寒き夜に バッハの歌が 主を語り
中村 梅士 Baishi
クリスマスが近くなると、バッハのカンタータが存在
感を増す。
カンタータや賛美歌はキリスト教徒ならずと言えども
心にしみるものがある。
キリスト教徒にとって主とはイエス・キリストである
が、幸福の科学信者にとってはイエスが天の父なる神と
仰いだエル・カンターレを主と仰ぐ。
しかし、賛美歌やカンタータが少なすぎる。
だから、バッハを聴く。
かつてはバッハの曲もギターで弾いていたなあと思い
出す。
今はもう、痴ほう症のように、まだら模様になってし
まった。
少しは練習しなければと思うのだが・・・。
今朝の気温は6.5℃、冬場の気温だが、明日からクリ
スマス頃まで温暖化するという。
少しホッとするのではないか。
今日も日中気温が上がりそうである。
遍路道でも徘徊してみるか。
政治家というものは国家社会や国際社会を活力のある
豊かな社会とするための改革者ないし革命家として使命
を負う者である。
現代において、国家社会を独裁的に支配しようとする
政治家はいても、金儲けのために私物化しようという政
治家はいない。
金儲けの手段としての政治という道具性は成り立たな
いからである。
悪徳政治家とは個人的に金儲けをする者ではなく、国
家社会を弱体化し、人々の活力を奪い、滅亡に向かわせ
る悪魔である。
北のジョンジョンや文寅や集金ペイがその代表である。
しかし、金まみれの政治家という批判は政治家には妥
当しないというべきである。
マスコミは政治と金の穢い関係という触れ込みで政治
批判をするが、騙しの言論である。
桜を見たり、梅を見たり、結構なことではないか。
政治家への評価は政治改革の活動実績を見るべきであ
る。
民主党時代の政治家の責任は徹底的に検証し責任追及
するべきである。
共産党の政治理念や言論を検証し、批判するべきであ
る。
それがマスコミの政治報道の在り方であろう。
悪徳政治家ではなく、悪徳マスコミ人間こそが問題と
されなければならない。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party
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