まむし草 鎌首もたげ 睨みたり
中村 梅士 Baishi
島の自然歩道でまむし草を見つけた。
うすぐらい場所に頭をもたげ、目が赤く光って睨んで
いるようで気味が悪い。
といっても、里芋科の野草である。
今年はまだ山歩きをしていないので、シャガの花を見
ていない。
もしかしてもう終わっている頃だろうか。
フデリンドウも気に掛かる。
今日は5月2日、本来なら黒日であるが、「休日」な
のだそうだ。
愛社精神がなくなってくると、毎日職場に詰めて働く
なんて時間の無駄と苦痛に思える。
かつては、サービス残業を重ねるご奉公を厭わなかっ
たものだが。
仕事に組織は重要だが、役所のような無益な羈束が組
織を支えているように思える。
もっと、フレキシブルな組織が必要なのではないか。
無能な者を上に置くから組織が硬直し、人材を失う結
果になるのではないか。
無能な支配は個性を殺すからである。
山本周五郎の『雨上がる』を映画で見た。
前にも見たシーンだなという記憶が後追いする。
無外流の剣客でありながら浪々の旅をする中で、ある
小藩の剛気な藩主の目にとまり、指南役のチャンスが巡
ってくる。
ところが、人助けのためとはいえ、賭勝負をしたこと
が咎められ、話はなかったことにと告げられるのである。
穏やかで思いやりのある夫の切ない気持ちと、宮崎美
子が演じる武士の妻の品格と気概が心を打つ。
未練を断って再び浪々の旅に出る夫婦の晴れやかさと、
妻の言葉に心打たれた藩主の、指南役を求める追っ手が
交錯するラストシーンだった。
真理を語る小説は妙にリアルである。
しかし、現代では真理を語る言葉には滅多に出会わな
い。
無我、空の信仰心が見失われているからであろう。
信仰なくして文明なく、信仰なくして文化なしという
べきであろう。
文化とは、美意識の表現である。
美は人が作るものではない。
神の愛への共感が美意識である。
人もまた、魂の根底に仏性を宿しているからこそ、神
仏に共感できるのである。
文化論はここに始まる。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
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