稲穂垂れて ありがたきかな 彼岸花
中村 梅士 Baishi
やっと雨が上がった。
支度に手間取りながら、もうたくさん咲いているであろう
彼岸花を見に出かけた。
半年ぶりの散策である。
手間取ったのは、履く機会のなかった新しい登山靴に足を
入れたからだ。
低山歩き用に買ったものだった。
草深いぬかるみがちな田のあぜ道を安心して歩くことがで
きた。
彼岸花の緋色を遠くから確認しただけで心が躍った。
一年ぶりの短い季節の楽しみである。
咲き始めたころの新鮮な賑わいを目にすることができた。
一眼レフを使うのも久しぶりのことである。
あぜ道を5km、2時間半ほど歩き回った。
彼岸花の表情をたっぷりと味わうことができた。
まだこれから満開の時期を迎えるだろう。
花ならば三分咲きから五分咲き、その頃が一番美しいと思
う。
水嵩を増した河にす~っと、鳥の影が走った。
上下動のない高速飛行は、カワセミだったのではないか。
しかし、濁流では魚影も見えず、狩りは難しかろう。
きっと、用水路で狩りをしているのではないかと思った。
用水路沿いに咲いている彼岸花は水面にも映えて美しい。
見とれているところに、用水路を低空飛行する青い閃光を
見た。
カワセミだ。
何度見ても美しいブルーである。
カメラを手にしているのに、カメラを構えることさえでき
なかった。
一瞬の出会いである。
人類の悪想念に穢れた地球になってしまったが、まだまだ、
美しいものが息づいている。
その残された美しさを呼吸して生きている。
さて、今朝の気温は18,5℃と、ついに20℃を下回った。
今日明日は秋晴れの一日になりそうである。
世間は連休で、山歩きは賑わっているだろう。
どこか、出かけたいものだ。
ヤイドロン様の霊示は三次元世界と霊界の関係を考える新
しいヒントに溢れている。
霊界宇宙について学んでいる幸福の科学信者であっても、
知らず知らず、この世的な既成概念にとらわれているらしい。
融通無碍とも思えるヤイドロン世界の人々にとっても、三
次元宇宙なくしては個性を育て、個性として生きることはで
きないだろう。
だからこそ、地球での文明実験は守らなければならないの
だろう。
試練がなくては魂も成長しないからである。
三次元とはまさに冒険的世界である。
三次元世界は物理的でメカニックな世界である。
一見精緻な仕組みに見えるが、それが方便だと分からなけ
れば、霊界科学は思案の外になる。
今の地球人が肉体をもったまま、何光年、何十光年離れた
星にワープ移動することには無理があるという。
だから、幽体離脱して、霊として飛ぶしかないのだ。
しかし、それが文明実験としての地球的存在形式だとすれ
ば、肉体のままで霊的悟りを得ることが目標だということに
なる。
肉体のままとは、心身の健康と鍛錬を大切にしながらとい
うことであろう。
色心不二、この理解が意外と難しいと思う。
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