあった。
和島君のテキストには駐輪場で自転車を探す女の子、自転車カゴにはポールオースターの『鍵のかかった部屋』が入っている。
私は髪の色を金髪に近い所まで抜いて真オレンジにしていた。
W島君はこの習作をきちんとDVDにしてくれたので今また見返すと、色とりどりの自転車であふれる駐輪場、少し目眩のするような質感の映像、髪のオレンジと共に若かりしあの頃の色んな新鮮さがよみがえってくる。


美術館の中をなんとなく一巡し、映像ブースの所で劇映画3本とドキュメンタリー1本観る。
ドキュメンタリーは今年の受賞作品で、小鳥屋の主人を撮ったもの。小鳥屋は未婚で60代くらい、母親と二人暮らし。
家の中で餅をつくシーンがあった。母親が蒸し器で蒸し上げた餅米を小さな臼に返して息子が水を加えながら杓文字で掻き回す。その内滑らかな餅になったが、水の入れ過ぎなのか少々ゆるすぎ餅を臼から洗い場の台に移そうとした時餅がでろぉ~んと床に垂れて全部落ちる。それがあまりにおかしくて大笑いしてしまった。

その後、歩いて造形大の辺りまで移動。アナベル・リーでT田君も合流。T田君もW島君の映画に出演したことがある。
しばらく話した後大学内を散策し夕方別れる。

3月3日、上映会。
W島君の他に4人の若い監督の作品も上映される。1作品30分程度。どれも35ミリフィルムで撮影されている。

W島君の映画のタイトルは『第三の肌』という。
気になるタイトルだと思っていた。
第二の肌を衣服と考えると第三は何か。
衣服の外側。においとか空気のようなものを想像していた。皮膜ではないのだが、まとっているという感じのするもの。目に見えない領域であるが、そこで触れるという感覚を伴う事。隔たりのある交感。
皮膚と言われると物質的な皮膜を想像するのだが、肌という言葉には体温が宿っている。
体から離れているが体温の宿っているようなもの。

主人公はピアノ弾きのホームレスの男。
ある夜、暴行されたうえ大切なピアノを燃やされてしまう。

翌朝倒れた男と燃えてしまったピアノを見つけた廃トンネルに棲んでいる女。
新しいピアノを贈ると言ってトンネルへ男を案内する。
トンネルには埃をかぶった古ピアノが眠っていた。
女は手が不自由だった。
男はピアノを調律し、お礼に彼女でも弾ける連弾の曲を作って贈る。

W島くんは第三の肌とは「贈り物」と「家」のイメージだと言った。

それで、この映画は30分では短かった。
きっと監督ももっとじっくり眺めていたい絵があったのではないかと思う。
特に廃トンネルの中、ロウソク明かり、差し込んでくる入り口からの光など美しかった。

上映会には同じ大学の懐かしい顔がちらほら。
終わってからF川さんとラストオーダーぎりぎりのサンシャインカフェでちらし寿司を食べて雛祭りを祝った。
F川さんのiPodに入っている山口百恵や彼女の好きそうなロシアのアニメーションを見せてもらう。
夕方4時起きなどかなり不規則な生活をしているようだったが、とりあえず元気だったのでよかった。