興梠の 細々鳴くを 眠りたり
中村 梅士 Baishi
残暑から一転秋になって、朝方の気温は14℃まで下がる
ようになった。
人には心地よい秋の朝ではあるが、虫の声は疎らになっ
た。
暦の上ではキリギリスが戸口に入って寒さを凌ぐ季節だ
というが、現代の家は固く戸を閉ざしている。
近所の野良猫が衰弱してうなだれていた最後の姿が心を
離れない。
たまに見かける程度で、遭遇しても逃げていた。
無責任に関わるべきではないと一瞥して去ったのだが、
猫は逃げる力もなく項垂れた。
袖すり合うも他生の縁という。
とはいえ、想定外の事態でもあり、猫の餌も設備もない
のに無責任に引き取るわけにもゆかない。
犬のことは分かるが、猫には親しまない。
しかし、野良猫とはいえ、社会の一員としての関係性を
持っている。
それが失われると言うことは、ぽっかりと穴が開いたよ
うな切なさを感じるものである。
人と犬猫とは相互依存関係にある。
そもそも、猫を野良猫にするべきではないのだ。
ところが、わが子を虐待する親もいる。
地獄に片足突っ込んでいる人間が半数以上だろう。
猫の餌くらい買っておくべきなのかもしれない。
「猫に餌を与えないでください」と言う看板を見かける
が、「痴呆公務員や木っ端公務員は野良猫を保護してくだ
さい」と言う看板が必要だろう。
保護したら、殺処分ではなく、人の責任として、犬猫の
生存権を保障するべきである。
犬猫の人に対する無垢な信頼を裏切らないためである。
犬猫を捨てる行為は保護責任者遺棄罪に準じる犯罪とし
て断罪するべきである。
犯罪の基礎には調和の原理としての倫理がある。
現代版「生類憐みの令」ではなく、人間の責任論である。
犬猫が死ぬと霊界にゆくが、やがて個性が消えて、犬の
霊団、猫の霊団という集合霊言に吸収され、比較的短いサ
イクルで転生輪廻を繰り返すのだという。
犬や猫が死んだら、安らぎの霊界の野に放ってやるとい
う感じだろうか。
人は犬猫に愛と信頼を学んでいるのだ。
その信頼を人が裏切ってはならないと思う。
人間至上主義の思い上がりを恥じるべきである。
台湾国の蔡英文総統は中江兆民の転生と認定されている。
共産独裁国家中共の威嚇に屈せず、台湾防衛の要として
断固たる姿勢を示している。
立派な独立国家のリーダーである。
ところが日本は、いわば台湾の生みの親であり、李登輝
元総統の恩義もあるというのに、その信頼を裏切って中共
に媚びを売り、現在も中共の台湾支配を正統として支持し
ている有様である。
勿論、台湾国も日本には期待していない。
日本の何と情けないことよ。
いかに植民地域に成り下がっているとはいえ、一応国家
の形骸を残して一定の国際的責任を問われているというの
に、利権のための自己保身こそは大人の考えと開き直って
いるのである。
最近も北のジョンジョンが池ポチャのミサイルを撃った
らしいが、へたくそめ。
皇居を狙ってグリーンに乗せてみよ。
「我が国から飛び立ったらしい飛翔体が落ちましたか、
悪質宇宙人系のUFOでしょうか、お悔やみ申します」とぐ
らい言っておけば十分だろう。
皇居の住民には不幸な出来事だろうが、世の中がすっき
りすることには役に立つかもしれない。
台湾を見捨てるよりも、皇居を自己犠牲の城とすること
の方が世のため人のためになる。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party